誰も知らない南の島

いつか南の島にいきたい

ローレライ

2005年06月11日 | Weblog
未来少年コナンのラナはテレパシーを使った。
まだテレパシーがSFドラマのなかで重要な役割を果たしていたのだ。ところが携帯電話が普及し、遠く離れた人と簡単に意思疎通可能になると、テレパシーがSFに登場することもなくなった。ローレライの紅一点の少女は、なんと遠く離れた映像を潜水艦の中にいて受信できる超能力をもっている。それって、結局携帯用テレビ電話かも。

                                  

二十四の瞳

2005年06月11日 | Weblog
瀬戸内に浮かぶ小豆島の分教場で小さな大石先生と十二人の子供たちが織り成す物語。
私が見たのは高峰秀子主演だった。先生は音痴でもオルガンが弾けなければいけないらしい。
                                     

平成狸合戦ぽんぽこ

2005年06月11日 | Weblog
所詮、狸はうさぎにかなわない。かなわないから逃げていく。
逃げていくから追いかけられる。宮さんの自画像が紅の豚なら高畑さんは平成の狸だ。だけど狸には生命力がある。生きていく力が強い。いざとなったら狸寝入りも辞さない。負け戦もいとわない。だから負けるのだけど。                     
                                       

雨の日が好きだ

2005年06月11日 | Weblog
雨の日は一日家にいて、窓辺で雨を見る。いつか南の島に行きたい。今年の夏には、きっといけるような気がする。台風はどこかにいってしまったけれど、どことなくあたりに南の島の空気がのこっている。単に蒸し暑いだけかもしれないこど。
                                     

大人になる前に、私は自分が大人になっていないことに気がついていた

2005年06月05日 | Weblog
気がつけば、周りは全て大人になっていた。大人にならなきゃ。気ばかりがあせった。元来大人はあせらないものだ。梅雨のあとさきに私は大人になった。天気は晴れていなかった。今にも雨が降りそうだったが、もう大人になった私は、そんなことなど気にも留めなかった。庭先で帰るが鳴いている。今年ももうすぐ入梅である。                                                                                              

下妻物語

2005年06月05日 | Weblog

バロックとは歪んだ真珠のことで爛熟した宮廷文化の産物であるという。深田恭子にアンナが真正面からぶつかったこの映画は、監督であるピッチャーが全力で投げぬいた変化球である。健全な退廃感で構成された下妻物語は昨年を代表する邦画ではないだろうか。                                     


この子を探して

2005年06月05日 | Weblog
 臨時教師役の女の子が大学に入学したことが日本の新聞に大きく載った。当然本国の中国のマスコミでは大騒ぎだろう。この作品でみる彼女は健気で可憐であり、しかも前途に希望を持っている。元来、希望というものは実現しないものだが、彼女の場合、配役の上だけではなく実生活においても希望が実現しつつあるようだ。ラストシーンはみんなで分教場の黒板に漢字を書いていく。
明治維新直後に作られた日本の小学校もこんな雰囲気だったのではないか。

                                                                                 

僕の彼女を紹介します

2005年06月05日 | Weblog
ストレートの直球娯楽青春韓国映画。変化球ではない。ヒロインという存在は、その国の状況を微妙に反映しているのかもしれない。そういえば、この子をさがしての臨時教師役の女の子が大学に進学したという。それで、僕の彼女に話を戻すと、この猟奇的な警察官の彼女は、手が抜ける手錠を嵌めたまま高校教師と清らかな一夜を過ごす。このシーンを見て韓国は若い国であると思った。どこかに希望が残っている。それがヒロインの表情にあらわれるのだ。


バッドエデュケーションの監督作品

2005年06月05日 | 洋画
銀座テアトルでバッドエデュケーション上映記念の徹夜連続上映会に出席してしまった。
夜明け前の上映は植物人間になったバレニーナに恋する看護人の物語だった。
スペインという国の状況が映画に色濃く反映し、同じラテンの国といってもフランス映画よりもいっそう濃い味の映画に仕上がっている。どこかしら韓国映画に共通のものがあるというと、言いすぎになるのだろうか。