伊香保温泉の石段街は、沢山の観光客で賑わっていました。年間160万人が訪れる北関東有数の人気観光地であるうえ、インバウンドの回復もあって海外からの観光客も多く、周囲から聞こえる話し言葉の数割が中国語か欧州語でした。
気温も高かったので、アイスや飲み物がどこでも売れているようで、石段をベンチがわりにして座って飲み食いしている観光客が多数にのぼり、場所によっては邪魔になっていて歩きづらいこともありました。
この日は伊香保温泉街の下見というか、聖地スポットの位置の確認を行ない、ついでに伊香保温泉の鎮守である伊香保神社に参拝する予定でした。
石段街のメインルートである365段の階段は、もともとは伊香保神社への参道も兼ねていて、階段の上へ登り切ったところに境内地が位置しています。それで、普通の階段よりも段差が大きい石段をずっと登っていきました。身延山久遠寺の菩提梯ほどではありませんが、足を高く踏み出して登るので、だんだんと疲れてきました。
途中にあった蕎麦屋です。蕎麦が好物ですので、こういうお店には引き寄せられてしまいますが、中をのぞいてみると超満員でした。人気の観光地の食事処あるあるでした。
さらに登っていくと、ゆるキャンの第96話の表紙イラストの景色によく似た場所にきました。その東側にあるのが上図の「すみよしや」でした。その建物のレンガ調の外装になんとなく既視感を覚えました。
それで、少し上へ登って振り返り、上図の景色を見ました。このアングルじゃないかなあ、と思い、あらかじめプリントして持参した第96話のイラストやキャプションを取り出して比較しました。
上図右の饅頭屋の看板、左の酒の看板がだいたい一致したので、ここだな、と確認しました。石段街のほぼ中央あたりに位置しています。
右側の饅頭屋の外観です。この日は閉まっていました。地図を取り出して、作中のスポット4ヶ所、石段下、アヒル神社、石段の湯、石段街の中央あたり、の全ての位置を書き込み、位置の確認と下見を終えました。
そのあとは、伊香保神社へお詣りに行きました。石段をひたすら登り、各所に設置されている湯桶のガラス窓をのぞいて、山上の湯元からザーッと流れて落ちてゆく湯を眺めたりして、石段街の一番上の辻まで行きました。そこから上図の伊香保神社の鳥居をくぐって参道階段を登りました。
伊香保神社の境内地に着きました。上図は拝殿で、後ろの本殿とともに明治十七年(1884)の再建とされます。神社では仮宮としているので、いずれ正式な拝殿と本殿を建てる計画があるのでしょうか。
案内板の略記です。平安期の「延喜式」神名帳に「群馬郡 井加保神社 名神大」と記載される式内社のひとつで、社格は名神大社(みょうじんたいしゃ)です。
創建は九世紀の天長二年(825)とされますが、もとの本社とされる三宮神社は八世紀の天平勝宝二年(750)まで遡りますので、当地の渋川市においては間違いなく最古級の神社です。上野国の三宮ともされたようで、富岡市の一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)、前橋市の二宮赤城神社(にのみやあかぎじんじゃ)に次ぐ重要な神社でありました。
参拝し今回の聖地巡礼の道中安全を祈願した後、拝殿の横へ回って本殿を見ました。建物は周囲の玉垣も含めて最近に塗り直しの修理がなされたようで、真新しい茶色一色に染められていました。
拝殿の側面に懸かる上図の大きな額、おそらく奉納絵馬のそれと思われますが、これも茶色に塗られていました。額内に三枚の板が縦に並べてはめられてあり、それぞれに何らかの図柄もしくは文字が書かれていたような痕跡がありました。いずれ新たに描き直すのでしょうか。
伊香保神社の境内地の一段下に、上図の薬師堂がありました。正式には医王寺薬師堂といい、薬師如来を本尊として祀ります。
薬師堂の内陣を拝みました。本尊の薬師如来は医療と温泉の効験もつかさどる仏として古代より信仰され、全国各地の有名な温泉地にはたいてい薬師堂があってお祀りされています。
なので、ここの薬師如来も古くから伊香保温泉の護り仏として崇められたのだろうと思いますが、医王寺薬師堂の歴史は不明のことが多く、一時期は伊香保神社の摂社に組み入れられて温泉神社と名乗っていたこともあるそうです。いわゆる神仏混交の形態であったことが伺えます。
薬師堂の近くの道端に建つ大きな石碑です。北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)と刻まれています。北辰とは道教でいう北斗星、鎮宅霊符とは家内安全などのための72種の護符のことで、これを司る守護神が北辰鎮宅霊符尊です。
これの信仰は古く飛鳥時代に朝鮮半島の百済からもたらされたといわれ、仏教の妙見信仰と結びついて厄除および開運の守護神として信仰された歴史があります。
北辰の方角、つまりは北の守護神とも崇められましたから、北向きの町である伊香保温泉石段街の守護神とされ、周辺の旅館や商店を中心とする人々によって、昭和四年にこの石碑が建てられました。
伊香保温泉は、江戸時代から大正九年に至るまで何度も壊滅的な大火に遭っていますが、この北辰鎮宅霊符尊碑が建てられてからは、大きな火事は起きておらず、太平洋戦争中の空襲も免れたといいます。霊験あらたかな神様です。
引き返して石段街の石段を降りました。途中で上図のマンホールを見つけました。この漫画およびアニメとは縁がありませんでしたので、伊香保温泉がその聖地の一つであることを初めて知りました。
途中にあった萌え自販機。石段街を登る時には気付かなかったのですが、降りる時に大勢の外国人が一様にスマホを向けていたので、何を撮っているのだろうと近寄っていって、この自販機を見つけました。「温泉むすめ」のキャラクターのようです。伊香保葉凪、ですか・・・。
自販機の側面には5人のキャラクターがありました。群馬県の有名温泉の温泉むすめ達です。上左は四万温泉の四万治佳、上右は水上温泉の水上凛心、下左は万座温泉の万座千斗星、下右は草津温泉の草津結衣奈、だそうです。 (続く)