食品のカラクリと暮らしの裏側

食品の安全・安心が総崩れ、また政治・社会の矛盾や理不尽さも増大
暮らしの裏側の酷さやまやかし、危険性・不健全さに迫る!

▽江戸しぐさシリーズ/リンク表紙

2024年04月17日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ リンク表紙
人間関係が壊れ公共の場所でもマナーが悪化しています! 奥ゆかしい
日本人が駄目になってしまい、江戸しぐさを学び出直したいものです!


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いつも、「江戸しぐさシリー」ズにお越し頂き、誠にありがとうございます。
リンクインデックスから記事にリンクされるか、ページダウンするとご覧にな
れます。

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門
家や研究者によって明らかにされています。しかしこれらの礼儀・マナー
は現在ほど必要であり、目くじらを立てずに参考にしたいと考えます。

Nindex

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第18話 会釈の眼差し/相手を尊重し自分の気持ちを表す目です
第17話 三脱の教え/身分制度にこだわらない付き合い
第16話 喧嘩しぐさ/暗黙の決め事を守った喧嘩

第15話 大人しぐさ(教育2)/自発の意識を付けさせる
第14話 大人しぐさ(教育1)/大人を真似て態度を身に付けさせる
第13話 大人しぐさ(十二文・十五理)/12歳までに念入りに我が子を育てる
第12話 大人しぐさ(六つ躾・九つ言葉)/6歳までに相手を思いやる躾をする
第11話 大人しぐさ(三つ心)/親は子供が3歳までに心の糸をしっかり張ること

第10話 片目出し/事故を避ける江戸の道路交通マナー
第09話 韋駄天しぐさ/人が集まる場所だからこそやってはいけない
第08話 横切りしぐさ/手切りのしぐさで失礼なき意志を示す
第07話 用心しぐさ/犯罪を寄せ付けない工夫
第06話 七三歩きのしぐさ/人口過密都市に暮らす知恵

第05話 肩引き蟹歩き/狭い路地を歩く時の知恵
第04話 傘かしげ/相手に雨が掛からないようにする配慮
第03話 戴きます/毎日の糧に感謝を表す気持ち
第02話 うかつ謝り/雑踏でのトラブルを避ける術
第01話 こぶし腰浮かせ/江戸っ子はスッと早めに席を譲るのが粋

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Nvsaasbmf0080fl 江戸しぐさシリーズへの思い
▽「江戸しぐさ」は、現代の多くの皆さんに注目され、特に公共広告機構の地下鉄やTVのマナーキャンペーンで知られるようになりました。人間関係が壊れ、公共の場所でもマナーが悪化しています。一部の哀しい日本人の姿です。

▽人間は、仕事の顔・市民の顔・家庭の顔の3つの顔(生活)を持たなければならないとされています。ただ現代の日本人は、致命的に「市民の顔」がなく~公共での振る舞い、譲り合いの精神が欠如しています。奥ゆかしい日本人が、どうしてこうなってしまったのでしょうか。

▽江戸しぐさは、最早、時代・年代・地域を越えて求められる常識的な“しぐさ”と考えます。しかしこうした内容をご覧になる方は、礼儀正しい皆様ばかりです。そこで、思いを共有したいと存じます。

▽タイトルプレートで使っているイラストは、「定式幕」(じょうしきまく)を模したものです。「定式幕」とは常に使う意味です。幕は、下手(向かって左)から開きます。歌舞伎幕には、主に2種類あるのをご存じですか?
・森田座の流れ⇒左から、「黒・柿(橙)・萌葱(緑)」の順 歌舞伎座・松竹座・南座など
・市村座の流れ⇒左から、「黒・萌葱(緑)・柿(橙)」の順 国立劇場・新歌舞伎座・浅草公会堂など
・その他にも中村座は、「白・柿(橙)・黒」の順です。

更新2023.9.15

Kabuki_2 誠に勝手ながらコメントのやりとりは致しておりません

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江戸しぐさ第18話・会釈の眼差し/相手を尊重し自分の気持ちを表す目です

2024年04月17日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第18話
会釈の眼差し/相手を尊重し自分の気持ちを表す目です

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■会釈の眼差し
山歩きやハイキングなどですれ違う時には、自然に「こんにちは」と挨拶を交します。でも町に戻った途端、知らない人とは何も声を掛けません。またお互いの顔を見ることもありません。まあそれが普通ですが… しかし江戸では見ず知らずの他人でもすれ違う時は、お互いに目と目を見合わせて、軽くうなずく程度に挨拶を交わしそうです。それが「会釈の眼差(まなざ)し」です。

その根底には、人間は全て仏の化身という考え方があったからです。仏様に挨拶するように、見ず知らず同士でも目で挨拶するのは何の不思議はありません。目で挨拶するのは、顔を柔和にさせる効果があります。自然と和やかな顔になるのです。そうしたら、殺伐とした空気は生まれません。一人では生きては行けないという基本的なことを、江戸の人々は知っていたのです。相手の身分に関係なく会釈することが、江戸人のプライドであり礼儀だったのです。

▽不粋オヤジの独りゴト
普段、道の真ん中では、さすがのこのオヤジも知らない人には挨拶や声を掛けません。逆に、イチャモンを付けられてしまうかも知れません。でも病院や区役所などの一定の目的で来た人との中では、横切る時や座ったりする時は周囲の人には軽く会釈しています。

年配者は、その意味が分かるので同じように軽く応えてくれます。しかし今の若者ときたら、会釈どころか突然人の前を横切ったり、ぶつかろうと知らん振りです。若者でも、親の躾が良い子はこういう場では実に温和な振る舞いをします。多くの若者はくだらないことに空気を読まなくてもいいから、こうしたことへの配慮が欲しいものです。

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。

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江戸しぐさ第17話・三脱の教え/身分制度にこだわらない付き合い

2024年01月10日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第17話
三脱の教え/身分制度にこだわらない付き合い

Le171134505 今も昔も町人の町・浅草

■三脱の教え
江戸時代には「士農工商」という身分制度がありましたが、江戸も後期になると経済発展から町人の力が強くなり、反対に武家の権威が落ちてきました。200年も平和な世の中が続くと、武士の仕事は少なくなり生活に難渋していったのです。武士は階級によって着る物や礼儀が決められ、何人も奉公人を雇わなくてならなかったので大変だったようです。

そんな社会になったので、身分制度が立ち行かなくなりました。銭湯では裸の付き合いで武士と町人が普通にしゃべり、塾や講の場でも武士と町人が同じ机を並べて研鑚しました。武士が威張り踏ん反り返る姿は、もうなかったようです。こういう場所では、互いに「年齢」 「職業」 「身分」は何も聞かなかったのです。

これを「三脱の教え」と言い、人間として対等に付き合おうという姿勢を示しました。一方、町人は経済的に力を付け江戸後期の文化の発展を担い、また縁日・芝居・読書などいろいろ楽しんだようです。こうして身分制度は、見掛け上のものになっていきました。

▽不粋オヤジの独りゴト
世の中には会社を定年退職しても、大手のどこどこ会社の部長をやってましたと、元・肩書きを吹聴する奴がいます。ブログでも、過去の華々しい履歴を披露(プロフィール掲載)するバカも結構いるんですね。考えてみればブログやSNSは、“年齢・職業・身分”を問わない現代の「三脱の教え」かも知れません。

ところで不粋オヤジの「三脱の教え」は、髪が脱(抜)け、金が脱け(お金が無くなる)、妻や子供が脱け(相手にしてもらえない?)、“三脱の責め”に喘いでいる。それじゃ、駄目ジャン!

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。

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江戸しぐさ第16話・喧嘩しぐさ/暗黙の決め事を守った喧嘩

2023年12月07日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第16話
喧嘩しぐさ/暗黙の決め事を守った喧嘩

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■喧嘩しぐさ
「火事と喧嘩は江戸の華」とはよく言ったもので、しょっちゅう火事や喧嘩が絶えず江戸名物でした。薄い板と簡単な壁で造られた長屋は、一旦、火がつくとよく燃えたそうです。また家の中に竈(かまど)があるので、どうしても失火が多かったのです。

さて江戸は、男の数が圧倒的に多くどうしても喧嘩が起こりました。特に初期の江戸では、いわゆる後世を形作る江戸の町を建設する最中でした。そのため、各地から大勢集まった気の荒い連中の喧嘩が、至る所で起こっていたのです。しかし次第に江戸生まれが多くなると、喧嘩と言っても暗黙の了解ができてきました。

まず、いきなり襲いかからないこと。始めに警告をして、それでも収まらない場合に殴り合いになったようです。殴り合いにしても、首から上は殴らないこと。顔を殴れば、殺人になりかねないからです。そこそこやらせて最後に決着が付いたと見るや、周囲が止めに入り仲裁をしたのです。

これが「喧嘩しぐさ」です。これを守れば殺人事件になることもなく、仲裁者の顔を立て喧嘩は終了です。相手をとことん傷付けるのではなく、大事(おおごと)にしないための約束ごとです。

▽不粋オヤジの独りゴト
まあ喧嘩をするにも、一定のルールとマナーが必要というものでしょうか。現代では、無言で、いきなり背中にブスッ!と刃物を刺す事件ばかりです。それでも犯人は、「殺す気ははなかった!」と言い張る。「誰でもよかった」というが、未だかつてヤクザや屈強な男性が通り魔に遭ったことはない。結局、「(女性やお年寄りなどの弱い者なら)誰でもよかった」が犯人の本音でしょう。

全くの想像力の欠如と分別のなさ、これが現代の大人なんですね(悲)。ご紹介している「江戸しぐさ」が今日まで少しでも伝承されていれば、悲惨な殺人事件は繰り返されないと思うのですが。

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
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江戸しぐさ第15話・大人しぐさ(教育2)/自発の意識を付けさせる

2023年10月13日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第15話
大人しぐさ5(教育2)/自発の意識を付けさせる

Le158228948 木造校舎

■大人しぐさ5・教育(2)自発の意識を付けさせる
商人は人間関係を保つのが基本なので、複雑な人間関係をロールプレイング(役割実演)で我が子に体得させたそうです。また想像力を駆使して、大人の真似をしながら学習していくのです。

誰かの足を踏めば、踏まれた相手は痛いだろうなと想像する。病気の人は辛いだろうなと想像する。人を騙せば、騙された人の心や騙した自分の心を想像する。どんどん重ねて、相手の気持ちや自分の心を推し量り、どうすれば良い関係になるかを考えていくのです。

一見受け身と思われますが、「自発」の意識を我が子に付けさせているのです。彼等の手本になるのは親や師匠、世間の大人です。大人を真似て、見る・聞く・話す~つまり考え方・表情・身振り・言葉使いを身に付けていくのです。これが「大人しぐさ」です。人の痛みが分からぬようでは、良い商人・大人に育たないことです。学校の成績中心の現在の親には、チクリと痛いところでしょうか。

「実学」とは、実用という単純な意味でなく、森羅万象に適切か具体的に対応する学問です。子供達はすぐ真似しますから、寺子屋ではロールプレイングやブレーンストーミングで、人間の手本として成長していくのです。

▽不粋オヤジの独りゴト
江戸の躾や教育は押し付け的と思っていたのですが、現在以上に伸び伸び自由に、また自発の意識を付けさせていたのですね。既号でも申し上げたように、どうしてこんな立派な精神が、現代に受け継がれていないのでしょうか? 江戸のような教育なら、落ちこぼれ・不良少年、そしていじめ自殺などは起こりようがありません。

このオヤジ、父親として偉そうなことを言っても、我が子の姿を見ているとガッカリします。これは、「子は親の通りにはならない、親のした通りになる」(これも既号)ですね。父親として、反省・大。以上、大人しぐさのページは終わりです。

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江戸しぐさ第14話・大人しぐさ(教育1)/大人を真似て態度を身に付けさせる

2023年09月15日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第14話
大人しぐさ4(教育1)/大人を真似て態度を身に付けさせる

Le148943509 木造校舎

■大人しぐさ4・教育(1)大人を真似て態度を身に付けさせる
江戸では、知識を頭で理解させるのではなく、大人や先輩のすることを見様見真似で学び取り、身体で覚えさせるようにしました。手取り、足取り、口移しで学んでいきます。中でも重要なことは、寺子屋の「養育方針」です。寺子屋というと“読み・書き・そろばん”と思われがちですが、「見る・聞く・話す」ことに重点が置かれました。左脳よりも右脳、IQよりEQです。

*注 【EQ】 educational quotient
仕事への取り組み姿勢や人間関係への関心の度合いなどを、感情という視点から測定する指数。「心の知能指数」と言い、自分の感情を認識し、自制する能力、他者を共感的に理解する能力などをあげています。

入学(塾)式は6歳の旧暦の6月6日、真夏の土用、親の商売が比較的暇な時期に、父母同伴で行なわれました。面白いことに式は入塾の試験を兼ねており、試験の基準が一刻(2時間)師匠の話を居眠りしていても、じっと聞いていられるかどうかでした。寺子屋が現在の学校と大きく違うことは、「受容」と「自発」を大事にしたことです。

▽不粋オヤジの独りゴト
純真無垢な子供ゆえに躾が大事で、それを教えずに知識ばかりを教えことが人格形成の原点と思っている親こそが間違いの元でしょう。今時の親は、可能性が無限大にある我が子には、親の考えを押し付けないことが教育と考えています。しかし基本的な躾と、親の無理強いとを混同しています。言い古された言葉で、何事も「鉄は熱いうちに打て」が重要です。優しさだけが、子に対する愛情ではありません。かつて厳しかったこのオヤジも、今は子供になめられています。トホホ・・・

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江戸しぐさ第13話・大人しぐさ(十二文・十五理)/12歳までに念入りに我が子を育てる

2023年07月06日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第13話
大人しぐさ3(十二文・十五理)/12歳までに念入りに我が子を育てる

Le135694025 木造校舎

■大人しぐさ3 十二文(じゅうにふみ)・十五理(じゅうごことわり)
十二文
商人の親は、子供が12歳にもなったら、注文書、請求書、苦情処理の弁解書状なども書けるようにしました。自分に何があってもすぐに跡が継げるように、周到な念入りで我が子を育てていたのです。12歳と言えば小学校6年生です。江戸の親達は、現在と寿命が違うとはいえ、今の親よりどれだけ先を見越して慎重に我が子を育てていたか驚くばかりです。

十五理
当時の子育ての最終段階が15歳です。武士の元服も15歳です。親は、この歳になった子供が、自然の原理が暗記でなく実感として理解できるようになっていなければならないと考えていました。商人の子供への躾といえ、現在の子供達とは“大人の程度”が全く違います。

▽不粋オヤジの独りゴト
知識・技術は大事でも、その元になる「育ち」~つまり「人間性」が培われなければ何にもならないのですね。せっかく江戸時代にこうした素晴らしい言葉や躾があるのに、江戸が終わって約150年、戦後、ましてやこの30年で、ないに等しい程に崩壊してしまいました。やはりバカ親からは、バカしか産まれないってことか?(正確には、純真無垢な子供もバカ親によって、バカに育て上げられてしまうこと)

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江戸しぐさ第12話・大人しぐさ(六つ躾・九つ言葉)/6歳までに相手を思いやる躾をする

2023年06月14日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第12話
大人しぐさ2(六つ躾・九つ言葉)/6歳までに相手を思いやる躾をする

Le121031874 木造校舎

■大人しぐさ2 六つ躾(むつしつけ)・九つ言葉 (ここのつことば)
六つ躾
6歳までに「躾糸」(しつけいと)をきちんと折り目正しく付けておかねば、後が難しくなります。「躾糸(仕付け糸)」とは、ご存じのように縫い目をきちんとさせるための仮縫い糸です。六つ躾は厳しい躾のことではなく、相手を思いやる身のこなしを覚えることです。繰り返し繰り返し習う鍛育(トレーニング)よって、当時の江戸の人達はこの年齢までに思いやりを躾なければ、本当の大人にならないと考えたからです。

九つ言葉
9歳までには、挨拶は当然のこと世辞も言えねばなりませんでした。現代の人が思う「おべんちゃら」と違い、「さようでございます」 「今日は天気が良くて気持ちがいいですね」などの共感する大人の言葉です。9歳にもなって世辞の1つも言えないようでは、この先、商人として大成しないとして、寺子屋で世辞の訓練をさせたほどです。

▽不粋オヤジの独りゴト
最近は、親の“傍若無人”や無神経・無責任には呆れます。大人がこんなだから、子供が壊れるのです。現在の世相や人間関係を見ると、江戸時代が羨ましい限りです。

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江戸しぐさ第11話・大人しぐさ(三つ心)/親は子供が3歳までに心の糸をしっかり張ること

2023年05月18日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第11話
大人しぐさ1(三つ心)/親は子供が3歳までに心の糸をしっかり張ること

Le114497263 木造校舎

■大人しぐさ1  3歳・6歳・9歳・12歳・15歳の節目
「三つ心(みつごころ)、六つ躾(むつしつけ)、九つ言葉(ここのつことば)、十二文(じゅうにふみ)、十五理(じゅうごことわり)で末(すえ)決まる」~子供にとって大事な“大人しぐさ”を、5回に渡りご案内致します。

江戸の人々は、人間は脳と身体と心の3つからなっていて、お互いに糸で結ばれていると考えていました。この糸を、心としました。言葉も行動も心の糸によってコントロールされており、心がなければ木偶(でく・人形)と同じことです。言わば、初期の人格形成の訓練でしょうか? 育て方を大事にしました。

まだ糸が柔らかいうちから始めないと固くなると言われ、その作業は親の真っ先の仕事でした。「子は親の通りにはならない、親のした通りになる」の言葉があるように、親は大人としての手本を示さなければなりませんでした。

三つ心
江戸時代の親は、子供の健康を願いながら3歳までに「心の糸」をしっかり張ることに心血を注ぎました。この歳までに心の糸を緻密に張り巡らせてしまえば、昨今の親子のように「親の顔が見てみたい」などと親の責任を問われることはありません。それは親のためではなく、これから生きていく子のために思うのです。

先人達が長い年月をかけた結果、育ちが人格形成に大きく影響していることを悟り、このような養育法を生み出したのです。とにかく親は、子供が3歳までに心を自覚させることに重点を置き、心の糸は1日1本として3年間で凡そ1000本の糸が張れます。

片方だけの親だと500本しか張れないので、余程心を配って育てなければならず、世間は残りの分に対し大らかに助け船を出したそうです。現在とは異なり、近所同士で助け合い我が子のように育てました。

▽不粋オヤジの独りゴト
素晴らしい話です。我が子に対してとかそういう次元でなく、社会全般に大人の役割や責任を痛感しますね。「子は親の通りにはならない、親のした通りになる」の言葉は、オヤジとして堪えますね(苦)。大人しぐさは、15話まで続けます。

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江戸しぐさ第10話・片目出し/事故を避ける江戸の道路交通マナー

2023年02月20日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第10話
片目出し/事故を避ける江戸の道路交通マナー

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■片目出し
江戸の町屋は、玄関を開けたらすぐそこは道です。だから家から外へ出る時は、勢いよく出ることは憚られました。江戸は左側通行でしたので、戸を横に開けたらまず顔を出して、右を見て左を見ます。こうして通行がないことを確かめてから、一歩踏み出すことを「片目だし」と言います。

このしぐさは子供の頃から厳しく叩き込まれていたので、左右を見ずに飛び出す子はいなかったと言われています。本人や家族のためだけでなく、人様には迷惑を掛けない配慮、思いやりからでもあります。

▽不粋オヤジの独りゴト
「片目だし」と聞き、このオヤジはてっきり女性への“ウインク”のマナーかと思いました。さて我が家は下町なので、結構、細い道があります。片目だしなどとあらためていうまでもなく、幼い頃からいきなり飛び出すと危ないことを親から躾られていました。

昔は家の前の道が、最高の子供の遊び場でしたね。でも最近は、車やバイクに絶好の抜け道として使われたり、公園も犯罪や変質者が出没し、外で遊ぶ子供はほとんどいません。大人の無責任・身勝手さから、今の子供が気の毒でなりません。

●真面目なミニ情報
「片」が付く言葉の中で、現在ではハンドを示し日常よく使う“片O落ち”は、差別用語に入るので使ってはいけません。「片落ち」と言わなければならないそうです。その他にも、職場で部下を信用してハンコを押す「メ○ラ判」、あるいは「ツ○ボ桟敷」も厳禁です。TV局側も、「ただ今、不適切な表現がありました」とお詫びアナウンスしても、どこが不適切か言えない矛盾があるようです。

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江戸しぐさ第9話・韋駄天しぐさ/人が集まる場所だからこそやってはいけない

2023年01月11日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第9話
韋駄天しぐさ/人が集まる場所だからこそやってはいけない

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■韋駄天しぐさ
「韋駄天しぐさ」は、往来を足早に歩く・走ることを言い、“やってはいけない”しぐさです。混雑する江戸の町中で、そんなやたらに走ったら事故のもとです。そこで往来は、静かに歩くことを決められていました。もちろん急病人や火事、緊急事態は走ってもよく、それ以外は走ることは禁じられていました。いくら気の短い江戸っ子でも、往来はあくまでゆっくり静かに歩いたそうです。

●真面目なミニ情報 
「韋駄天」とは足が早い人をさす言葉で、仏教の僧や寺院の守り神の総称です。仏舎利(釈迦の遺骨)を盗んで逃げた鬼を追い掛けて、韋駄天が取り戻した逸話からです。

▽不粋オヤジの独りゴト
現代の「韋駄天しぐさ」と言えば、暴走バイクやチャリンコでしょうか。皆様もぶつけられそうになったり、ヒヤッと怖い思いをされたことでしょう。若い人の自転車は怖いに付きますが、マナー違反どころか走る凶器です。どうして今の若者は、人に迷惑を掛けることに気が付かないのでしょうか。本当に困ったものです。

ところで夕方のババチャリは申し合わせたように、前後のカゴには、1円でも安くスーパーで買った野菜や食料が入った大きなレジ袋がはみ出すように“満載”しています。食卓を預かるオバチャンは、タクマシイ限りです。買った食品のみならず、体重も“積載オーバー”気味。

そのオバチャンは、運転技術が伴わないままたっぷりしたお腹を出し、大きなお尻を振り振り道路や四つ角・人の並みに強引に突っ込んで来るので、これが一番怖い!ですね(笑)。死語になった、かつての“ジャリトラ”まがいのオバチャンの暴走運転が、今も見られます。現代の仰天・チャリ天・韋駄天話でした。

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江戸しぐさ第8話・横切りしぐさ/手切りのしぐさで失礼なき意志を示す

2022年12月13日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第8話
横切りしぐさ/手切りのしぐさで失礼なき意志を示す

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■横切りしぐさ
社会の基本は、無礼な振る舞いをしないことが第一の要点です。大勢の人が集まる江戸では無礼な振る舞いは禁じられ、そのうち特に非礼な行為は人の目の前を横切る「横切りしぐさ」と言われました。例えば芝居小屋などで大勢の前を横切る時は、右手を前に出して切るようにして失礼なき意志を示しました。当時の名残が、大相撲の力士が勝負審判の前を横切る時に手を差し出す行為です。因みに、江戸時代は大名行列の前を横切ると手打ちにされますが、唯一、出産時の産婆さんだけは許されました。

▽不粋オヤジの独りゴト
私は昔から品性ある癖?で、人の前を通る時は無意識に右手を出します。若い連中や家族から、実にオヤジ臭いからやめろ!と言われますが、品性?はそう簡単に棄て切れません(貧性だろ!マイ妻の声)。最近の人間は危ないくらい直前を横切るどころか、人にぶつかっても知らん振りです(腹立つ!)。その神経が、理解できません。

ところで横切りなど「横」が付く言葉は、あまり良い意味では使われません。ざっと辞書で調べただけで、これだけあります。横暴・横行・横領・横柄・横着・横転、横取り・横流し・横槍・横車・邪ま(ヨコシマ?)・横恋慕・横紙破り、横道にそれる・下手の横好き・かつてのモンゴル暴行横綱!など。そこでふと思い出しましたが、大相撲の両国国技館の所在地は東京・墨田区横網(町)です。皆さん引っ掛かりましたね!

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江戸しぐさ第7話・用心しぐさ/犯罪を寄せ付けない工夫

2022年11月09日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第7話
用心しぐさ/犯罪を寄せ付けない工夫

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■用心しぐさ
いつの世も、悪党はいます。スリ・かっぱらい・押し込み強盗などは、現代に限らず江戸時代にもありました。各所にあった大きな通りである広小路には、店や屋台が多く立ち人々が集まることで犯罪も多発したのです。繁華街を歩く時は、常に周囲に気を配ることを「用心しぐさ」と言います。

目的もなく繁華街を歩いたり、キョロキョロすればスリの餌食になってしまいます。そのために、江戸っ子は身なりをきちんとしました。派手過ぎず地味過ぎず、あまり目立つおかしな格好はしないように心掛けていたのです。

▽不粋オヤジの独りゴト
やはり普段の身なりや挙動は、大事ですね。もう、とうに世の中は安全ではなくなったのに、若い世代の頭の中だけは、今も“平和過ぎて”この上なく危険ですね。小学生や女子中学生が、深夜の2時3時に街中を歩いていて犯罪に巻き込まれることが度々あります。親も子供も何考えているのか!?今も昔も、自分自身で身の危険を防御しなくてはなりません。大事なのは、防犯・身の用心・火の用心。

話は変わり、うちの母親は90過ぎてもも結構達者です。“振り込め詐欺”に引っ掛からないようにと、時々、定期点検します。不意を突いて「オレダヨ・オレ!」と電話すると、母は「こんな夜になって電話するオレオレ詐欺はいない」「第一、酔っ払って電話を掛けてくる奴はいない」と一蹴です。気丈とは言え、いつまでも長生きして欲しい気持ちが日々強くなるこのオヤジです。

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江戸しぐさ第6話・七三歩きのしぐさ/人口過密都市に暮らす知恵

2022年10月11日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第6話
七三歩きのしぐさ/人口過密都市に暮らす知恵

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■七三歩きのしぐさ
町人が往来を歩く時は、必ず道の左端を歩きました。時代劇で、町の若い男女などが道の真ん中を歩いているシーンは間違いです。往来は七分が公道で、自分が歩くのは端の三分という暗黙の約束がありました。それが「七三歩きのしぐさ」です。

なぜ中央を空けておくのかは緊急事態のためで、火消しや怪我人を戸板に乗せて運んだり、飛脚が急いだりするために道を空けておいたのです。さらにすごいことは、どんな狭い道でも端を歩きました。とにかく公道は、お互いに譲り合って歩いたのです。往来は天下のもの、人の迷惑を考えずに道を塞ぐことは厚顔無恥も甚だしいと、当時の人は考えていたようです。

▽不粋オヤジの独りゴト
若者、若い女性・オバサンが、狭い道でも道を塞ぐように無神経に横に並んでチンタラ歩く姿に、腹が立ちます。そんな連中がひと度自転車に乗ろうものなら、歩行者を蹴散らすように歩道を暴走する。無神経と非常識に、呆れるばかりです。

品格はなく“品欠く”不粋オヤジは、いつもこうして譲りながら道を歩いています。
・お年寄りとすれ違う時は、当然のごとく道を譲る
・小さな子供とすれ違う時は、とっても可愛いので道を譲る
・若い連中(男女を問わず)とすれ違う時は、怖いので道を譲る
・太いオバチャンとすれ違う時は、図々しさに負けて道を譲る
・御犬様とすれ違う時は、昔から苦手なので、かなり手前から道を譲る

※正しくは、遠くに犬を発見した場合は、後戻りして違う道に変えて遠回りする。犬が嫌いなのではなく、飼い主のマナーの悪さに辟易するから…

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。

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江戸しぐさ第5話・肩引き蟹歩き/狭い路地を歩く時の知恵

2022年07月07日 | 江戸しぐさ
Edotp 江戸しぐさシリーズ第5話
肩引き・蟹歩き/狭い路地を歩く時の知恵

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■肩引き・蟹歩き
今回も江戸の路地裏の話で、長屋の間には狭い路地が縦横に走り、そこが町人の通行路になっていました。江戸は左側通行だったので、狭い路地裏ですれ違う際は、お互いにタイミングよく右肩を引いて、ぶつからないように歩くことが「肩引き」のしぐさです。もっと狭い道では、完全に横になって、顔と顔とを合せる格好で通り過ぎることを「蟹歩き」のしぐさと呼びます。

▽不粋オヤジの独りゴト
かつて働いていた職場では、仲の良い後輩やOLとは狭い廊下や場所でにっこりと笑顔を交わしながらすれ違います。しかし嫌な奴(相手もこちらをそう思っているのでしょう)は、間違いなく、必ずヒラリと背を向けて通り過ぎます。

皆さんも、ご経験がおありかと思います。肩引き・蟹歩きは、“簡易型”・相手の「意志判別法」です。すれ違い際様に、男性の厳(いか)つい背中や女性のデカ過ぎるおケツを向けられた日には、気分悪いですよね。

よくよく考えてみれば、こんな所であらためて「蟹歩き」をしなくても、人生、長い間“ガニマタ歩き”をしてきたこのオヤジだ!とにかく知人・他人を問わず、マナーをもった歩き方をしましょう!今夜も酒が俺を待っている?ウィ~! ほろ酔いで、蟹歩きならず“千鳥足”で我が家に向かうオヤジだった。

江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。

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