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「子爵加納久宜全集」より 一の宮町是を定め置くべきの議

一の宮町は、今年、町制120周年を迎えました。
現在、町では新たな「町の総合計画」を策定しています。

私は町の「総合計画」を、
町の指針を示すとても大事なものだと考えています。

単に可能な事業の羅列であったり、
できないことの言い訳ではなく、
夢を描く。
そのように理解します。

象徴的な言い方をすると、
「地方自治法で定められている」という説明を聞いたときに、
どのように受け止めるのかということです。
つまり、
「法律に載っているのだから形式的に策定するものである」
ととらえるのか、
「法律にもあるように、地方自治の本旨に基いた必要不可欠のもので、
一宮町の行く末を決定する重要なものである」ととらえるのかで、
対応に温度差でてくると思います。

歴史を振り返ると、
今から100年前の明治42年(1909年)に、
加納久宜元藩主は当時の飯塚総十郎町長に対して
「一の宮町是を定め置くべきの議」という町の基本方針を提案しています。
(加納久宜全集P508~)

地方自治が憲法にうたわれていない時代のことである。
もちろん、
「総合計画」を策定しなくてならない法律はありません。
しかし、地方の活性化は国の基礎でもあること、
まちづくりは長期的な展望(百年の長計)にたってすすめる必要があること、
などなどの思いがこめられています。

その後、町民の懇願により、
中央で活躍し次期農商務大臣(当時は農商務省が国の殖産興業政策を担当していた)へとの期待があったにもかかわらず、
一宮町の町長となり、
理想の実現を通して一宮町を「わが国の模範町村」へと育て上げました。
その奮闘の様子は、
城山公園の「加納公紀徳碑」にもあるとおりです。

このたびの町の「総合計画」、特に「基本構想」の内容は、
一宮町の方針を決定する重要なものであると考えています。
禍根が残らないように、何とぞよろしくお願い申し上げます。


次回の「加納久宜公研究会」(8月17日第30回例会)では
この『町是を定め置くべきこと』についてなどを
取り上げる予定です。

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子爵加納久宜全集 第3編 町長時代
『一の宮町是を定め置くべきの議』
一の宮町是を定め置くべきの議

 およそ世界に国するものは各その国是によりて以って国家の利権を擁護す、
その地域に広狭の別ありといえどもその自治をとげ、
地方民衆の利益幸福を増進せしむるにおいて、
どうして町是のよるところなくして可ならんや、
それ町村自治の発達はなお艦船の航海におけるがごときか、
艦船にして磁針儀なくみだりに時々の風潮によって
あるいは西しあるいは東するがごとき、
ただ目的の彼岸に達する能はざるのみならず、
その危険実に測るべからずは真に見やすき道理なるや論なきなり。

 一の宮町は山水の明媚なく名勝旧跡の探るべきなく、
輸出重要品の特産なしといえども、
地は九十九里の長汀に瀕して、
清浄無垢の空気は二六時中太平洋上より送り来たり、
一の宮河の流れは安全に海水浴を試みるにたり、
もって小艇を操るべくもって釣網の遊漁をほしいままにすべし。
蜿(えん)々東西に連亘(れんこう)する松林は万藾涛声(ばんらいとうせい)と相和して、
不断の曲を奏し盛夏遊息の客をして、
午下蒸熱の苦を消散せしむべし。
これ蓋輓近一の宮町の名江湖にあらわれ、
紳縉家競って地を相し居を卜する者、
年一年よりも多きを加ふるに至りたる所以なれむか、
且つ夫の汽車の交通開けしより京宮間の往復四日の長程を短縮して、
僅々半日の短時間を費やすに止まり、
而も都下二百万の消費者は多々益々我が生産物の輸出を歓迎しつつあるなり。
 それ一の宮について社界の進歩に背馳し、
旧来の生活状態を墨守すべしとの与論ならば又何をかいわん、
苟も人為のあらしむる限りを尽くして町内の幸福利益を進め、
もって文明の恵沢に均霑(きんてん)せんと欲するの誠意あらば、
その前途の発展や実に量るべからざるものあらんとす。

 米国加利福尼亜の鉱業はその地方民が直接採金の利を獲るにあらず、
欧米多数の鉱業者を招致してその採金の利を収めたる者に拠り、
もって地方の繁栄をいたしたるに外ならず、
さればかの金鉱に比すべき一ノ宮町の勝地が輓近江湖に紹介せられ、
出稼人てう別荘の経営が暫時増加の傾向を呈しつつある以上は、
益々これを招致してもって町内の富力を高むるの町是を定め、
之が方針に準拠して諸般の設備を完うし、
今後の一ノ宮町をして叢爾たる一ノ宮たらしめず、
日本帝国の一ノ宮町たらしむる政策を執るべきこと、
実に百年の長計たることを疑わざるなり、
爰(ここ)にその要項を列挙して逐次その理由を詳述せん。

第一 停車場より海岸に至る道路を開通すること。
第二 一ノ宮河口を変改してその氾濫の根を絶ち海水を河中に誘導して溷濁(こんだく)を澄むること。
第三 松林を保護しその拡張して風致を助長し押砂の侵害を防ぐこと
第四 高等旅館を適地に建設し貴縉紳士の来遊に便ならしむること。
第五 洞堰に庭園的人口を加え道路を開通して一ノ宮公園として公衆の遊覧に供すること
(略)

以上列記する事項は大日本帝国の一の宮町を作り立て、文明無限の幸福を享受せしむべき理想として叙述したる町是の方針なり、
就中直ちに採て施行せざるべからざるものあり、あるいは成効数年を要すべきものもあらんといえども、
畢竟一の宮町の発達を促がし、町民の幸福を増進するの要素たるを信じ、
玆に菲見を披攊し及建議候也。

 一の宮町字竜宮下
 子爵 加納久宜

明治四十二年四月九日
一の宮町長 飯塚総十郎殿

編者のコメント(現代語訳)
 子爵は中央にあって、公私の事業に忙殺されているにもかかわらず、旧藩である一の宮町民の希望をいれて町長となり、町村自治のため尽力されたことは、当時町民のよく感謝するところである。それ以来せっせと自治行政にあたり、一の宮町を模範町村として、他から仰ぎ慕われるようになったのは、ひとえに子爵の努力と徳望によるものである。この編に集めたものは、当時子爵が著したものである。
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