喜界島の中央部に城久(ぐすく)遺跡群と呼ばれる130,000㎡の広大な遺跡があり、2003年に発掘を始め、現在もなお発掘中である。
先日、滑石製石鍋の取手に「大」の文字が刻まれている様子がNHKで報道された。喜界島で最古の文字資料となり、極めて貴重な発見となる。
その城久の発掘現場の様子について、今日現地説明会があったので、参加した。これまでの調査で、南西諸島では他に類をみない9世紀、平安時代(約1200年前)から14世紀、室町時代(約600年前)までの大規模な集落群であることが分かっている。
建物の数約300棟、墓の数約40基、鍛冶炉跡、中国や朝鮮半島の陶磁器、東海地方の灰釉陶器(かいゆうとうき)などの貴重な焼き物が発見されている。特に越州窯系青磁(えっしゅうようけいせいじ)が注目され、大宰府の出先機関があったのではないかと言われている。
「主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた。」(詩編 105: 24)
以前、「ハリセンボン」 は島では食べないと書いたが、先日沖縄へ行った時に、従妹に案内されたレストランで、生まれて初めて「ハリセンボン」を食べた。
味噌汁に「沖縄トーフ」、「よもぎ」と「ハリセンボン」をじっくり煮込んであった。味は淡白で、珍味であった。料理の名前は「アバサー汁」、怒った時にふうーせんのように膨らむので、怒った人のことを「アバサー」と言う。奄美大島では「アバスィー」と言う。
毒が無く内臓まで食べた、こんなに美味しい魚なら釣って捨てたのが残念でならない。
「ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」 (詩編 30: 6 )
先月10月30日に失踪した人が、今日になっても帰って来ないので、町を挙げて捜索を開始した。
今朝7時に集落内の放送で
「捜索を開始しますので、協力される方は、午前8時に公民館前に集まってください。」と案内があった。さっそく着替えて、車で公民館前に行って見ると、すでに大勢の方が集まっていた。
警察と消防団の車もあった。全島くまなく捜索するには、警察と消防隊だけではとても間に合わない。8時から説明会があり、すぐに各班にわかれて捜索を開始した。
僕も区長さんの車に同乗し、一時間近く、島内を走り回った。9時過ぎに、区長さんの携帯電話に「失踪車を発見」の一報が入って、すぐに「残念でした」とのこと。
無事では無かったのがとても残念。僕たちも公民館へ向かった、戻って来た捜索隊の方に説明があり、お茶を飲んで解散した。
内地では考えられないほど、町民の結束力が強く、いざとなったらすぐ駆けつける島の人情に感激。
「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」 (ルカ 11: 10)