カトリック大熊(だいくま)教会(ファティマの聖母)
1894年(M.27)8月15日、奄美で最初の教会が建てられた。1938年(S.13)、迫害により聖堂解体、名瀬に運ばれ、三方村役場公舎となる。仮聖堂を経て、1953年、神父と信徒の奉仕作業により、奄美で戦後最初の鉄筋木材コンクリート造りの聖堂完成、(以上『カトリック奄美100年』から抜粋)
旧聖堂老朽化の為2001年6年29日、現在の冷暖房を完備した聖堂が完成。鐘楼からはお告げの鐘が集落中に鳴り響いている。故障の時には、未信者の方から、「鐘が鳴っていませんよ」と連絡が入る。聖堂にはいつも主任司祭の活ける花が飾られている。
大熊小教区からは、司教を始め多くの聖職者が出ている。
「わたしを迫害する者、苦しめる者は多いが、わたしはあなたの定めから離れません。」 (詩編 119:157)
喜界島にある製糖工場を「WAKAGE」の皆さんと見学した。
主な行程は、砂糖キビを細かく砕く⇒搾る(絞りカスは発電ボイラー用の燃料)⇒蒸気で熱し濃縮⇒沈殿槽へ(沈澱物は良質の飼料)⇒結晶化⇒遠心分離機で糖蜜を分離(糖蜜として出荷)⇒結晶のみ乾燥させ製品倉庫へ(まるで砂山)⇒粗糖(ザラメ)として出荷
黒砂糖を作っていると思ったが、黒砂糖はどこにもなかった。グラニュー糖など色々な砂糖の製品を作る原料となる粗糖と糖蜜を作っていた。操業期間は12月頃から翌年の4月頃迄で、その間は装置のメンテナンスを行っているそうだ。
製造工程は全自動で自動制御されている。全行程を見学するのに約30分、途中で発生する廃棄物は全て燃料、飼料になり、全く環境に優しい。
「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。」 (民数記 14:8)
今日は啓蟄、冬眠していた虫も穴から出てくる季節、そんな日の前日、「ワカゲ」の皆さんと一緒に喜界島の地下をのぞいて来た。
まず、ビデオを見て概要を把握。次に地下トンネルに入る。地上には掘削した大きなドリルが展示してあった。蓄えた地下水を組み上げるための電力は大きな風力発電でまかなわれている。
地下ダムは全長約2,281M、その内、地上には「オオゴマダラ」(保護蝶)の生息地がある、366Mを地上部の保護のためトンネルにして工事をした。最大貯水量は3,047,000?
パンフレットには「地下水となって浸透し、海に流出していた水を地下に巨大なプール(琉球石灰岩の隙間に貯水)を造り水資源とした。大規模な地下ダムとしては国内2例目」とあった。これで飢饉に苦しんだ島民の大きな助けになり砂糖キビの生産が飛躍的に上がった。
「その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。」 (創世記 12:10 )
カトリック名瀬教会(イエズスの聖心)
現在の聖堂は1965年12月19日に完成。祭壇は1964年、米国ワシントン大司教区・司教座聖堂 聖マテオ教会(1963年に暗殺されたケネディー大統領の葬儀ミサが行われた)から貰い受けたもの。
最初の名瀬教会は1922年に完成、レンガ造りで「レンガ聖堂」と呼ばれた。戦争中は当局に没収され、日の丸が掲げられていた。『聖堂の日の丸』参照、1945年4月の空襲で焼失。
二つ目の名瀬教会は、1949年8月完成。1955年12月3日の大火で全焼した。その後倉庫を改造した仮聖堂を経て、現在の聖堂が完成。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。 (マタ 3:17 )