京都のブロガーさんの日記に、出久根達郎さんのことが書かれていた。
出久根さんの著作は、新聞連載のエッセー以外は読んだことはないが、昨年の5月
の日記に「母の日を前に」のタイトルで、出久根さんのエッセーを引用させてもら
った。
少し長文ですが強烈に印象深い内容だっので、再掲したい。
(読まれた方がおられたらお許しください)
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昭和の左甚五郎といわれた彫刻家・阿部晃工(1906-1966)が、苦労して入った東京
美術学校で、相撲の稽古中に右腕を複雑骨折した。
彫刻家には致命傷であり自殺を考えたほどで、故郷(北海道)の母に「帰りたい」と訴えたら
しい。
母からは次のような手紙が来た。
「手紙を見ました。大分困っているやうですね。(略)今家は大変です。
一銭のお金も送ってやれません。母はお前を天才児として育てて来ました。母はそれが誇りだっ
たのです。
今お前も一人前になりました。その一人前の人間が食べられないから帰るとは何事です。
乞食でも野良犬でも食べて居ます。お前は野良犬や乞食にも劣る意久地の無い男ですか。
母は末っ子のお前を甘やかして育てたのが悪かったのです。けれどもそんな意久地なしには育て
てないつもりです。食べられなければ食べずに死になさい。何で死ぬのも同じ事です。(略)
お前は母がいつ迄も優しい母だと思って居るのは間違いです。帰ってきても家へ入れません。死
んで骨になって帰ってきなさい」
手紙の末文には、
「そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待って居ます 喜二郎どの母より」
(作家の出久根達郎さんのエッセーから)
*** ***
安部晃工はこの手紙に発奮、左手で制作して次々に入選を果たし、日本彫刻界の重鎮にな
った。
なお、晃工の母は手紙の翌年に53歳で病死したという。
何度読んでも厳しくも深い母の愛に、心が震える。
出久根さんは古本屋を営みながら作家デビュー、「佃島ふたり書房」(講談社文庫)
で直木賞を受賞、「本と暮らせば」(草思社文庫)などエッセーも多数。
ネットで著作を取り寄せ、読みふけりたい。
親子の風景
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