沖合から数百キロの幅で押し寄せた津波は、大河を流れ落ちる濁流のような勢いで、人々を、家々を、田畑を一瞬のうちに呑み込んだ、あの忌まわしい東日本大震災から2年半以上が過ぎようとしている。
あの時の情景を映し出したテレビの受像機を瞬きさえ忘れて、これは現実か、夢か、それとも幻か、我が目を疑い震える思いで見入った。
東北太平洋側海岸線の津波被害と、東京電力福島第一原子力発電所事故の映像は自然の驚異のすさまじさと、人間社会の脆弱さを強い衝撃と喪失感とともに鮮明に私の脳裏焼き付けられた。
しかし、あの地獄のような映像も、被害を受けられた方々の気持ちとは裏腹に、時の流れとともに私の脳裏から次第に薄れようとしている。
世界中を恐怖に陥れた東京電力福島第一原子力発電所の復旧作業についても、当時の緊迫感・緊張感から解放され、復旧スケジュール・復旧状況・放射線量などの報道が次第に少なくなり、一見、廃炉作業などが順調に進んでいるかのよな錯覚に陥っている。
しかるに、原子力発電所の汚染水の処理さえ満足に解決できない現状では、到底、原子炉の廃炉作業の目途などたつはずもなく、原子力行政の将来展望はますます混迷、深刻化するばかりで将来の原子力発電所の再稼働問題の議論することさえはばかられるような現状にある。
そこには、これまで自民党政権が主導してきた原子力行政に対する国民の不信があり、また、民主党政権下での福島第一原子力発電所事故時対応の不手際と、情報開示の不足、不明確さに起因する事は誰の目にも明らかであろう。
資源小国日本、新たな電力確保に向けて、再生可能エネルギーや自然エネルギーを導入すべきとの論評が、学者・評論家・知識人等から発せられ世論もこれに同調しつつある。
しかし、これらのエネルギーの開発には膨大な資金と、短・中・長期にわたるエネルギー基本計画に基づく国民的合意と、継続的な取り組みが必要となる。
現在の日本社会は、交通・情報通信のライフラインはもとより、上下水道・ガス・空気に至るインフラ設備までもが電気なしでは機能しなくなっており、電気に対する依存度は極めて高まっている。
今は日本中が東京オリンピックの話題で沸き返っているが、仮に、電力政策の将来に向かっての方向性が的確に示せずに、時間だけが無駄に浪費され、電力不足が現実のものともなれば、日本経済は失速し、東京オリンピックの開催さえ危うくなり、国民の窮乏生活は避けられなくなるだろう。
過去、戦後の一時期と、昭和48年・昭和52年の、二度にわたる原油高騰時期を除いて、電力は電力会社が責任を持って供給するものと誰もが信じ、電力会社もその信頼に応えてきた。
しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故を境に、日本の電力需給は逼迫し、特に、夏季の電力供給力は、各電力会社の自主努力、電力会社間の融通だけでは到底乗り切れない危機的状況に陥り、政府・国民を巻き込んだ重要課題となっている。
人間が集団で生命の危機に立たされたとき、人々は、一体どんな行動を起こすだろうか?
人によっては、明日の命より、今、その瞬間の命を死守しようと必死でもがき、一億二千七百万人分の一人より、一分の一億二千七百万人分の一人を選択する者も現れるかもしれない。
現在の日本の置かれた立場から考えると、原子力発電を再稼働することがベストの選択でないことは、多くの国民の一致した意見であろう。
しかし、原子力発電の再稼働なくして、現状レベルの国民生活の維持が難しいとするならば、私は、原子力発電の再稼働は、安全対策・体制を十分に講じた上、新エネルギーの開発の目途がつくまで期間を限定して稼働することはやむを得ないと考える。
ただし、その期間は原子力発電所を国有化し、原子力行政、原子力発電の運転・維持・管理は防衛省で一元化するのがベストの方策ではないかと考える。
防衛省に原子力発電の運転・管理、原子力行政を移管することには、国内外から多くの異論・反発が予想されが、今の東京電力、日本政府のつぎはぎ的な対応で果たして解決するだろうか。
自衛隊は東日本大震災での人命救助・復旧作業・東京電力福島原子力発電所の事故時対応などに命を賭して活躍してくれ、自衛隊員は日本の誇りであり、多くの国民がもっとも信頼を寄せる組織であると考えるからである。
防衛省に「仮称・原子力庁」を新設し、電力会社等の原子力発電に係る各機関・要員を移転移籍させ、全国17カ所に点在している、原子力発電所を一元的に管理させることで、情報の共有化・運転の信頼性・安全管理・事故時の対応能力の格段の向上が期待できる。
また、自衛隊は国内で唯一、戦闘能力・重装備を備えた最強最大の武力集団であり、原子力災害・テロ・侵略等の非常事態にも即応しうる能力を有している。
仮に、不測の事態が発生して、住民の避難・誘導等の必要な事態が発生した場合でも、避難体制・避難誘導・復旧体制・復旧要員の確保などを迅速に行う組織力を有しており、危機管理能力・危機管理体制が大幅に強化されるものと信じるからである。
今後の原子力行政は、原発の再稼働・廃炉、どちらの道を選ぶにしても、使用済み核燃料・廃棄物は、後世にわたって厳重に管理・保管しなければならない最重要な課題である。
しかるに、現在の原子力行政を見ていると、これらの諸問題を民間企業である各電力会社等に丸投げし、政府は責任を民間企業である電力会社に転嫁させているに等しい状態であように感じられる。
東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、次々に表面化した情報の隠ぺい・報告漏れなどの諸問題が国民の信用・信頼を失墜させたのも、原子力行政の無責任体質が潜在的要因の一つになった可能性は否定できない。
日本国民の命運と共に自衛隊があり、核問題が存在するとするならば、一民間企業である電力会社に日本の将来の命運をも左右しかねない原子力発電事業を委ね、処分方法の目途さえ立たない使用済み核燃料の、未来永劫続く保管・管理まで委ねようとしている日本政府は、北朝鮮以上に無法・無責任国家だと批判されてもしかたがないかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます