繖山(432m)と安土山(190m)縦走
~神社、仏閣と城跡を巡る歴史探訪のノンビリ山行~
2015年3月21日(土)、薄曇り、無風・小春日和
参加者:G.G.他3名
アクセス:JR各務原7:13→9:01能登川/安土16:21→18:27各務原、青春切符使用
コースタイム:
能登川駅9:10→10:10北向観音→10:40雨宮龍神社11:00→11:40繖山→12:05観音寺城跡12:10→12:20観音正寺、昼食13:15→13:45繖山→14:35下山口→朝鮮人街道→14:45安土城跡→16:10安土駅
行動時間:7:00(休憩、昼食を含む)
歩行距離:約15 km
コース:能登川駅→猪子山→繖山→観音寺城址→観音正寺→CCWに周回し、繖山→朝鮮人街道→
安土城址→安土駅のGPSトラックを示す。
赤線は登り、青線は下りを示す。緯線、経線は20秒間隔(約500 m)である。
標高図:コースの標高図を下に示す。標高差は大したことはないが、4回ものアップダウンがある。
山行記事:
■久し振りのJR青春切符を使用してのノンビリ移動である。我らのような高齢者が青春切符とはコソバユイ気がするが、聞くところによれば、今や、最大の利用者層は高齢者のようである。
■猪子公園に入って直ぐの登山道を上がると上山天神社である。お参りをして戻って登山道を上がり林道を横切って階段を上がると坂上田村麻呂由来の北向岩屋十一面観音に着く。巨岩をくり抜いた岩屋に十一面観音が祀られているのが珍しいので、堂内に上がりお参りする。
■直ぐに猪子山の三角点に着く。登山道は僅かにアップダウンのある尾根道で足に優しい。次に雨乞いの神を祀る、推古天皇時代創設の雨宮龍神社に着く。ここから急降下すると地獄越と呼ばれる峠である。 麓の標高が100m位であるので、地上高は100m強で、まるで麓へ下山したように錯覚する。
■登り返しは長い階段が延々と続く。途中、木の間から小じんまりとした安土山の山塊が望まれる。漸く繖山に到着する。林に囲まれていて眺望はない。昼食まで時間があるので、一息入れ、更に直進する。
■やがて観音正寺方面への周回コースの分岐点(時計回りか反時計回りかを選択する)に来る。今回は直進して反時計周りを選択する。70m位降下するとT字路に来る。右方向へ進み、先ず、観音寺城址の見学に向かう。
■直ぐに苔むした往時を偲ばせる石段が現れる。観音寺城は嘗て、近江守護の六角氏の居城で、信長と戦をし、軍門に下ったそうである。
但し、周辺の砦が早々と落城したので、六角氏は戦線離脱し、無血開城だったそうである。
■階段を上がると本丸跡に達する。一部ではあるが、石垣も残る可成りの広さの広場である。赤い椿の花が雰囲気を和らげ印象的であった。
■来た道を引き返し、観音正寺へ向かう。巨大な青銅製の仁王様が参道の両脇を固め、参拝者を
睥睨していた。
■突き当りには本堂が聳え立っていた。仲々に大きく、堂々とした作りである。
■本堂の右側には、「えんむすび地蔵尊」、「水かけ観音」など一風変わった祠があり、お参りした後、本堂に上がり本尊の巨大な、白檀で作られた十一面観世音菩薩を拝ませて頂いた。
■当観音さまは西国33ヶ所の32番目の札所であり、多くの信者が参拝するそうで、私達が本尊を拝観している時も、正装した男性が一人、お経を唱えていた。因みに此処の御詠歌は「あなとうと 導きたまえ観音寺 とおき国より はこぶ歩みを」である。優しい調べである。休憩所に額が掲げられていた。
■昼食後、境内を出て車道を左方向に進むと、「繖山、三角点」と記された標識があり、そこから登山道に入る。階段道を登って行くと城壁の傍を通り、往路と合流し、繖山へ戻る。
■繖山では高校生の一団が休憩していた。地元の高校生で部活だそうである。各所で標識に「三角点」と記されていたので何処にあるかと彼らに聞いてみたら、「繖山」のネームプレートの直ぐ傍の、登山道の真中にあるではないか。三角点が先にあり、後から登山道を作ったのでこんな珍景になったのであろう。
■此処で三角点(2等)撮影と記念撮影を済ませる。
■後は安土山を眼下に見ながら階段道の下山を開始する。登頂時と同様に、又も延々と続く階段である。途中で足が笑い出しそうになったので暫し休息する。
■県道(朝鮮人街道と呼ぶ)に降り立ち、しばらく安土城址まで舗装路を歩く。500円の入場料を払って、入城する。数十年前に訪れた時には、大手道の石畳は草茫々であったが、今は綺麗に整備され観光客で賑わい、隔世の感がする。
■足元の小さな標識が、何ヶ所か石畳の材料として、地蔵様がそのまま使用されているのを教えてくれた。
城主が城主なら、石工も、なんとまあ無信心であったことかと驚く。
■やっと天守跡に着く。残っているのは数多くの礎石のみ。石垣に登り、田園風景と湖面を見渡す。昔は湖が直ぐ下まで来ていたそうであるが、今は西の湖の水辺は大分後退して遠くなっているので、信長が眺めた風景とは可成り異なろうが、それでも面影は残っている筈である。
同じ地に立ち、往時、信長は何を考えていたのであろうかと思うと、不思議な親近感に囚われる。
■天守跡の傍にある信長廟に参拝する。何の標識、案内もなく、樹木もなく、天下人のものとは思えない殺風景な廟である。
■廟所を後にし、下山は信長が菩提寺として建立したと言われる見寺跡を通る。本堂は焼失して礎石だけが残るが、重文の三重塔と仁王門は修理されてはいるが往時のまま残っていた。
何れも手入が不十分で、天下人の史跡としては侘びしい限りである。
■百々橋を渡り、活津彦根神社の参道を通り安土駅に無事、到着する。駅前の自販機で缶ビールを仕込み車中の人となる。
所感:
■山自体は小さな里山で、登山としてはもの足りないが神社、仏閣、城址など見どころ満載で歴史好きには面白いコースであろう。
■登山道は長い階段が多く、よく整備され歩き易いけれども、足の疲労度は大きいのでペースに注意。
■今回はノンビリペースで7時間も掛かり、歩行距離も15kmもあることから、初心者にはハードであるので、安土城址探訪を省き、代わりに繖山近くの桑実寺を加えるのも一案であろう。
■蛇足ながら、史跡・遺跡めぐりをする時は、事前に予備知識を学習しておくと興趣は一層、大きくなろう。