喜界島の南西部の手久津久(てくづく)地区の崩り(くずり)遺跡で、12世紀頃製鉄が行われていたことを示す資料が発見された。
削り遺跡は総面積約1万5千㎡。2011年度から発掘調査が始まり、縄文時代の竪穴住居跡40基、12世紀ごろの墓2基などが発見されている。今回確認されたのは、製鉄炉の炉壁、炉から流れ出た精錬滓(さい)、炉内に残った残留滓、炉の底に敷かれた木炭粒。製鉄炉の大きさは高さ約90㎝、炉の内径約20㎝前後の小小型炉と推定される。
今後さらに調査が進み、学術的に確認できたら、歴史の教科書が書き変わるかも知れない。
「鉄は砂から採り出し、銅は岩を溶かして得る。」 (ヨブ記 28:2)
喜界島の南部 手久津久集落の崩り(くずり)遺跡で12世紀の頃の物とみられる土抗墓2基が発見された。焼けた骨と焼けていない頭骨が同時に発見されている。
カムイヤキ壺が蔵骨器として使用されているのは国内初の可能性が極めて高いとされている。
また、崩り遺跡では、縄文時代の建物跡が10基も発見されている。
手久津久集落の4つの遺跡の発掘面積は、約26万㎡で、先に発掘が完了して城久遺跡群の約2倍の面積があり今後の発掘調査分析が期待される。
「祭司アロンの子エルアザルに告げ、焼け跡から香炉を取り出し、炭火は遠くにまき散らすように言いなさい。香炉は既に聖なるものとなっている。」 (民数記17:2)
喜界島の中央部に城久(ぐすく)遺跡群と呼ばれる130,000㎡の広大な遺跡があり、2003年に発掘を始め、現在もなお発掘中である。
先日、滑石製石鍋の取手に「大」の文字が刻まれている様子がNHKで報道された。喜界島で最古の文字資料となり、極めて貴重な発見となる。
その城久の発掘現場の様子について、今日現地説明会があったので、参加した。これまでの調査で、南西諸島では他に類をみない9世紀、平安時代(約1200年前)から14世紀、室町時代(約600年前)までの大規模な集落群であることが分かっている。
建物の数約300棟、墓の数約40基、鍛冶炉跡、中国や朝鮮半島の陶磁器、東海地方の灰釉陶器(かいゆうとうき)などの貴重な焼き物が発見されている。特に越州窯系青磁(えっしゅうようけいせいじ)が注目され、大宰府の出先機関があったのではないかと言われている。
「主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた。」(詩編 105: 24)