元旦を翌日に控えた大晦日の午前9時、私は娘と孫の二人を迎えに岡山に向かうため妻を伴って車に乗り込んだ。
気象情報では大晦日から元旦にかけ、山陰地方に暴風波浪大雪注意報が発令されており、
天候が多少気にかからないでもなかったが、この時点では積雪も10cm程度、雪も小康状態を保っており、愛車はトヨタ・マークⅡの四輪駆動。
私は雪国育ち、雪道には慣れているし運転は人並み以上に巧い。
「この程度の雪なら大丈夫!」
これまで雪道では一度のも事故を起こしたことはない。
何の根拠もない、自負と自信をいつの間にかもつようになっていた。
この自信が木っ端微塵に打ち砕かれ、自信が過信で有ったことを嫌というほど思い知らされる事態が発生しようとは、この時は夢にも思わなかった。
車にキーを差し、カーナビをセットすると、自宅から岡山県笠岡市まで186kmと表示した。
道路にはアスファルト上に、パウダーの粉をまいたように雪がうっすらと積もっていたが、運転には全く支障がない。
私は近くのスタンドでガソリンを満杯にすると一般道から山陰道を経由し、米子道の入り口で、冬用タイヤのチェックを受け米子道へと入った。
米子道は中国山脈越え、標高650メートルの高地を通る高速道路で、蒜山サービスエリア辺りは特に雪も多く難所である。
米子道に入って20分、最初の溝口インターを過ぎたあたりから雪が急に激しく降り始め、江府インターを通る頃には、ぼたん雪が風にあおられ、花吹雪のようにフロントガラスに吹き付け、視界を遮るようになってきた。
江府インターから蒜山サービスエリアまでは急激に標高が高くなり、それに伴って雪もますます激しくなってきた。
視界も40mから30mそして20m、10mと狭くなり、速度も50kmから40km、30km、20km、そして10kmで走るのさえ難しく、まるで煙幕を張られた煙の中でも走っているような状態になった。
そのような状態の中でも、私の車を尻目に数台の車が追い越して行く。
「お父さん、あの車、前が見えちょうだ~か」
フロントガラスに額をこすり付けるようにして、前方を見入っていた妻が、心配そうに呟くのが耳に入ると人ごとながら気にかかる。
「事故でも起こさなければいいが」
“カチ、カチ、カチ、カチ” ワイパー全開、忙しなく動く、暴風に煽られた雪がフロントガラスに吹き付け速度はさらに遅くなる。
前方にタイヤチェンをかけ、亀のように“のろのろ”走る、大型観光バスの姿が蜃気楼のように見えてきた。
「しめた、あの観光バスの後ろについて走ろう!」
私が追突しない程度に観光バスに“ピッタリ”車を着けると、猛吹雪も心なしか弱くなったように感じられた。
急に猛吹雪が治まり、淡いオレンジ色の光が射して、今までの吹雪が嘘のように視界が広がり“ほっ”胸をなでおろす。
鳥取と岡山の県境にまたがる、米子道では二番目に長い三平山トンネル(2.2km)に入ったのだった。
観光バスが急にスピードを上げる。
「こんな大雪になるのだったら、電車で帰らせればよかった」
反省の念が頭をよぎるが、もう引き返すという選択肢はないし出来もしない。
何としても米子道を走り抜け、中国道までたどりつかなくてはと観光バスの後を追う。
観光バスから離れることは、即、猛吹雪の中、更なる悪条件での運転を余儀なくされるからだ。
Ⅰ―2に続く
気象情報では大晦日から元旦にかけ、山陰地方に暴風波浪大雪注意報が発令されており、
天候が多少気にかからないでもなかったが、この時点では積雪も10cm程度、雪も小康状態を保っており、愛車はトヨタ・マークⅡの四輪駆動。
私は雪国育ち、雪道には慣れているし運転は人並み以上に巧い。
「この程度の雪なら大丈夫!」
これまで雪道では一度のも事故を起こしたことはない。
何の根拠もない、自負と自信をいつの間にかもつようになっていた。
この自信が木っ端微塵に打ち砕かれ、自信が過信で有ったことを嫌というほど思い知らされる事態が発生しようとは、この時は夢にも思わなかった。
車にキーを差し、カーナビをセットすると、自宅から岡山県笠岡市まで186kmと表示した。
道路にはアスファルト上に、パウダーの粉をまいたように雪がうっすらと積もっていたが、運転には全く支障がない。
私は近くのスタンドでガソリンを満杯にすると一般道から山陰道を経由し、米子道の入り口で、冬用タイヤのチェックを受け米子道へと入った。
米子道は中国山脈越え、標高650メートルの高地を通る高速道路で、蒜山サービスエリア辺りは特に雪も多く難所である。
米子道に入って20分、最初の溝口インターを過ぎたあたりから雪が急に激しく降り始め、江府インターを通る頃には、ぼたん雪が風にあおられ、花吹雪のようにフロントガラスに吹き付け、視界を遮るようになってきた。
江府インターから蒜山サービスエリアまでは急激に標高が高くなり、それに伴って雪もますます激しくなってきた。
視界も40mから30mそして20m、10mと狭くなり、速度も50kmから40km、30km、20km、そして10kmで走るのさえ難しく、まるで煙幕を張られた煙の中でも走っているような状態になった。
そのような状態の中でも、私の車を尻目に数台の車が追い越して行く。
「お父さん、あの車、前が見えちょうだ~か」
フロントガラスに額をこすり付けるようにして、前方を見入っていた妻が、心配そうに呟くのが耳に入ると人ごとながら気にかかる。
「事故でも起こさなければいいが」
“カチ、カチ、カチ、カチ” ワイパー全開、忙しなく動く、暴風に煽られた雪がフロントガラスに吹き付け速度はさらに遅くなる。
前方にタイヤチェンをかけ、亀のように“のろのろ”走る、大型観光バスの姿が蜃気楼のように見えてきた。
「しめた、あの観光バスの後ろについて走ろう!」
私が追突しない程度に観光バスに“ピッタリ”車を着けると、猛吹雪も心なしか弱くなったように感じられた。
急に猛吹雪が治まり、淡いオレンジ色の光が射して、今までの吹雪が嘘のように視界が広がり“ほっ”胸をなでおろす。
鳥取と岡山の県境にまたがる、米子道では二番目に長い三平山トンネル(2.2km)に入ったのだった。
観光バスが急にスピードを上げる。
「こんな大雪になるのだったら、電車で帰らせればよかった」
反省の念が頭をよぎるが、もう引き返すという選択肢はないし出来もしない。
何としても米子道を走り抜け、中国道までたどりつかなくてはと観光バスの後を追う。
観光バスから離れることは、即、猛吹雪の中、更なる悪条件での運転を余儀なくされるからだ。
Ⅰ―2に続く
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