新聞に元関脇寺尾氏のコラムが載っていて、その中に好きな言葉として海軍大将、山本五十六の有名な言葉がけいこ場に飾ってあると書いてあった。いい言葉なので、紹介しておきます。
「苦しいこともあるだろう。云い度い(いいたい)こともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である」
ここでの「男」 というところを 「人」 と置き換えると時代を超えた普遍的な言葉だと書いてあった。修行をつんでいく世界などはまさにそうだと思う。今は大分変わったが、設計の世界などもそういう面があった。所長が言ったので図面を書き直したが次の日には全然違うことを言う。そんなときでも言いたいことをぐっとこらえてまた書き直したりした。
理不尽なこともあったが、それを辛抱してやってきた。これがいいことなのか、もっと自己主張をしたほうがいいのか、わからない。ただ、いえることは いい建物を設計したいということだけだった。見積もりの出る前の設計の変更は 設計事務所の儀式のようなものであり、変更が当たり前だと思っていた。
20代は休みの日には建物を見に行き、展示会、講演会など様々なことに貪欲に顔を出した。30才で開業してから十数年。その当時は学校に教えにいったり、セミナーの講師をやるようになるとは全然想像できなかった。これがいい方向に向かっているのか、自分のするべき方向と違っているのか、自分ではわからない。しかし、師匠はいう、「今やっていることは偶然のことではなく、必然なのだ」 「だから一生懸命やらないといけない。」 そうなんだろうと思う。そういう強い意志がないと先に進めない。迷っている場合ではない。
話が長くなってしまったが、話をもとに戻すと、寺尾氏が書いているように人というのは 「こらえてこそ成長」 する部分は大きいと思う。そしてあるレベルまで到達すると、何かに導かれるように思いもよらない道が用意されているようだ。そう、「こらえる」=「辛抱」ということは辛いことだけでなく、その先に何かが待っているはずである。その何かは人に幅と奥行きをもたせるような気がする。それが成長の証、生きていくうえでの面白さであるように思う。
辛抱(こらえる)という言葉は、時代おくれの言葉のように思われているが、そうではないと思っているので、今回は少し真面目に書いてみた。大切な言葉だと思う。