じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

ジェローム神父さん

2013-03-19 22:00:54 | 歴史

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ジェローム神父さん10年忌の集い


 1952年11月27日朝、琉球丸で名瀬に第一歩を踏み出し。2003年3月19日に帰天するまで
奄美で働き続けた。

 聖ヨゼフの祭日の今日、ジェローム神父さんの追悼ミサとシェローム神父さんを偲ぶ集いが約100人の方が集まる中で行われた。

 「イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」」  (ヨハネ 20:21)


戦跡めぐり

2011-02-17 16:35:43 | 歴史

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一枚目:戦闘指揮所跡、二枚目戦闘機格納庫跡、三枚目:トーチカの跡、四枚目:震洋艇格納庫跡。

今でも喜界島には第二次大戦時の戦跡が残っている。ほとんど藪の中に隠れていた物を、掘り起こしている。後の世代に戦争の悲惨さを伝える為に。

今日はきかいシマ博覧会のひとつ、「島内に残る戦跡ツアー」に参加した。

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」 (イザヤ  2:4) 


震洋

2011-01-22 09:52:49 | 歴史

Dsc08499 Dsc08498 喜界島にもあった特攻艇 震洋 

 喜界島 早町の隣 白水 の海岸から少し離れた崖の下に 震洋 の格納庫の跡があった。喜界島には 第40震洋隊 が配属された記録がある。詳細は 下記のHPを参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E6%B4%8B

 「わたしの父はあなたたちのために戦い、命をかけて、あなたたちをミディアンの手から救い出した。」 (士師記  9:17)


アンゼラスの鐘

2010-06-21 17:23:36 | 歴史

Dsc06631_2 Dsc06632 名瀬の古い教会の鐘

現在の聖心(みこころ)教会の入口の近くに1922~1955年の間、旧聖心教会の鐘楼に設置して、朝、昼、夕と祈りの時を告げていたアンゼラスの鐘が飾ってある。

鐘楼からぶら下がっているロープを引いて鐘を鳴らすのだが、大人なら何も問題はない。僕が子どもの頃何回か鳴らしたことがあるが、まず体重を掛けて思い切りロープを下に引く、すると大きな音が鳴って、ロープが上に引っ張られる、すると体ごと一緒に上がる。そこで一回大きな音がする。そのまま我慢していると今度は下がるそこで大きな音、・・・という風に、ロープと一緒に体が上下することになる。止める時は、誰かもう一人の子どもがロープにぶら下がることになる。するとようやく鐘が鳴り止むのである。

そんな思い出の鐘である。

現在の聖心教会の鐘は、タイマーで自動的に祈りの時を告げている。

アンジェラスの鐘については下記URL参照。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/angelus.htm

「天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」」  (ルカ1:28) 


喜界島の羽衣

2010-05-12 16:54:02 | 歴史

Dsc06411 Dsc06409 Dsc06420 羽衣伝説

その昔、喜界島に天女が舞い降り、その時天女が着ていたと言われる羽衣が喜界歴史民俗資料館に残っている。実際にはノロの神具として使用された物。

歴史民俗資料館には他にも喜界島の歴史を物語る多くの民具、衣類、織機、農具などが保存されている。通常は施錠されているが、事前に連絡すれば中を観ることができる。

 「更に、眠っていると、頭に浮かんだ幻の中で、聖なる見張りの天使が天から降って来るのが見えた。」 (ダニエル4:10)


古銭出土

2009-09-18 17:12:47 | 歴史

Dsc04784 喜界島の城久(ぐすく)遺跡から古銭出土

 南海日日新聞(2009年9月17日)によると、現在発掘中の喜界島城久遺跡から南西諸島では初の北宋時代の古銭が出土したと報じられた。

 喜界町教育委員会は16日、喜界町公民館で会見し、城久遺跡から中国・北宋時代(960年~1127年)の通貨である北宋銭が6枚出土したことを発表した。同教育委員会では「祭祀の意味合いを持っているのではないか」としている。

 発掘が進むにつれ、新しい発見が多い。奄美、沖縄の歴史が大きく変わるかも知れない。

 「 国々の偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの。」 (詩編115:4) 


村田新八

2009-04-06 17:34:55 | 歴史

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「村田新八(1836年~1877年)の修養の碑」。

喜界島郵便局のすぐ裏手、湾小学校の校門へ通じる道の傍の民家に碑があった。

村田新八は幕末の薩摩藩士で、「島津久光の激怒を被り、西郷隆盛は徳之島へ、村田新八は喜界島へ(1862年)流され喜島家に預けられた。2年後(1864年)西郷と一緒にに許され、西郷が薩摩へ帰る時に一緒に帰った。」(説明書きの要約)

碑は小学校の生徒に見えるように屋敷の裏手に建てられ、正門へ通じる母屋のあった所は、当時の石垣が残り、現在果樹園になっている。

 「 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」 (詩編4:4)


俊寛の墓

2008-07-14 17:32:06 | 歴史

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「俊寛」と呼ばれている友人から「メールを始めました」という初メールが来たので、さっそく近くにある 僧俊寛の墓 へ行って写真を撮って来て友人に送った。

坐像の横にある撰文によると「町では、昭和50年10月国立博物館人類学部長に鑑定を依頼、人骨は相当身分の高い人物の遺骨と推定。隅金具の付いた木棺は木曽地方のクロベ材と推定。その結果俊寛の墓であることに自信を深めた。」とある。

「僧俊寛は1177年遠島になり、赦免されることなく1180年没した。」と書いてあった。

俊寛に関する作品:世阿弥『俊寛』、近松門左衛門『平家女護島』、芥川龍之介『俊寛』、菊池寛『俊寛』、などがある。

詩編 137:  1
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。」