4月に我が家の天井裏で生まれた猫たちに久しぶりに出会った。
隣の家の塀の上で昼寝をしていた猫たちが、突然降ってきた雨に驚き、葉っぱの広いパパイアの木の近くに集まって、自分の場所を取るためにお互いに競い合っていた。
すっかり大きくなったが、まだ幼さが残ったおり、母親に甘えていた。
そんな中で、三毛猫の一匹だけが、少し離れた所に自分の場所をしっかり確保してのんびりとしていた。
食堂の出窓から、カメラを向けると、興味を示し、じっと獲物を見つめるような眼で見ていた。
「母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました。 わたしは常にあなたを賛美します。」
(詩編 71: 6)
ふぐ発見!
つかまえて 「寿々久」 へ持って行って、ふぐ刺し にと思っていたら隠れてしまった。
先日 スギラビーチへ行って夕陽の写真を撮りに行ったとき、潮溜まりに ふぐ らしき魚がゆったりと泳いでいた。シャッターを押したら驚いて逃げて隠れてしまったが、しばらくしてまた「ゆっくり撮って」と言わんばかりに近づいて来たので、アップで撮ってがっかりした。なんとふぐの仲間で体長15㎝位の「ハリセンボン」だった。
子供のころ釣りをして、いつも悩まされたのは、この「ハリセンボン」だった。すぐ釣れるけれども、島ではほとんど食べない魚で、釣って引き上げ、針の付いたゴムまりのように大きくふくらんだ「ハリセンボン」を、ころがして遊んだ記憶がある。
「 御手によって造られたものをすべて治めるように、
その足もとに置かれました。
満潮時の午後7時に囲いの中を覗いたら、5匹が頭を出して、じーっとしていた。7時5分に一匹が砂から這い出して小さな甲羅を覗かせた、すると時を待っていたかのように次から次へと砂からぞろぞろ小亀が出てきた。こどもも大人も小亀に向かって ガンバレー と大歓声!
7時10分頃には27匹が出揃って囲いの中を急いで這い回っていた。もう最後かな、と思っていると、7時30分頃に後から来たこどもたちに見せるかのように、またぞろぞろと6匹も出てきた。
NPO日本ウミガメ協議会の方が、網ですくって数匹の身体検査、体重は15g~20g、卵の重さは約40g、半分は小亀の餌なのだろう。その後こどもたちといっしょに「大きく育ってまたこの喜界島の砂浜に戻って来いよ」と海へ放流。
天よ地よ、主を賛美せよ、海も、その中にうごめくものもすべて。(詩編69: 35)
カトリック教会のある湾集落から北へ赤連(あかれん)を経て次の池治(いけじ)海水浴場の南側の端に砂浜をベニヤ板で囲った部分があった。
「 注意! ウミガメ産卵場所 さわらないで下さい 役場企画課」と書いてあった。「ウミガメは鹿児島県の ウミガメ条例 で保護されています。」とも書いてあった。5月に町民の通報によってウミガメが産卵した跡を喜界町役場が確認し、囲って保護し、孵化を誰かが確認したらすぐ町役場へ通報することになっている。孵化した亀はしばらくの間囲いの中で、うろうろしている所を町役場の職員が数を確認してから海へ離すことにしているとのこと。かわいそうに、でも2日位は大丈夫だそうだ。今日は旧暦の7月1日、新月、満潮が19:43分、砂が少し凹んでいる所をじっと見つめて待っていたが孵化する様子がないので、明日の早朝に見に来ることにした。是非ウミガメの赤ちゃんに会いたい。
「駝鳥は卵を地面に置き去りにし、砂の上で暖まるにまかせ」 (ヨブ記 39: 14)
「8日夕方、沖縄本島近海を震源とする地震があり、鹿児島県奄美南部の与論町で震度5弱の揺れを観測しました。」とNHKで放送された。
本土(内地とも言う)の友人・親戚から、心配して電話、メールが来た。全く気が付かないほど、揺れがなかった。
過去、「阪神淡路大震災の後、喜界島で大きな地震があった。」 と 島の人が話していた。その時大きな揺れで津波を心配して皆高い所に避難したが、何事も無かったそうだ。
お墓の骨壷が割れる被害はあったそうだ。大都会ほど壊れる物が無いので、被害が少なかったのだろう。
でも、毎年2mm隆起している喜界島だ、ストレスがたまり大きな地震が起きるかも知れない、注意するに越したことはない。「備えあれば憂い無し」。
そんな時のんびりと「オオゴマダラ」が近くに来たので近づいてシャッターを切った。
イザヤ 29: 6
「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共に、つむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに。」