何か緊張感を一気に盛り上げておきながら、はぐらかされたような感じがするでしょうし、
ハリソンさんの話の転換の仕方も一見唐突ですよね。
多分明日の午後にはパリの住居に到着する予定なので、
ここでいっちょパリの名前の由来の薀蓄でも披露しようぢゃないか
―とでも思ったんでしょうな~。
ハリソンさんが不機嫌になる質問をマー坊がする直前にもパリの話をしていた訳だし、まぁ話が元に戻ったといやぁ戻ったんでしょうけどね。
ここからの二人のやりとりに出てくる話は、L.スターンの愛読書で、「トリストラム・シャンディ」にもよく出て来る、
フランソワ・ラブレー(1483-1553)の書いた「ガルガンチュワ/パンタグリュエル物語」からの出典です。
作者の家にも岩波文庫ワイド版の「ラブレー第1~5之書」まであるのですが、
昔の人の訳(「第1後記1941年」なんてありましたが、第2次世界大戦真っ只中で、
こういう事やってて大丈夫だったって人もいたって事ですな~。)
―のためなのでしょうか、すごく重厚に感じるのですが。
しかも元々のラブレーの文自体が薀蓄系で、1ページあたりの情報量がとても多いんです。
その上、その薀蓄についての訳注が本文の終わった後にまとめてドッサリとあるので、
本文を読んでいて不明な点があると、訳注№を頼りに、一々後ろに行って調べた後、
また戻って来て続きを読まなくてはならないんです。
・・・確かに面白い話だとは思うのですが、上記の事を几帳面にしていた苦痛感を伴って思い出す所が難点なのです。
新訳(宮下志朗さん訳/ちくま文庫)も出たらしいのですが、実はまだ読んでいません。
去年だか、荻野アンナさんの「ラブレーで元気になる」は読んだのですが。
荻野さんの部分訳はとても軽やかなので、ラブレーさんが「軽い人」なのか「重い人」なのか分らなくなって来ました。
家にある「フランス名句辞典」には原文の抜粋が幾つか載っていて、
それをみる限りでは「重い人」には、今の所見えないのですが。
ただ単に訳者のキャラが反映されているというだけなのでしょうか?
それとも時代の雰囲気が反映されているのでしょうか?
それにしても荻野アンナさんと渡辺一夫さんの訳は光と影の如くの違いなのです。
・・・作者はできれば荻野さんの新・新全訳が読んでみたいのですが・・・。
〈次回の更新は9月15・16日の予定です。〉
次回は第4話完結編/料理&エッセイ(ピカルディ風グラタン)となります。