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暮らしの裏側の酷さやまやかし、危険性・不健全さに迫る!

終戦の日・安倍政治の暴走は歴史が教える「戦争とファシズムへの道」へ!*赤旗だより/少数派

2019年08月16日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな(赤旗だより)
終戦の日・安倍政治の暴走は歴史が教える「戦争とファシズムへの道」へ!

Akahatan05

■安倍改憲加速は過(あやま)った戦前の東条英機独裁政治の再現に通じる
投稿はしんぶん赤旗を活用しております/アジアと日本の国民に甚大な犠牲をもたらしたアジア・太平洋戦争で日本が敗れた1945(S20)年8月15日の終戦から74年になります。先の参院選で国民は「改憲勢力3分の2割れ」の審判を下しました。それにもかかわらず、安倍晋三首相は改憲を議論する「審判は下った」と居直り、憲法9条に自衛隊を書き込む改憲への動きを加速させようとしています。世論を無視した強権政治、国民を欺く政治を許せば、民主主義は壊され、戦争とファシズムへの道につながることは、歴史が明らかにしています。暴走政治を終わらせる闘いが重要になっています。

1941(S16)年12月にアメリカのハワイ・真珠湾や当時イギリス領だったマレー半島のコタバルを奇襲し、アメリカやイギリスを相手にした戦争を始めた東条英機内閣は、絶対主義的な天皇制の下、首相が陸相や内相、参謀総長を兼任して強力な権力をふるう「東条独裁」と呼ばれる体制でした。改悪した治安維持法や国防保安法を使い、戦争や政府を批判する言論・政治活動を厳しく弾圧しました。陸相の地位を使い、憲兵を私兵にして、政敵を抑え込むことまでしました。「東条独裁」は、戦争と国民抑圧の専制政治が一体不可分であることを示す一つの象徴です。

■310万人の日本国民とアジア諸国民2000万人の犠牲は日本の責任
15年にわたる侵略戦争の発端となった1931(S6)年9月の「満州事変」は日本軍のでっち上げで始まりました。当時「満州」と呼ばれた中国東北部で日本軍が仕掛けた鉄道爆破を中国側によると偽り、国内外を欺いて戦争につき進んだのです。その後の日中全面戦争への拡大(37年)や、41年の米英などとの開戦も、「自存自衛」などと主張し、盛んに繰り返した「大東亜新秩序」という言葉も、侵略と領土拡大の目的をごまかすためでした。日本の戦果を過大に宣伝した「大本営発表」は、ウソで固めた戦争の異常な姿を浮き彫りにしています。

アジア・太平洋戦争の結果、310万人以上の日本国民と、2000万人を超すアジア諸国民が犠牲になりました。原爆投下や空襲で日本各地は焦土と化し、日本の侵略と植民地支配はアジア諸国などに大きな被害を与え、その深い傷あとは、今も消えていません。日本軍「慰安婦」問題や、中国大陸からの「強制連行」、朝鮮半島からの「徴用工」問題は、日本の責任が問われ続けている大きな課題です。

■徴用工・慰安婦問題など過去の歴史に向き合い韓国と話し合いで解決を
今、日韓間の焦点になっている「徴用工」問題は、被害者の名誉と尊厳が回復できるよう、日本と韓国の政府間で話し合って解決すべきなのに、貿易問題をからめて一方的な措置をとる安倍政権の姿勢は重大です。過去の歴史と真剣に向き合わなければ、国際社会での信頼・友好は築けません。安倍首相は、改悪した憲法を2020年に施行したい思いは今も変わらないと公言しています。戦後75年の節目に、そんな野望を許してはなりません。まさに日本は、歴史的な岐路に立っています。

侵略戦争への痛苦の反省のうえに制定された日本国憲法は、その前文で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないや(よ)うにすることを決意し」とうたっています。この言葉を心に刻むときです。安倍政権が目指す、「戦争する国」への道を必ず阻みましょう。

しんぶん赤旗の複製可能範囲内において、投稿者によって一部割愛や
それに伴う接続文章等の修正・タイトル付けを行いました。


投稿者からのひと言/高齢者は、太平洋戦争突入時と今が似ていると言います。東条英機首相の弾圧政治、治安維持法などを使い戦争を加速させた頃と、安倍首相の改憲・戦争へ前のめりなことが、極めて似ているからでしょう。日本が、中国・韓国を侵略した事実は拭い切れません。だからこそ徴用工・慰安婦問題は、現代でも日本の態度が問われるのです。加害者は、2度も3度も被害者に害を加えてはなりません。戦争の過ちは、今日まで引きずる重大な我が国の責任なのです。日本国民は、歴史を勉強しなければなりません。

Akahatatop

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元首相などが晩年になると戦争反対を訴えるがなぜ現役時に言わぬ/うるせーオヤジだ!

2019年08月11日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/うるせーオヤジだ!

Sind1481443b

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政府は太平洋戦争の空襲被害者へ責任を認め救済と解決を急げ*赤旗だより/少数派

2019年05月14日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな(赤旗だより)
政府は太平洋戦争の空襲被害者へ責任を認め救済と解決を急げ

Akahatan05

■無差別爆撃による民間の空襲犠牲者は原爆犠牲者などを含め約50万人
投稿はしんぶん赤旗を活用しております/アジア・太平洋戦争末期、東京をはじめ名古屋や大阪など全国約400の市町村が、米軍の無差別爆撃で甚大な被害を受けました。約300機の米軍B29爆撃機が東京・下町地区に大量の焼夷(しょうい)弾を投下し、街ごと焼き払った1945年3月10日の東京大空襲は一夜で約10万人の命を奪いました。国が始めた戦争で筆舌に尽くせぬ体験をし、戦後も終わることのない苦難を強いられた民間の空襲被害者と遺族に、日本政府は謝罪も補償もしていません。被害者らは高齢化し、亡くなる方も少なくありません。国は自らの責任を認め、解決を急ぐべきです。アジア・太平洋戦争で日本は侵略した各地の住民に多大な犠牲と損害を与えましたが、日本の諸都市に対する米軍の無差別攻撃も激烈でした。それは広島・長崎への原爆投下で頂点に達しました。民間の空襲犠牲者は原爆犠牲者などを含め約50万人にのぼります。

都市への無差別爆撃の本格的な始まりとされる日本軍の重慶爆撃(1938~44年)、戦争末期の米軍の日本各地への空襲などは、いずれも国際法違反であることは明白です。同時に被害を拡大させた戦時下の日本政府の責任は重大です。政府は防空法制で「空襲から逃げるな、火を消せ」と命じました。また戦争遂行のため、「空襲は怖くない、逃げる必要はない」と偽りの情報を流し統制しました。そのため被害は広がり、多くの犠牲者を生みました。大阪空襲をめぐる国の責任を問う被害者の訴訟で大阪地裁と同高裁は、情報統制と防空法制という政府の政策によって国民が危険な状態に置かれたことを認める判決を出しました。原告への賠償は認めない判決でしたが、国は司法による事実認定を重く受けとめるべきです。

■被害者の救済要求の根底には「再び戦争を起こさせない」という平和への強い願いが
戦後、政府は元軍人・軍属に補償する一方、民間の空襲被害者には「国との雇用関係がない」「戦災は等しく受忍すべきだ」として救済を放置してきました。爆撃で手足をもがれたり、大やけどでケロイドが残ったりして障害を負った被害者、肉親を殺され孤児になった遺族らは、国が戦争の犠牲者として認めないことで人間としての尊厳を傷つけられてきました。名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さんは1972年、「全国戦災傷害者連絡会」を結成し、救済法の制定にとりくみました。同会は2010年、「全国空襲被害者連絡協議会」が発足した際に合流します。「なぜ憲法で平和、民主、人権尊重をうたう国で、こんな不条理が許されるのか」。被害者はこの思いで国に謝罪と救済を求めています。杉山さんは2016年、101歳で亡くなりました。平均年齢が80歳を超え、被害者と遺族は「もう待てない」と切実な声を上げています。

超党派による国会の空襲議員連盟は、アジア・太平洋戦争中に空襲や艦砲射撃などで身体障害を負った生存者に一時金を支給するなどの空襲被害者救済法案の骨子素案をまとめました。素案には戦災孤児や精神障害を負った被害者らの実態調査や追悼施設の設置などが盛り込まれています。被害者の救済要求の根底には「再び戦争を起こさせない」という平和への強い願いがあります。政府と国会がこの叫びにこたえることが求められます。

しんぶん赤旗の複製可能範囲内において、投稿者によって一部割愛や
それに伴う接続文章等の修正・タイトル付けを行いました。


Akahatatop

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京都の五条通・堀川通が異様に広いのは戦争中の空襲対策だった/少数派

2019年05月14日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
京都の五条通・堀川通が異様に広いのは戦争中の空襲対策だった

Mind784470

そうだ京都、行こう。(笑)
京都はめっきり風情がなくなったとは言え、まだまだ古都らしさが残っています
路地も複雑に入り込む中、
五条通・堀川通だけが異様に広いことに違和感を持ったんです

かなり以前に、
1年半ぐらい京都で暮らしたことがあり当時から不思議に思っていました
京都の方に馬鹿にされそうだが、新聞の投書欄を読み初めて知った次第です


理由は、戦争中の空襲による類焼が懸念され、
強制的に家を取り潰し空間を作った
惨禍はなかったものの、戦後、跡地をそのまま道路整備したためだそうだ

野暮な役人の愚かな政策だが
今日の状況から見て、
後付けながら防災・火災予防・道路事情の先見の明とも言える・・・
とはいえ現在は渋滞が常態化していますね


個人的な見方を言えば、全体の街並みから見れば極めてバランスが悪い
これも“戦争の爪跡”の1つと言えます

なお京都には空襲がなかったとされることは誤りです
他都市のような大規模ではないものの、悲惨な記録が残っています

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戦後72年、ポツダム宣言認めぬ安倍首相・戦争を反省しない政治*赤旗だより/少数派

2019年05月14日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな(赤旗だより)
戦後72年、ポツダム宣言認めぬ安倍首相・戦争を反省しない政治の危険

Akahatan05

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。

■日本の侵略戦争によってアジア・太平洋諸国で2000万人以上が亡くなる
投稿はしんぶん赤旗を活用しております/アジアなどの諸国民と日本国民の莫大な犠牲の上に、日本が1945年8月にアジア・太平洋戦争に敗北してから72年を迎えました。戦後日本は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ことを決意したにもかかわらず、歴代政府の中でも、とりわけ安倍晋三政権はその反省を欠落させ、秘密保護法や安保法制=「戦争法」の強行、「共謀罪」法の制定など、戦争への道をひた走っています。再び「戦争する国」を許さず、世界と日本の平和に貢献することこそ、戦争への反省と教訓を生かす道です。

1931年の当時「満州」と呼ばれた中国東北部への謀略的な侵略(「満州事変」)に始まり、1937年の「盧溝橋事件」をきっかけにした中国全土への侵略の拡大、さらにその中国での権益の確保とアジア・太平洋地域での新たな領土と資源を求めて始めた1941年の東南アジアやハワイへの攻撃など、15年にわたる戦争は、亡くなった人だけでもアジア・太平洋諸国で2000万人以上、日本で310万人以上に上ります。領土を奪い、権益をむさぼった日本の違法・不当な行為は、当時も国際社会から厳しく批判され、敗戦に際して日本が受け入れた「ポツダム宣言」は、軍隊の武装解除や戦争犯罪人の処罰などを求めたのです。

■自民党も受け入れたポツダム宣言・東京裁判・憲法を安倍首相は転換す
日本は陸海軍の解散、戦争犯罪人を裁く「東京裁判」の開始とその結果を認め、1947年には新たに憲法を施行して再び戦争への道を進まないことを内外に約束しました。戦後のほとんどの政権を担当した保守政党や自民党も、「ポツダム宣言」や「東京裁判」、憲法の基本原則などを受け入れてきました。それをあからさまに転換しようとしているのが安倍政権です。安倍氏は首相に就任する前から、「東京裁判」を「勝者の裁き」などと非難し、憲法は占領軍によって押しつけられたなどと主張する異様な思想の持ち主です。

その安倍氏が首相就任後、日本が敗戦の際受け入れた「ポツダム宣言」を「つまびらかに読んでいない」から論評できないと事実上否定したのが、「戦争法」審議中の2015年5月です。国際社会に日本の降伏を否認してみせたのも同然です。安倍首相がそうした考えで侵略戦争や植民地支配を肯定しようとしたのが、同年8月の戦後70年にあたっての「談話」でした。内外の批判によって過去の談話などを引用しはしましたが、「談話」自体は日本が間違った戦争を行ったという歴史認識は示さず、自らの言葉では「反省」も「おわび」も口にしないものでした。首相はその後も、終戦記念日の談話などで同じ態度をとり続けています。

■平和憲法空洞化・安倍首相が進める「戦争への道」を絶対許してはならぬ
日本の戦争の誤りを直視しない安倍政権が繰り返してきたのが、秘密保護法の制定(2013年)、「戦争法」強行(2015年)とその具体化、「共謀罪」法制定(2017年)など戦時体制を整える数々の策動です。ついには憲法に自衛隊を書き込み、平和原則を空洞化させる「明文改憲」の企てさえ言いだしています。過去の戦争の誤りを反省しない政治は危険です。一切の戦争への道を拒否するとともに、安倍政権の一日も早い退陣の実現こそが必要です。

しんぶん赤旗の複製可能範囲内において、投稿者によって一部割愛や
それに伴う接続文章等の修正・タイトル付けを行いました。


投稿者からのひと言/天皇陛下は8.15の全国戦没者追悼式で、「ここに過去を顧み、『深い反省』とともに、今後、惨禍が再び繰り返されないことを切に願い・・・」(カッコは投稿者による)のお言葉を述べられました。「深い反省」の言葉は3年連続で使われ、不断の言動から重みがあります。一方、安倍首相は、相変わらず主語がなく意味不明、表面上の“平和”に終始しました。広島・長崎平和式典への出席と同様に、追悼式で挨拶する資格はありません。

Akahatatop

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<復活決定>広島市小中学校の平和教育「広島原爆の日(8/6)」の登校を復活せよ/少数派

2019年05月14日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
広島市小中学校の平和教育「広島原爆の日(8/6)」の登校を復活せよ

20171119

2018.8追記/懸念されましたが、2018年は復活されました。

■生徒は毎年登校し8時15分に黙とうや被爆体験の話を聞くことになっていた
広島市立小中学校の多くで実施されてきた「広島原爆の日」(8/6)の登校が、2017年から取りやめになってしまいました。広島市出身の方には失礼ですが、8/6が登校日なのを初めて知りました。昨年までは、毎年、登校当日は投下された8時15分に黙とうや被爆体験の話を聞くことになっていました。平和教育の衰退に繋がるのでないかと危惧する方もいて、私も復活すべきと思います。そもそも原爆の日の登校が始められたきっかけは、2005年市教育委員会の調査で、原爆投下の日を知っている小学生が5割を切ったことです。危機感を抱いた市教委の指導で、その後順次実施され、平日の年なら8~9割が実施するほどに定着しました。2015年の調査では、8割近くが正しく答えることができるようになったようです。

一転、2017年から登校がなくなった理由が行政の問題です。少々ややこしいのですが、従来、市立校の教員は広島県が給与を負担する「県責職員」でした。それが今年度から、広島市に権限が移されました。すると教員にも市の条例が適用され、「8/6は家庭で慰霊や平和を考える日として、市職員の休日とする」ことになったのです。市教委は、「登校日が6日でなくても平和教育はできる。平和教育の後退ではない」と説明しています。この変節は、何なんですかね。先生に気を使ったのでしょうか。やはり市民からは、「登校日がなくなれば、原爆の日の意味は急激になくなる」と反対の声が出ています。市議会からも声が出ており、来年2018年以降について再検討を始めました。 2018.8追記/上記の通り2018年は復活。

■平和教育は小さな子供の頃から行うことの重要性を感じる
因みに長崎市は、1971年以降、市立小中学校で実施され、現在では県内の全ての公立校が8/9を登校日としています。国連の核兵器禁止条約は、参加国の2/3、122か国が賛成票を投じ可決されました。しかし日本は世界で唯一の被爆国、被爆者の願いも虚しく反対に回ったのです。米国の核の傘で守られている配慮からです。戦後70年を経て、戦争の愚かさを後世に伝えにくくなっています。やはり広島・長崎こそこれからも大きな声を出すべきで、その根幹となる平和教育は、小さな子供の頃から行うことの重要性を感じます。

Sankoub 広島原爆ドームの目先に牡蠣船料亭が移転し市民が撤去運動を広げる

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海外派兵の戦死に備え殉死自衛官への弔慰金を9000万円に増額/少数派

2019年05月14日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
海外派兵の戦死に備え殉死自衛官への弔慰金を9000万円に増額

M696352 自衛隊輸送機

■自衛官を世界の危険な戦闘地域に送らないことが先決
任務中の自衛官の死亡や傷害事故に国が支給する弔慰金~正式には賞恤(しょうじゅつ)金が、最高6,000万円から9,000万円に増額されることが分かりました。防衛省はハッキリと、海外派兵の拡大による「戦死リスク」の増加に備えるものと言い切っています。過去にも、イラク派兵やアフリカ・ソマリア沖での海賊対処などの海外派兵に伴い、その度に増額されてきた経緯があります。亡くなった自衛官に厚く弔う行為は分かりますが、危険地域に自衛官を送らないことが先決です。でも米国の要請には断り切れない、日本政府の対応がガンなのです。

弔慰金は自衛官の他に、警察官・消防士が殉死した時に地方自治体から支給される制度も確立しています。自衛官の増額の背景には、消防士等よりも自衛官のほうが低い現実もありました。しかしどちらの金額が多い少ないの判断ではなく、国民や財産の安全を守る自衛官・警察官・消防士の殉死に対する補償は、厚くすべきと考えます。但し弔慰金以前の在り方として、警察官・消防士が凶悪犯や猛火の中を突入した結果の殉死と、みすみす死にに行かされた自衛官とでは遺族の思いは異なるでしょう。

■自衛官や私達の夫・子供が米国の戦争に巻き込まれる戦争法案を廃止すべき
安倍首相は「戦争法案」を国会に通す際、海外派兵に際し「一人も自衛隊員をも殺させない」と国会答弁で絶叫しました。生命を脅かせず隊員へのリスクや不安を取り除いた、万全な対策をしてあるとも繰り返しました。私や国民、当の自衛官達の多くは「そんなことはないだろ!」と直感しており、非戦闘地域(兵たん)でも戦闘地域と同じような危険があると認識していました。自民・公明党は、「一人も自衛隊員をも殺させない」前提で戦争法案に強く賛成しました。一方で自衛隊の活動範囲や海外任務が広がることで、『リスクを負う自衛隊に名誉と処遇を与えるのは政治の責任だ』と言い、弔慰金を9,000万円に増額する始末。この矛盾した言動に、安倍首相や自民党らの詭弁だったことが見えてきます。

米国のために、あるいは国民や遺族への言い訳として9,000万円で義理が立つと考えている証拠です。辛うじて「戦死」は逃れたものの、海外派兵後、日本に帰国してから40人の自衛官が自殺しています。数字は明らかにされていませんが、恐怖経験が引き起こすPTSDを患う人が、自殺者以上にいるはずです。非戦闘地域であっても、戦争の恐怖はそれほど凄まじいものと思われます。安倍首相も自民党らの多くも、「行けば自衛隊員が死ぬ」ことは分かっているはずです。だから国民も自衛官や若者を戦場に行かせてはならないとして、全国の老若男女が各地で暑い中・雨の中、大声を上げたのです。妻や子供・両親などの遺族は、“名誉の戦死”として納得するでしょうか?今からでも「戦争法案」をひっくり返し、廃止すべきです。

Sankoub 海外派兵自衛官は1人も殺されていない?でも帰国後の自殺者が40人

Ntopkeiji

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浅見光彦・遺譜2 日本人には思想がないから戦争や原発を許した/少数派

2019年04月26日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
浅見光彦・遺譜2/日本人には思想がないから戦争や原発を許した

M20150523

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
追記/内田康夫氏は2018.3.13没 (83歳)

前回に続き、内田康夫の浅見光彦シリーズ「遺譜・浅見光彦最後の事件」・上下2巻を読んで、感銘した文章を抜粋したものです。飽くまで小説上のことで、浅見光彦が酒を酌み交わした神主(旧日本軍の特務機関所属の設定)と言葉です。
※当然、著作権を有しますが、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。ブログタイトルは、投稿者によるものです。

『(原発の~※投稿者追記)危険を察知しても止められん。見て見ぬふりをして進んでしまう。最悪の事態は起きないものとして、いま現在、目の前にある利益を享受しようとする。経済界ばかりや政治家どももそうや。いや、日本民族全体の気質というてもええ。ごく稀に異論を言う者もいるが、あくまでも少数でしかなく、社会的には異端で片づけられる。ブレーキが利かん状態で車を走らせるようなもんやな。

設計し製造した者は、いつか必ず事故が起きると分かっとるはずなのに、そのことには口を噤(つぐ)んで、人々が嬉々としてドライブする姿を傍観しとる。その挙げ句、事故が起きても誰も責任を取る者がおらん。責任回避というより、当の責任者は墓の下に入ってしもとるかもしれんし、あるいは国民全体が責任を分かち合うことで、事態の収拾がはかられる。

敗戦直後、新聞に「一億総懺悔」いう記事が出た。まだ民主主義でもないのに、国民全体が戦争責任を負うかのごとくに言われても、あえて反発することもせず、妙に納得してシュンとなってしもた。そうしてたがいの傷を舐めあい、ひたすら生きることに精を出し、今日の繁栄を作り上げた。世界が驚いたこの復元力こそが日本人の資質の最も優れたところやが、あいも変わらず、行く手にある落とし穴に気づかずにおる。

気がついとっても、見て見ぬふりを決め込むんや。穴に落ちてからあらためて愕然とする。約束が違うと騒ぎ立てる。とっくから穴のあることを知っとった連中は知らんふりを決め込む。いや、国民大衆かて、うすうすとは知っとったかもしれん。アメリカ相手に戦争を仕掛けて、勝てるはずがないことは、民間人はともかくとして、少し理論のある軍人のほとんどは分かっとったんやが、それでも止める勇気のある者は現われなかったか、現われても無視され、あるいは抹殺されたんやな。

いかに優れた車であろうと、運転する人間に思想がなければ、いつか必ず暴走する。いかに繁栄する社会といえども、時にブレーキを踏む思想家がおらんかったら、いつか必ずこけるような何らかの不測の事態に直面する。そうなってもなお懲りずに、繁栄に浮かれとった者どもは、惰性にまかせて突っ走ろうとするやろな。それすらも止めることのできる思想が、わが国には確立しとらんのや。』

Sankoub 前号/遺譜1・日本人には思想がないから戦後経済活動ばかりに走った

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浅見光彦・遺譜1 日本人には思想がないから戦後経済活動ばかりに走った/少数派

2019年04月26日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
浅見光彦・遺譜1/日本人には思想がないから戦後経済活動ばかりに走った

M20150522

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
追記/内田康夫氏は2018.3.13没 (83歳)

内田康夫の浅見光彦シリーズは、ご存じの通り書籍・TVドラマでも大人気です。「遺譜・浅見光彦最後の事件」・上下2巻~を読んで、感銘した文章が出てきたので抜粋してご案内します。2回に渡り、お届けします。飽くまで小説上のことですが、浅見光彦が丹波篠山の小料理屋で酒を酌み交わした神主(旧日本軍の特務機関所属の設定)の言葉です。ストーリーとは全く関係なく、著者:内田康夫が言いたかったことで、戦争の反省もなく経済ばかりに力を入れた、戦後日本への失意が述べられています。
※当然、著作権を有しますが、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。ブログタイトルは、投稿者によるものです。

『戦争に負けて、日本人がまず失ったものは誇りやな。日清、日露という大国相手の戦争で負けんかったことで、日本人には驕りがあった。遠くは元寇(げんこう)で神風が吹いたという伝説まであったために、神国日本は永久に不敗だと思い込んでいた。それがこっぴどく負けたもんやから、誇りも宗教心もいっぺんで消えてしもた。あんたは知らんやろが、敗戦直後の日本人は誰もかれもが無気力で、ただ食うため生きるために、おろおろと蠢(うごめ)いとるようなもんやったよ。

占領軍のやつらに「精神年齢は十二歳程度」などと揶揄されても、反論もできんかった。しかし日本人の賢さと勤勉さが、驚異的な復興をなし遂げる。空襲で一面の焼け野原、廃墟と化した東京が、敗戦からわずか十数年後にはオリンピック誘致に名乗りを上げ、実際、十九年後の昭和三十九年にオリンピックを開いてしもた。食うや食わずで育った若者たちが金メダルを取るのを目のあたりにして、日本人がようやく誇りを取り戻した瞬間や。

その勢いで背中を押されるように、経済発展も目ざましいものがあった。戦力ではなく経済力で追いつけ追い越せとばかりに遮二無二働いて、ついにアメリカに次ぐ経済大国にまでのし上がった。けど、金儲けばかりに励んでいるうちに、あんたがさっき言うたとおり、道徳心と謙虚さが希薄になった。神を畏れぬ所業がのさばりだした。何も造らず肉体労働もせずに、ただ机の上のパソコンを操ってのマネーゲームで金儲けする連中がセレブとかいうて幅をきかしとる。

性道徳は頽廃(たいはい)し、これまでには考えられんかったような悪質な犯罪が、いとも容易く横行する。経済力や国力に関しては誇りを取り戻したが、その代わり人間としての誇りは失ったわけやな。あんたが言うたとおり、日本古来の道徳心も謙虚さも、わしが神主やから言うわけやないが、敬虔(けいけん)な宗教心も消えてしもた。

ドイツでは森の減少が進むのに危機感を抱いて、対策を講じとるそうや。元来、ゲルマン民族は森を愛する民族や言われとったのが、相次ぐ開発によって森林の二十パーセントが失われてしもた。文明の進歩こそが豊かさの証明やとばかり考えて、ほんまに大切なものが何やったかを忘れとったんやな。とはいえ、そこに気がついて、すぐに軌道修正をするところが、いかにもドイツ人らしい気質と思わんかね。

原発のこともそうや。究極の文明のごとくに思われた原発が、じつは人類が発明した最悪の危険物やいうことを悟って、脱原発を模索し始めた。こんなんはごく当たり前のような話やが、これがなかなかできん。危険やと分かっとっても、経済効率を優先する気風がのさばっとる社会では、動いているものを止めるいうのは難しい。そういう英断が下せるのは思想がしっかりしとるからや。思想とは物事を改革、進化させる原動力とのみ考えがちやが、過ちを改むるに憚らんことも思想の力があってのことや。残念ながらわが国にはその力が欠如しとる。』 <次号に続く(下記リンク)>

Sankoub 次号/遺譜・2日本人には思想がないから戦争や原発を許した

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広島原爆ドームの目先に牡蠣船料亭が移転し市民が撤去運動を広げる/少数派

2019年04月26日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
広島原爆ドームの目先に牡蠣船料亭が移転し市民が撤去運動を広げる

M185927
牡蠣船かなわは写真右下から外れて100m下流の位置です

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
追記2018.9.19/広島地裁は、国の許可の判断に「看過しがたい過誤があるとは認められない」として、被爆者や近隣住民ら原告側の請求を退ける判決を出した。

広島を流れる元安川は、原爆ドームや平和資料館、川岸には原爆を悼む数々の建築物や碑が並んでいます。私も何度か行きましたが、厳粛さや独特の緊張感を持ちます。しかし原爆ドームや爆心地から200m、原爆犠牲ヒロシマの碑の目の前に、牡蠣船(かきふね)形式の料亭「かなわ」が移転・新築され、遂に2015年9月から営業を始めたのです。市民は「被曝地の心を逆なでする」「追悼・鎮魂の場に、なぜ酒食店を営業するのか?」「世界遺産のバッファゾーン(緩衝地帯)なのだから、景観は守られるべき」と、撤去へ向けての運動や抗議の署名活動を行っています。

牡蠣船とは川辺に係留した和船のことですが、「かなわ」HP(下記参照)の通り、建物の形は一般の料亭と全く変わりありません。「かなわ」の営業は案外歴史が古く、半世紀以上前の1963年から経営しています。元々は同じ元安川沿いでも、現在より400m南の下流の位置にありました。しかし治水上の問題で、国交省・中国地方整備局から移転を求められ、広島市が河川法に基づき、現在の位置に許可を出した経緯があります。そのため市民は真っ先に認めた広島市を批判し、世界遺産条約違反として国に提訴したのです。今後も、裁判の成り行きに注目していきたいと思います。

M20151013c
投稿者が地図に一部地名を追記しました

改めて、電子地図で確認してみました。「かなわ」の場所は、灯和の径(とわのみち)沿いには原爆犠牲ヒロシマの碑の他に、平和祈念碑・「平和の祈り」句碑など、特に多くの碑や原爆の悲惨さを物語る記念物が残っています。よりによって、何もこんな場所に作らなくてもと思いました。ご存じのように原爆ドームは、多くの大切な命が奪われ世界の恒久平和実現の願う場です。広島市民だけでなく、全国から亡くなった方への鎮魂の思いが込められています。役人の感覚はどこでも凡そズレていますが、許可した広島市側も問題です。あなた達は、ドコの役人ですかと言いたいですね。

この一帯に新たな物を設置する場合は、世界遺産委員会の同意が必要です。広島市は、こんなことも知らないのでしょうか?世界遺産の登録に決定的な影響力を持つイコモス・その国内委員会は、「景観を規制するだけでなく、この遺産の持つ鎮魂と平和の祈念が深く繋がりを持ったエリアとして認識されるべき」と、広島市長に懸念を表明しました。広島ユネスコ協会会長も、「原爆ドーム界隈は、景観保護エリアに指定されている」と指摘しています。京都を始め各地で、歴史ある建築物の近くに高層マンションやビルを作る日本人の感覚は、世界から物笑いになっています。

この場所になった経緯は分かりませんが、しかし「かなわ」は普通の感覚ではないと思います。先程からのように、店のすぐそばには「天がまっかに燃えたとき/わたしのからだはとかされた」と刻まれた、原爆犠牲ヒロシマの碑が建っています。にも関わらず「かなわ」では、犠牲になった学童が持っていた黒焦げの弁当を、再現するメニューを作る動きがあるそうです。学童を偲ぶことにはならず、愚弄するものです。とんでもないことです。原子爆弾投下から70年以上経ちましたが、広島市民のみならず日本人全体として、「2度と戦争をしない」「平和の重要性」を世界に訴えていきましょう。

Sankoub 料亭かなわHP

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戦争終結への昭和天皇の「聖断」を美化するのは正しい歴史認識ではない/少数派

2019年04月26日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
戦争終結への昭和天皇の「聖断」を美化するのは正しい歴史認識ではない

M3046958 皇居東御苑(大手門)

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。
◇今後、投稿削除、あるいは大幅な修正を行う予定です。

映画「日本のいちばん長い日」の流れは、昭和天皇の「聖断」によって戦争が終わり、国民が救われたことになっています。これは、日本が犯した戦争の誤りを正しく伝えていないと思います。半藤一利氏の原作を読みましたが、終戦直前の丸1日の軍部・政府の動きを淡々と、かつ詳細に渡り丁寧に語っています。しかし映画ともなると原作とは視点が逸れ、兵士の英雄視・戦争美化に陥っています。今更、天皇の戦争責任を追及しても仕方ないと思う方もいますが、節目の今こそ「正しい歴史認識」を持つべきと思います。そこで新聞に掲載されていた、現代史家の山田敬男氏の「昭和天皇の戦争責任」の要約をご覧頂きたいと存じます。

『第1に、昭和天皇の「聖断」を美化しており、それまで戦争終結の機会に何も手を打たなかった結果の、遅い決断に過ぎない。1945年8月10日、14日の御前会議における2度の「聖断」によって、ポツダム宣言の受諾が正式に決定された。しかし、遅いのである。7月26日、連合軍が日本の降伏条件であるポツダム宣言を発表したが、日本は最高戦争指導会議も開かず、鈴木貫太郎首相は「黙殺」「戦争完遂」を表明する。これを口実に広島、長崎に原爆が投下され、ソ連も参戦し空前絶後の悲劇的な自体が生じることになる。』

『第2に、決断が遅れた原因は、昭和天皇や軍指導部の「もう1度戦果を挙げてから」でないと「国体護持」(天皇制の維持)が危ないという危機感があった。1944年にはサイパンやグアムの失陥によって、日本の敗北が決定的になる。天皇は近衛文麿などの重臣から「敗戦は必至」の上奏を受けたが、戦争終結に積極的になれなかった。期待した沖縄戦も行き詰まり、同盟国ドイツが無条件降伏をすると、やっと天皇は戦争終結に傾斜する。しかし軍部の「もう1度戦果を挙げてから」論に引きずられ、ポツダム宣言の早期受諾の機会を生かせなかった。天皇がもっと早く決断していれば、多くの国民の命を救うことができたのである。』

『第3に、映画は昭和天皇の「人間的苦悩」を強調することにより、統治権の総攬(そうらん)者、大元帥であることが描かれていない。昭和天皇の戦争責任を問う、問題意識が全く見られない。「聖断」は国民を救う意味ではなく、国体護持が目的だったのだ。戦前の憲法では、戦争の指導は「統帥権の独立」が言われ天皇の大権事項であり、政府も議会も口出しを許されなかった。当時の政治は国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・補佐)したのだから、天皇に責任はないとする考え方がされる。しかし戦争の方針や作戦は、天皇と軍部首脳(陸軍は参謀総長・海軍は軍令部総長)のみで決定されたのである。「』

『しかも両総長は、制度上、天皇の幕僚長(参謀事務長)に過ぎなく、統帥に関する責任は天皇一人が負う構造になっているからだ。「戦前は、天皇は絶対的な君主であった。この最高責任者の昭和天皇の戦争責任を明らかにしなければ、日本の戦争が何であったかを客観的に構造的に説明できない。本質的な解明が、極めて重要になっている。』

ここからは、投稿者の文章です。明治天皇は、直々に兵を指揮したと聞いています。しかし昭和の時代になると、天皇は明確な指示は出さず軍部への追認が慣例となってしまいました。終戦当時、様々な背景はあるにせよ、そもそもの制度上の責任は天皇にあり、さらに「聖断」を下した以上は、戦争の最高責任者は天皇ということに帰結します。GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサーもそう言いたかったのでしょうが、将来の日本や米国のことを勘案し、やむなく断念しました。責任追及していたら、戦後の日本の歴史は想像できないくらい大きく変わっていたと思います。

それにしても戦前回帰したい安倍首相が、ポツダム宣言を詳(つまび)らか(詳細)に読んでいない、国会答弁が騒動を起こしました。さらには週刊誌のインタビューで、「原爆2発を落とした後に、連合国がポツダム宣言を出すのはいかがなものか」の発言に、1国の首相としての「歴史認識」に呆れました。ポツダム宣言が出された後3週間も無視したため、各地はさらなる空襲に遭いその挙句の果ての広島・長崎の惨事だったのです。軍部が面子ばかりにこだわった結果、その間も数多くの国民の命が亡くなりました。戦前回帰を主張するなら、せめて戦前の歴史を覚えておけよ!と言いたいですね。「歴史に学ぶ」謙虚さがない人間は、世界の例を見ても無残に堕ちていくだけです。

Sankoub 「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」 日本のいちばん長い日・新作映画化

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野坂昭如氏の戦争中・戦後その2 戦争は気づいた時には始まっている/少数派

2019年04月17日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
野坂昭如氏の戦争中・戦後その2/戦争は気づいた時には始まっている

M20150520

ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。

毎日新聞掲載、「野坂昭如の七転び八起き」からの文章の2回目です。戦争中・戦後・そして現在の日本を、野坂昭如氏の眼から分析した内容です。まだお読みでない方は、1回目を先に!
※新聞記事も著作権を有します。しかし野坂昭如氏の思いを綴った文章が素晴らしく、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。

1回目の投稿からの続きです。


『70年前の今頃(注)、大日本帝国は瀕死の状態だった。3月10日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄戦がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やし、約20万人の命が棄てられた。この唯一の地上戦によって、沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。
(投稿者 : 注/当該の新聞掲載・2015.3.24)

5月24、25日東京空襲、山の手が焦土と化した。6月5日神戸に空襲、これによってぼくの家族、家も焼失。人生が、大きく変わった。70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は、何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺、平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、変わりないのは、強気な大本営発表だけ。普通に考えれば、日本の敗けと見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。

今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに、冷え冷えと眺めている。この歳では、眺めるしかない。あの命の危機を、目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は、思考停止じゃないのか。飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは、子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。

日本には、金があるという。債権国だといったところで、ドルという紙切れ。1000兆(円)を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには、極端なインフレしかない。モノ不足の再来は、遠くないだろう。現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。

戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は、日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは、気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。』

以上

日本の過度の経済活動、原発問題、そして日本の道を誤らせる憲法改正への動きについての内容でした。

追記/野坂昭如さんは、2015.12.9に亡くなりました(85歳)。

Sankoub 前号/野坂昭如氏の戦争中・戦後その1 思考停止70年・敗戦から学べ

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野坂昭如氏の戦争中・戦後その1 思考停止70年・敗戦から学べ/少数派

2019年04月17日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
野坂昭如氏の戦争中・戦後その1/思考停止70年・敗戦から学べ

M20150519

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毎日新聞掲載、「野坂昭如の七転び八起き」からの文章です。2回に渡り、お伝えします。戦争中・戦後・そして現在の日本を、野坂昭如氏の眼から分析した内容です。政治家や国民も、戦争から何も学ばず、経済活動ばかりに突き走った誤りを痛烈に批判しています。後半の2回目の文章では、憲法改正や原発処理の危うさを熱く語っているのでご期待下さい。
※新聞記事も著作権を有します。しかし野坂昭如氏の思いを綴った文章が素晴らしく、何とか皆様にお読み頂きたくブログ掲載した次第です。


『たとえ無責任、出まかせといわれようが、物書きの端くれとなって以後、お上のあやかし(注)に取り込まれてはいけない。日本が現状のまま推移すれば、駄目になる。やがては、沈没してしまうなどと言い続けてきた。食い物しかり、原発しかり。これすべて、勘によるもの。そして残念ながら、この勘はほぼ当たってしまった。もう1つ、日本は再び戦争に巻き込まれようとしている。
注:「あやかし」とは妖怪のようなもの・投稿者追記

昭和20年、戦争が終わった年、ぼくは14歳。あれから70年、ずっと敗け戦の日々である。70年前、一面の焼け野原だったあとに、たちまち屋根が並び、昭和30年にもなると、飢えの恐怖も遠ざかった。つれて日本は高度経済成長の波に乗り、これでめでたしめでたし。民主、平和、自由など各種の主義がデカイ顔をしてまかり通った。物質的豊かさの、良いとこ取りを決め込んだ。

ぼく自身、時代に身を合わせて生きのびてきた。だが一方で、言いようのない苛立ちが失せない。違和感がある。これは世間に対してと、自分についてのこと。すべて上っ調子で、前進あるのみ。日本はあの戦争で、立ち止まって考えることをしなかった。まさに着の身着のまま、食うや食わずの混乱の中で、今日を精いっぱい生きのびるのがやっとのことだった。それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。

お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は「一億一心」「挙国一致」「忠君愛国」をスローガンに揚げ、戦後は「平和」さえ唱えていればそれでよし、考えることをやめてしまった。どこかで抱く違和感はあっても、誰かがどうにかしてくれると考えておしまい。お上を筆頭に、誰も矛盾に向き合わなかった。ぼくにしたって、エラそうなことは言えない。結局は、時代に身を合わせて生きてきた。

14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は、戦時下。お国のために、命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ時代は、かなり特別な少年時代を過ごした。やがてウロウロするうち経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。ぼくらの世代にも、責任はある。』 <次号に続く>

追記/野坂昭如さんは、2015.12.9に亡くなりました(85歳)。

Sankoub 次号/野坂昭如氏の戦争中・戦後その2 戦争は気づいた時には始まっている

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海外派兵自衛官は1人も殺されていない?でも帰国後の自殺者が40人/少数派

2019年04月17日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
海外派兵自衛官は1人も殺されていない?でも帰国後の自殺者が40人

M20150511 国内の陸自

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自衛隊は他国の兵隊を1人も殺していない、隊員も1人も殺されていないと言います。しかしアフガニスタン、イラク戦争に派兵された自衛官の自殺数が、少なくとも40人にのぼることが明確になりました。これは、「戦争で殺された」ことと同じと思います。特にイラク戦争での自殺者の記録は10年以上も秘匿され続け、2014年の国会審議によって政府や防衛省が答弁したものです。イラク派兵の陸上自衛隊は、国民平均の自殺率の17倍、自殺率が高い自衛官全体と比べても10倍です。現地は「戦場化」し、凄まじい恐怖感・緊張感やストレス・PTSDによるものです。しかしメディアの中には、現地での「戦死」を隠すための自殺名目だったと、政府の発表に疑問視する向きが増しています。

H20150511a
※は2007年10月末時点
図表は、特定メディア公表(大元:政府答弁書)に基づき、投稿者が編集・作成したものです。


「対テロ戦争」として、2003年・米国の先制攻撃で開戦したイラク戦争への派兵における、自衛官の自殺者が突出しています。陸上自衛官20人、航空自衛官8人、計28人が帰国後に自殺しました。陸自延べ派兵数5,600人対して、280人に1人の割合です。しかし同一の自衛官が数度に渡って派兵されているので、実際にはもっと自殺率は高いはずです。後方支援とはいえサマワの隊宿営地付近では、迫撃砲やロケット弾の攻撃が13回(ロケット弾は22発)に及んだのです。また航空自衛隊も、地上からのミサイル攻撃にさらされる任務でした。そもそも自衛隊は米軍と異なり、人を殺したり自分が殺されないための訓練はしていないので、精神的負担が大き過ぎることが指摘されています。

政府や防衛省の答弁(多数の自殺)を報道したのは、2014年のNHK「クローズアップ現代」、東京新聞、しんぶん赤旗だけで、情けないことに一般紙の報道は皆無でした。“クロ現”は、自衛隊が密かに現地で棺桶10個を用意したことまで報じていました(下部のNHK職員は真剣に仕事をしている)。元・共同通信社編集主幹、ジャーナリストの在り方に厳しい原寿雄氏によると、帰還(帰国)後に28人もの自衛官が自殺したことに、強い疑念を訴えています。戦闘への極度の恐怖感があったにせよ、そもそも戦地には自衛隊の中でも体力・精神的にも屈強な自衛官が選ばれます。にも関わらず28人も自殺するとは考えられない、他に『要因』があるのではと言います。

M20150513 関係新聞記事

原氏は、現地で攻撃を受けた末の「戦死」ではないか?とみています。そんなことになったら日本中が大騒ぎになり、派兵を決めた「時の政権」と与党の自民党・公明党は転覆しかねません。また戦死者を靖国神社に奉るのかなど、中国や韓国からも露骨な攻撃が推定されます。最大の国家危機に陥ることを防ぐために、帰国後の自殺に見せ掛けたのでないかと指摘します。遺族には、夫や息子に自殺の汚名を着せられても、それこそ国家転覆を救った「名誉ある死」と政治工作したのではないかと言います。メディアが揃いも揃って国家機密を受け入れ、口を閉じたままの態度に憤ります。メディアが徹底調査すれば、今からでも事実がつかめると確信していることを添えています。

現時点からでもメディアが調査し事実を明らかにすれば、派兵への国民の眼が厳しくなり、「戦争ができる国造り」一連の法律は断念・縮小、安倍政権は信用が失墜し挫折すると思われます。後方支援でさえ、多数の自殺者(事実であれば戦死者)が出るのです。進めようとしている「日米共同の戦争」の最前線に加われば、米欧のように途方もない戦死者・自殺者、PTSDによる廃人同様な自衛官とその遺族・家族が世に溢れるのです。太平洋戦争開戦時、メディアが煽り国民が熱狂し戦争に突入していきました。識者は、当時と同じように誰も戦争を止められない状況になりつつあると言います。集団的自衛権等に賛同する人もいますが、戦争や紛争に巻き込まれたら日本が終わるのです。

余談ですが、だいぶ以前に都主催の社会人を対象にした「都民講座」があり、原寿雄氏の講座に参加しました。熱心にメディアの在り方やメディア論を説いていたのを、今でも覚えています。またTBSのキャスターをしている、金子茂紀氏の講座にも出ました。かなり高齢な原氏や一部のメディアの方が頑張っている姿に、頭が下がりました。 ▽追記/原氏は2017年11月30日没・92歳

Sankoub 海外派兵の戦死に備え殉死自衛官への弔慰金を9000万円に増額

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「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」日本のいちばん長い日・新作映画化/少数派

2019年04月17日 | 戦争を繰り返すな
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」日本のいちばん長い日・新作映画化

M2792323

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◇今後、投稿削除、あるいは大幅な修正を行う予定です。

歴史評論家の半藤一利氏の著書「日本のいちばん長い日」の映画が、約半世紀ぶりに新作としてロードショーされます。前作は1967年上映なので、残念ながら見ていません。調べたところ、昭和天皇が降伏を伝える玉音放送の直前に自決した、阿南陸軍大臣に三船敏郎が扮していました。前作出演者の紹介は省略しますが、当時、あるいはそれ以降の名立たる名優が出演しています。個人的には、新作より前作を見たい気持ちです。原作は半藤一利氏なのですが、気の毒にも前作当時は無名(出版社社員)だったことから大宅壮一作とされていました。関心のある方は、上映の前に原作をお読み下さい。

原作を簡単に説明すると、1945年8月・日本の敗戦が色濃く、連合国からポツダム宣言受諾を要求された時点が描かれています。政府と軍部との間で、降伏、いや一億玉砕論が渦巻き、中々、決められません。逡巡する間にも、原爆投下や各地の空襲が相次ぎました。にも関わらず、連合国への降伏受諾通告は混沌としたままです。心を痛め業を煮やした天皇陛下が、遂に御前会議でご聖断されます。それでも軍幹部・青年将校がクーデターや戦争継続を画策し、天皇の御声(詔書)をレコード録音した「玉音盤」の奪還工作、一部の軍部の妨害などが顕著になっていきます。原作は、そうした終戦直前の8月14日正午から翌15日正午の「玉音放送」までの緊迫した24時間に絞り、日本のいちばん長い日として、1時間ごとに1章・計24章の形式になっています。

ポツダム宣言の受諾を迫られ、事に至っても政府、陸軍・海軍とも面子ばかりで右往左往、統率能力がない末期的な状況だったのですね。特に陸軍は軍組識のことしか眼中になく、天皇を奉っているのもポーズだけで、面従腹背は明らかです。古今東西、軍隊というのは面子第一、国民のことは全く考えていません。刻一刻、状況が変化していく事実を伝えるとともに、半藤氏は戦争の虚しさを訴えています。なお玉音レコードは、2組作られたそうです(数分の録音でも2枚に及ぶため、計4枚)。また15日正午にいきなり放送が始まった訳ではなく、前夜から「重大な放送あり」の予告、当日朝からは「玉音放送をする」に変わり、繰り返し予告されました。NHKの東京ラジオ局管内は放送出力を3倍に上げ、ローカル局では日中は放送を中止していたものを、急遽、出力準備させた裏話も見えてきます。

「~堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す~」、一般国民のほとんどが、ラジオの玉音放送で初めて天皇の御声を聞いたのです。当時の録音状態・ラジオの性能も悪く、詔書の文章も難しいため、「天皇が何を言っているのか分からない」、でも「何となく戦争が終わったことを知った」というのが、ほとんどだったそうです。私は当時生まれていませんが、「玉音放送」(数分間)だけが流されたと勝手に思い込んでいたのです。しかし半藤氏の作品を拝見すると、天皇の御声の後もアナウンサーが詔書を読み返し、さらに詔書を解説したような鈴木貫太郎総理の「内閣告諭」も読み上げています。正午から、37分半続いたそうです。

■8月15日・正午のラジオ放送内容
▽正午の時報
▽NHK・和田信賢アナウンサー 「ただいまより重大な放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」
▽情報局・下村総裁 「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから大詔を宣(の)らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」
▽君が代
▽詔書(昭和天皇・レコード録音盤2枚)
▽君が代
▽情報局総裁 「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」
▽アナウンサー 「謹んで詔書を奉読いたします」 (玉音放送と同内容を朗読)
▽続けて同アナウンサー 「内閣告諭(鈴木貫太郎内閣総理大臣の内閣告諭)」「聖断の経過」「ポツダム宣言の内容」「受諾通告の経過」などを朗読した

■詔書・全文
私は天皇主義ではないのですが、二度と戦争を繰り返さない主旨として、この歳になって初めて詔書全部を読んでみました。半藤氏によると、偶然にも8月15日と同じ「815字」だそうです。と言ってもなかなか読めないので、ふりがなや意味を解説した書籍を借りてきました。それをブログ用に一文字ずつ入力していたのですが、PCから取り出せない字も多くて途中で断念しました。掲載サイトを、無断でコピペした次第です(詫)。(太字は投稿者が強調)

『朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ』

御名御璽
昭和二十年八月十四日

Sankoub 戦争終結への昭和天皇の「聖断」を美化するのは正しい歴史認識ではない

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