富小路休憩所のエリアを見て、今回の目的であった京都御苑内の五ヶ所の休憩所施設巡りを完了しました。その後は「適当にブラブラしましょう」と同行者が言い、それに合わせました。富小路広場の北に京都大宮・仙洞御所のエリアがあるので、自然にその外郭築地塀に沿って歩く形になりました。
仙洞御所の正門です。普段は閉じられています。仙洞御所の建物は江戸期に火災で失われて以来再建されておらず、庭園だけが残されていて、御殿の機能は北隣の大宮御所に移されているそうです。
築地塀に沿って北へと進みました。
京都大宮御所の正門です。門自体の名称はあるのか、と同行者に訊ねたら「御所のように各所に門があるのと違ってこちらは西側の正門だけなので、正門が正式名称です」と説明してくれました。
こちらの正門も普段は閉じられており、一般参観の出入口は北側にある通用門にあてられています。
北側へ回り、上図の清和院御門へと東進しました。
清和院御門を出ました。その際に同行者が「まだ時間あるし、前は入れなかった所、行けますよ」と言うのでついて行きました。
前は入れなかった所、とは上図の新島襄旧邸宅でした。この時期に特別公開されていました。
同行者は大学時代にセミナーや特別講習で二度ほど入ったそうですが、私は今回が初めてでした。
入ると左手に江戸期の長屋風の建物がありました。新島襄の本宅の付属屋で、新島襄が両親の隠居所として、江戸藩邸にあった住居の仕様で造らせた建物です。たぶん両親は、明治期のハイカラな折衷住宅には馴染めなかったのかもしれません。
奥に新島襄夫妻の本宅の建物が見えました。周りに樹木が並んで繁っているため、建物の外観があまり見渡せませんでした。
本宅の建物は周囲から窓越しに内部を見るという公開方式でしたので、中へは入れませんでした。原則として同志社大学の関係者でも入れない決まりであるそうです。創立者の邸宅空間ですから、聖域扱いされているのでしょう。
それで、本宅の周りを一周しつつ、四方の窓や戸口から内部空間を順に見ました。上図は応接室で、奥の部屋は食堂です。応接室は、同志社大学の前身である同志社英学校が開校した際に仮校舎の教室または会議室として使われたそうです。机や椅子や調度品類も当時のままであるそうです。 (続く)