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学ぶ沖縄戦14・沖縄「慰霊の日」命の土地を戦争に使うな!所有地を米軍普天間基地に占拠され続けている/少数派

2022年07月05日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第14回 
沖縄「慰霊の日」命の土地を戦争に使うな!所有地を米軍普天間基地に占拠され続けている
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

Okinawa14

■「戦争のためには一坪の土地も貸さない。使わせない。売らない」―
今号はしんぶん赤旗を活用しております。6月23日付/太平洋戦争末期に住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われた沖縄戦から77年。沖縄県では6月23日、「慰霊の日」を迎えました。20万人以上の尊い命を奪い、命の糧の農地を破壊し尽くした沖縄戦で上陸した米軍は住民を収容所に閉じ込め、土地を強制接収して次々と基地を建設しました。基地は沖縄の本土復帰50年を経た現在も県民の命と暮らしを脅かし続けています。「戦争のためには一坪の土地も貸さない。使わせない。売らない」―。9歳のときに沖縄戦で父親と生き別れになり、所有地を米軍普天間基地(宜野湾市)に占拠され続けている宜野湾市の宮城正雄さん(86)は、「軍隊は住民を守らない。基地は平和のためではない」と訴え、同基地内の所有地の賃貸借契約を日本政府と結ぶことを拒否しています。

1944年3月、旧日本陸軍は第32軍を編成し「国体(天皇絶対の体制)護持」「本土防衛」のため沖縄に配備しました。宮城さんが住んでいた宜野湾村(現・宜野湾市)にも部隊が駐屯しました。大山地域の宮城さんの実家にも、兵士が寝泊まりするようになり、通っていた学校は徴発され「生徒は追い出され、運動場には戦車が駆け巡り訓練場になっていた」といいます。米軍は、沖縄本島上陸前から猛烈な艦砲射撃を開始。危険を避け、宮城さんは、父方の曽祖母、両親、兄、弟2人の家族7人で実家から離れた場所にあった壕(ごう)に避難しました。45年4月1日、米軍は本島に上陸しました。宮城さんらが避難していた壕はガス攻撃を受けました。家族の命は無事でしたが、「ここにいたら助からない」と、壕から実家近くに移動することにしました。

夜間、父親と5歳の弟、2歳の末の弟を帯で縛り付けておぶった宮城さんの4人が先発しましたが4人が農道を進んでいると、約10メートルの至近距離で砲弾が破裂し、「大きな爆発音とともに、破片が火の玉になって、四方八方に飛び散った。真昼のような明るさだった」といいます。「麦畑の中を転んでは起き、必死に逃げようともがいた」―。宮城さんと2人の弟は他の家族と合流できましたが、爆発の衝撃で5歳の弟の手を離してしまった父親は別の方向へ逃げ、行方不明になりました。その後宮城さんたちは実家近くに戻ることができましたが、程なくして米軍に捕まりました。宮城さんら家族が移送された本島北部の収容所では、食料不足、マラリアのまん延、シラミの大量発生など「生き地獄」が待っていました。合流していた親戚の赤ちゃんが亡くなりました。

■「岸田内閣がこのまま突っ走っていくと沖縄も戦場にならない保証はない」
戦後、宮城さんらが宜野湾村に戻ると、街並みや広大な農地は消滅し、すでに普天間基地が横たわっていました。大山地域は焦土と化し、実家の家屋は倒壊していました。宮城さんたちは住民らの「ゆいまーる(助け合い)」で荒れ果てた農地を徐々に復元し、生活を再建していきましたが、小学3年生になった末の弟が米軍属の起こした交通事故で命を奪われました。当時は米軍の圧政下で、事故の補償はなかったといいます。宮城さんは「戦(いくさ)の中、弾の中をくぐって弟を助けたのに」と悔しさをにじませます。宮城さんの同基地内の土地は、父方の祖父母が戦前に手に入れた農地で、「おじぃ、おばぁが節約し、寝る間も惜しんで働いて築いた、命と暮らしを守るため、子や孫や平和のための財産」だといいます。宮城さんは戦後、土地の強制接収に反対する「島ぐるみ闘争」(56年)の集会にも参加。「権利と財産を守る軍用地主会」の活動なども行ってきました。本土復帰運動でも奮闘しました。

同基地周辺では、2004年に沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落、17年には普天間第二小学校に米軍ヘリの窓枠が落下、基地由来の人体に有害な有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)による水汚染など米軍絡みの事件・事故が相次いでいます。宮城さんは「普天間基地は百害あって一利なし。返還・撤去以外ない」と訴え、名護市辺野古の米軍新基地建設にも反対。ロシアのウクライナ侵略に乗じた岸田文雄政権の改憲・大軍拡路線は、「絶対に許せない。岸田内閣がこのまま突っ走っていくと、沖縄も戦場にならない保証はない」と強調します。戦争で犠牲になった「すべての人たちの魂が集約されている憲法9条。この日本の、世界の宝を生かして平和外交を進めてほしい。戦争はいかなる理由があっても絶対反対」―。宮城さんの切なる願いです。

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投稿者からのひと言/沖縄戦で、多くの「命」が消えた。何度も書くが、悲惨だ。幸いにも助かった方も、戦後、本土政府の弱腰あるいは無関心によって、暮らし・人生さえも翻弄される。本土復帰50年と言っても形ばかりで、沖縄は米軍が取り仕切っている。日本政府は不平等な「地位協定」の改定を言い出すどころか、避けて逃げ回る姿を何度見ただろうか。本土の人間が関心を持たない限り、沖縄は変わらない。そのため稚拙ながら、当連載を組んだ。次回が最終回。

Sankoub
次号/15・沖縄戦の悲劇を再び繰り返すな!与野各党が異常な軍拡大合唱・県民の思いと相いれない
前号/13・沖縄は1972年まで戦後27年間に渡り米国統治下に、4月28日は「屈辱の日」に

Akahatatop

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