8月14日は聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日。喜界島教会の保護聖人。
「1894年にポーランドで生まれる。若くしてコンベンツアル聖フランシスコ修道会に入り、1918年にローマで司祭に叙階された。神の母マリアに対する子としての愛(マリアへの愛)に燃え。「無原罪のマリアの騎士会」と呼ばれる信心会を作り、ポーランドをはじめ他の国々にも広めた。宣教師として日本を訪れ、無原罪のマリアの保護のもとに、キリスト教信仰を宣べ伝えることに努めた。その後ポーランドに戻り、クラクフ地方のオシエンチム(アウシュビッツ)の強制収容所に入れられて多くの艱難を耐え忍んだ。第二次世界大戦のさなかに、死刑を言い渡された同僚の身代わりとなることを願い出て、1941年8月14日、愛の殉教者として、休むことを知らない生涯を全うした。」『毎日の読書』p.192 ()内加筆
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」 (ヨハネ 15:13)
「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」に献堂された喜界島教会
1882年6月19日、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭を保護者として献堂された。
神父さんは、昭和5年ポーランドから長崎に上陸し、以来昭和11まで同地で働き『聖母の騎士』を発行し、聖母の騎士会の修道院や学校の基礎を築いた。その頃、ポーランドでも聖母のために雑誌を出した、しかし第二次大戦中、コルベ神父の書いた記事の一部が、ナチス・ドイツ当局の避難を浴びて逮捕され、あの恐るべきアウシュビッツの収容所で脱走者の身代りになって殉教した。」 (『教会の聖人たち』から抜粋)
「聖母の騎士会」はコンベンツアル聖フランシスコ修道会の会員の聖マキシミリアノ・マリア・コルベによって、1917年10月16日に創立された信心会。この「信心会」は、10数年前に、故ヨハネ・パウロ二世によって、「信徒使徒職団体」に格上げされました。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」 (ヨハネ 15:13 )