淡いオレンジ色の明かりは、苦境に喘ぐ私の心を和ませ、一時の安らぎを与えてくれ、 “ふと”マイカーで四国の金刀比羅宮に旅した時のことが脳裏に浮かんだ。
それは昨年の7月の暑い日のこと、私と妻は午前10時頃に金刀比羅宮に到着して、さっそく本宮を目指し石段を登り始めた。
ところが、体長の芳しくなかった妻は途中の旭社でダウンしてしまった。
「お父さん、私、もう歩けん、ここで待つちょうけん一人で参拝してきて」
「そげか、ほんなら30分位で戻ってく~けん、ここでまっちょうだぞ」
私は妻が社の休憩所の椅子に掛け休んでいるのを見届け、本宮に参拝し休憩所に帰ってみると妻の姿がない。
それから30分待っても1時間待っても妻は帰ってこない。
「ひょっとして後を追って本宮に参拝したのかも?まさか救急車で病院にでも運ばれたのでは?」
などと考えると心配になり、再度本宮に登ってみるが姿がない、もしかしたら先に車に帰っているかも知れないと思い、大急ぎで車まで引き返してみるがやはり姿がない。
「こりゃー本当に病院にでも担ぎ込まれたのでは?」
妻は携帯電話を持っておらず連絡のとりようもない、しかも見知らぬ土地での出来事、対応すべき方策もなく、待つしかなかった。
「もしも何かがあったら、携帯に電話があるかも知れない」
それから30分、携帯がメロヂーを奏でた。
私の心に一瞬不安がよぎり “ドキ、ドキ”しながら携帯を耳にあてると、電話の向こうから妻の声。
「あんた、どこにおおて、休憩所で待つちょれ~て言ったが」
私は“ホッ”するのと同時に怒りがこみ上げ、まくし立てるように妻を責めた。
「ゴメン、ゴメン、後を追って本宮まで行こうと思って、間違えて奥宮まで行ってしまって、心配しちょうなぁーと思って、今、人から電話を借りて掛けちょうだがん」
それから30分くらい、ようやく車に帰った妻に、詳しい事情を聴くと、休憩所で待っている間に体調も回復し、本宮に向かって登り始めていると、二人連れの若い女性と一緒になり、後をついて奥宮まで行ってしまったと言うのである。
石段が多く心臓は“バク、バク”息苦しくなるし、お父さんの姿は見えない。心配になり女性に事情を話し、電話を借り連絡したのだと言う。
この話を聞いていると妻への怒りも次第に治まり、可哀そうにさえ感じられるようになっていく思いがしたものであった。
その日の宿を、高知市内のホテルの予約していたため、その後二三の観光地を巡り、高知道を通って高知市にと向かった。
高知道を走っているとトンネルの多さが妙に気に掛り、米子道も多いが高知道も多い、帰りにどちらの道の方がトンネルが多いのか数えてみようなどと、たわいもない話をしながら、いくつものトンネルを潜り高知市内のホテルに着いた。
次に日、午前中に物産館で土産物の買い物を済ませ、一般道から高知道に乗り帰路に着くと、妻は昨日の約束を覚えていたのか、トンネルを潜るたび“いち・にい・さん・・・・”と数え、米子道に入って、また、“いち・にい・さん・・・・”と数えた。
「お父さん、高知道と米子道、同じ23カ所だよ!」
金毘羅宮での出来事をすっかり忘れたかのように、さも自慢げに言ったものだった。
前を走る観光バスの“ガチャ、ガチャ”響くチェンの音を聞きながら、トンネルを抜けたら、吹雪よ、治まっていてくれと願いながら、淡いオレンジの光の中を出口へと向かった。
Ⅰ―3へ続く
それは昨年の7月の暑い日のこと、私と妻は午前10時頃に金刀比羅宮に到着して、さっそく本宮を目指し石段を登り始めた。
ところが、体長の芳しくなかった妻は途中の旭社でダウンしてしまった。
「お父さん、私、もう歩けん、ここで待つちょうけん一人で参拝してきて」
「そげか、ほんなら30分位で戻ってく~けん、ここでまっちょうだぞ」
私は妻が社の休憩所の椅子に掛け休んでいるのを見届け、本宮に参拝し休憩所に帰ってみると妻の姿がない。
それから30分待っても1時間待っても妻は帰ってこない。
「ひょっとして後を追って本宮に参拝したのかも?まさか救急車で病院にでも運ばれたのでは?」
などと考えると心配になり、再度本宮に登ってみるが姿がない、もしかしたら先に車に帰っているかも知れないと思い、大急ぎで車まで引き返してみるがやはり姿がない。
「こりゃー本当に病院にでも担ぎ込まれたのでは?」
妻は携帯電話を持っておらず連絡のとりようもない、しかも見知らぬ土地での出来事、対応すべき方策もなく、待つしかなかった。
「もしも何かがあったら、携帯に電話があるかも知れない」
それから30分、携帯がメロヂーを奏でた。
私の心に一瞬不安がよぎり “ドキ、ドキ”しながら携帯を耳にあてると、電話の向こうから妻の声。
「あんた、どこにおおて、休憩所で待つちょれ~て言ったが」
私は“ホッ”するのと同時に怒りがこみ上げ、まくし立てるように妻を責めた。
「ゴメン、ゴメン、後を追って本宮まで行こうと思って、間違えて奥宮まで行ってしまって、心配しちょうなぁーと思って、今、人から電話を借りて掛けちょうだがん」
それから30分くらい、ようやく車に帰った妻に、詳しい事情を聴くと、休憩所で待っている間に体調も回復し、本宮に向かって登り始めていると、二人連れの若い女性と一緒になり、後をついて奥宮まで行ってしまったと言うのである。
石段が多く心臓は“バク、バク”息苦しくなるし、お父さんの姿は見えない。心配になり女性に事情を話し、電話を借り連絡したのだと言う。
この話を聞いていると妻への怒りも次第に治まり、可哀そうにさえ感じられるようになっていく思いがしたものであった。
その日の宿を、高知市内のホテルの予約していたため、その後二三の観光地を巡り、高知道を通って高知市にと向かった。
高知道を走っているとトンネルの多さが妙に気に掛り、米子道も多いが高知道も多い、帰りにどちらの道の方がトンネルが多いのか数えてみようなどと、たわいもない話をしながら、いくつものトンネルを潜り高知市内のホテルに着いた。
次に日、午前中に物産館で土産物の買い物を済ませ、一般道から高知道に乗り帰路に着くと、妻は昨日の約束を覚えていたのか、トンネルを潜るたび“いち・にい・さん・・・・”と数え、米子道に入って、また、“いち・にい・さん・・・・”と数えた。
「お父さん、高知道と米子道、同じ23カ所だよ!」
金毘羅宮での出来事をすっかり忘れたかのように、さも自慢げに言ったものだった。
前を走る観光バスの“ガチャ、ガチャ”響くチェンの音を聞きながら、トンネルを抜けたら、吹雪よ、治まっていてくれと願いながら、淡いオレンジの光の中を出口へと向かった。
Ⅰ―3へ続く
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