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岩手県とのつながり・宮沢賢治の石灰肥料

私たちは、一昨年3月から
「加納久宜 鹿児島を蘇らせた男」を
読み進めるところから、
加納久宜元一宮町長のことを
調べ始めました。

その中で気になることが
いくつも出てきました。

「赤十字幻灯講演」「信用組合」などなどもそうです。


加納久宜鹿児島県知事(明治30年ごろ)は、
特に『教育』と『産業振興』に
業績が顕著だといわれます。


最初に取り上げたテーマに
『産業振興』の農業分野でいえば
例えば、
「『堆肥』の奨励」と「『石灰肥料』の禁止」
があります。

第一印象として
昭和初期に、反対の「『石灰肥料』の奨励」をした
宮沢賢治を連想しました。

そう、
『石灰肥料』の有効性を説明する図表なども
Web上で見つけて比較しました。

読書会の時には、
『堆肥』と『石灰』を直接混ぜると炭酸ガスが発生するので、
『堆肥』を奨励するの一環として、
『石灰』を使ってはいけない、としたのではないかと話し合いました。

無機肥料『石灰』だけでは土地がやせることもあったのでしょう。

モミガラを石灰と交換したり、
焼いたりせずに、
有機肥料である『堆肥』を積極的につくり
使うことを
奨励したのでしょう。


試してみたら、こうなりました。

富田式暗渠(あんきょ)排水や耕地整理のような
ハード面とともに
正条植え、疎植、品種改良など
ソフト面でも、
科学技術的は最新の知見をもとに
強烈なリーダーシップを発揮し
質量ともに、改善させていきました。

(昨年暮れに九十九里浜に打ちあがった大量のイワシを
『ホシカ』にもせず、埋めてしまうのは、
実にもったいないものだと感じました。)


さて
宮沢賢治は岩手大学(盛岡高等農林)の出身ですが
ここでも繋がりがあります。

若き日の加納久宜は、大審院判事になる前の
明治12年に
岩手県師範学校(現岩手大学)校長・岩手県学区取締総監督として
赴任しています。


鹿児島県知事を辞した後、
明治末期には中央に戻りましたが、
帝国農会の初代会長を務めたように
その影響力が大きかった。

その流れからすると、有機肥料『堆肥』の奨励の関係で
『石灰肥料』の活用は控えられていたのではないか
と予想します(仮説)。

ですから、宮沢賢治は、
『石灰肥料』の有効活用について
実験を結果をもとに、示したのでしょう。


なお、
岩手県の教育との関係については、
Webで検索すると、
次の論文がヒットするのは知っています。

岩手県教育史資料からみた明治初期の諸相-加納久宜の業績を中心として
佐々木祐子
全国教研連盟研究報告集 ; 16; (1966.9)

ご存知の方がいましたら、
トラックバックなどで、お教えいただけると幸いです。

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