わたしたちが長生郡市の合併協議を通して学んだものは?
あじすっか=どうしたらよいだろうか(地域の言葉も大切にしたい)
あじすっか(一宮町発) 地域・生活者を起点に地方分権型社会へ
加納さん(久宜公)の感染症対策
加納さん(久宜公)は、明治27年(1894年)に鹿児島県知事に就任し、多くの功績を残しました。その中には、公衆衛生もありました。
特に、感染症対策にも力を入れ、組織作りと人材育成とともに、感染者を隔離療養する施設の設置(病床の確保)をしました。
この施策も、専門家をリーダーとして組織的に取り組んだことでしょう。
加納さんにとって、公衆衛生も地方行政の大きな柱の一つです。(『一宮町の町是を定め置くべきの議』でも提案しています。)
安政大地震(安政2年(1855年)当時7歳)とともに、安政年間の疫病(コレラ)の大流行は、嘉元次郎少年(久宜公)の心に深く刻まれて、世の中の見方考え方に大きな影響を与えたであろうと想像しています。
また、加納家には、享保の改革の一環としての小石川養生所についても伝承されていたことでしょう。
さらに、フランス人家庭教師からナイチンゲールの感染症対策の功績も教わったことでしょう。
加納さんは、知識を知識に止めることなく、教養を教養に終わらせることなく、世の為人のために活かしていく心がありました。
120年以上前のこのようなエピソードから、地方自治のリーダー(=知事)の資質として必要なものは何か、ともに考えたいと思いますが、いかがでしょう。
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