漫画/ハリソンさんはカノ紳士 Mr.Harrison is THE GENTLEMAN ― フランス通過編 ―(前半)

18世紀欧州が舞台の歴史ロマン。アヴィニヨンの薬屋小町クレールとハリソン&マルセル主従との運命の出会い。

百の天才少年少女よりウチの孫ッ!

2010年06月27日 12時45分48秒 | 第16話/天才少年と手紙
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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 夏の日暮れの遅いロンドンの残照の中で、
馬車に揺られながら、ハリソンさんが心に叫ぶセリフ、
作者自身にもガツーンと来ますな!

 ― と、いうのも、作者、
モーツァルトさんが少年時代に作った曲達の方を、
大人になってから作った曲達よりも、
愛聴しているからなのでした。

 By the way, どうでしょうか?
今日のタイトル&2 ・ 3コマ目、
お孫さんをお持ちの方々、もう大いに共感していただけるのでは?
― と思うのですが。

 漫画のおじい様、ロンドンに住んで商売している、
べリンダさんのお父様なのでした。
モーツァルト少年の楽譜を唸りながらジロジロと眺め、

「 ふん、なんだいっ! 」

― って、感じで、

「 でもさっ、わしには、自分の孫達が一番だね!
なんてったって、側にいるだけでわしを喜ばす事ができるんだから。
それこそが本物の天才だよ! 」


― の、ようです。

 …いいんだよ、全然それでさ! 

 ジュゼッペ・サンマルティーニさん ( 1695-1750 ) は、
イタリアのミラノに生まれて、
現在では 「 新 ・ 交響曲の父 ( 旧・父はハイドンさん ) 」 と呼ばれている弟のジョバンニ・バッティスタさん ( 1698頃-1775 ) と一緒にロンドンに渡り、
オーボエ奏者&作曲家として活躍していたそうです。

 ローレンス・スターン聖下の 「 センティメンタル・ジャーニィ 」
に出て来る、ミラノのジョバンニ・バッティスタ・マルティーニさん ( 1706-84 )
とは別の人なのでした。

 音楽の話ついでに、同じく 「 センティメンタル ― 」 の中で、
パリに滞在していたヨリック氏が、 B * * * 伯爵の縁で知り合った、
徴税請負人 P * * * * 氏というのは、ラ・ププリニエールさんという人で、
私設オーケストラを持っていました。

 マルティーニさんは作曲家、音楽理論家として活躍した人で、
モーたんが後にイタリアへと武者修行&就活に行った時に、
お師匠様となった人です。

 先週に書いた、モーたん映画では、
一緒に付いて来た父親の機嫌をうかがって、
モーたんが世間受けする曲ばかりを書こうとするのを心配して、

「 たとえ、壊れた時計でも、一日に2回は時間が合うものだ。
だから、世の中に媚びず、世の中が自分に追いついて来る時を待つのだ。 」

― と、諭していたのが、作者の心にずっと残っているのでした…。


 〈 次回の更新は、7月3 ( 土 ) ・ 4 ( 日 ) 日の予定。 〉
        
次回からは、 「 トリストラム・シャンディ 」
愛読者の感想文 Vs. ハリソンさんの感想の感想編となります。


 



 

モーツァルト少年の楽譜を衝動買い

2010年06月26日 21時19分03秒 | 第16話/天才少年と手紙

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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 ハリソンさん、アレックスさんとは、
次の第17話で、やっと話ができるのですが、
果たして、後姿美人で終わりではない、
前から見ても美少女キャラなんでしょうか?

 べリンダさんが買ったという、
モーツァルト少年の楽譜は、
現在、「 ロンドン・ソナタ 」 作品3 ( ケッヘル10-15 )
と呼ばれているソナタ集のようです。
…きっと、ずっと持っていれば、
シンプソン家の子孫達のお宝になるね。

 この曲の楽譜は、父親のレオポルドさんが、
宿泊先やその他で開いたコンサートでも売っていて、
売れ筋商品だったようなのですが、
も~最後の最後まで売ってやるゾ~っ!
―― って感じなんでしょうか?!

 本当は、チェロで弾くんですが、
ハリソンさん、チェロについては、仮に現在弾けなくても、
練習すれば弾ける素養はあるのですが、
肝心の楽器を持っていません。

 代わりにハリソンさんは、
現代では、中世から18世紀半ば頃までの、
古楽の演奏に使われる、
ヴィオラ・ダ・ガンバという名前の、
低音部パートを受け持つ、
弦楽器を持っているのでした。

このヴィオラ・ダ・ガンバ、
べリンダさんはイタリア語のまんま、
しかも前方省略形で呼んでいますが、
英国では、バス・ヴァイオルと呼ばれていたのでした。

 ローレンス・スターン聖下も持っていて、
冗談&演奏技術に対してのへりくだりが混じってなんでしょうが、
蔑称もしくは俗称である 「 フィドル 」 と呼びつつも、
愛奏していたようです。

 …そういう訳で、
べリンダさんが 「 ガンバで 」 と言っているのは、
「 頑張って、チェロを弾いてね。 」
という意味ではありません。


 今日の続きは明日。
 

 

どこかのお姫様にも同じ事言ってんでしょう?

2010年06月20日 19時14分07秒 | 第16話/天才少年と手紙

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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 モーツァルトさん、 「 ベルサイユのばら 」 の中にも、
それは出て来たし、
モーたん映画の中にもよく出て来るようですが
― とはいえ、 「 アマデウス 」 では出て来た記憶が無いけど、
― それはともかくとして、有名なエピソードなんですが、
6歳の時、御前演奏をするため、オーストリアの皇居を訪れた時に、
すっ転んだのを助けてくれた、

7歳だった、
かのアントワネット様にプロポーズしている。


― のでした。

 で、お姉さんが、その事をシッカリ覚えていて、
吹き出しているんですけどね。

 その後、ご存知のように、アントワネット様、
この物語終了後の2年後くらいに、
フランス王太子妃になって、
フランス革命で首チョンパの刑に処せられてしまうのですが、
最後に過ごした牢獄で歌っていたのは ―― 、

…ハイドンさんのある交響曲の第2楽章だったらしいです。

 モーツァルトさん、
大人になってから、雇用主のザルツブルク大司教さんとケンカして、
パリへと転職活動をしに行ったのでしたが、
その時は、子供の頃とは打って変わって、
王妃となっていたアントワネット様とは会う事すら無く、
もっと下の貴族階級の方々からも、
軽くあしらわれてしまうのでした。

 死の前年くらいに、
困窮状態を見かねた年の差友人であるハイドンさんが、
一緒に英国に行こうと誘うのでしたが、
ある映画では、

「 その頃まで生きていられるか分からない。 」

― と、モーたんが断っていました。

 ハイドンさんが、自分が老い先短いからかと誤解して、

「 おいおい、私はまだ長生きするつもりだよ! 」

と、憤慨する所か、逆に朗らかに言うのでしたが、
モーたんが、

「 いえ、僕の方が…。 」

― と、寂しげにつぶやいたのでした。

 ハイドンさん、モーたんに、
「 あんまり深刻に思い詰めない方がいい。 」
と言って励まし、帰って行ったのでした。

 その後、モーたんは、 「 魔笛 」 が大ヒットして、
これから事態が好転するかと思いきや、
上記の映画では、気を良くしたモーたんが、
行きつけのお食事処に行って、
店主へと仕事の成功を嬉しそうに語る一方で、
子供の将来の心配もしてたりしつつ…。

 その後一人で祝杯をあげていた時、
突然ワインを吐き出して倒れてしまい、
自宅に担ぎ込まれて、
医者や家族に囲まれて手当てを受けたけれど…
と、いう感じで完結してしまいました。

 ― そういう訳ですし、
アレックスさんと呼ばれているお嬢さんも、
モーたんが、たとえハイドンさんと1791年に渡英できていたとしても、
もう、誰かの奥さんになっているのかもしれません。


 〈 次回の更新は、6月26日 ( 土 ) ・ 27日 ( 日 )の予定。 〉

ハリソンさんが、ヴィオラ・ダ・ガンバを弾いて、
居候先のシンプソン家の人達とホーム・コンサート。

影響受けるも、ほどほどに…

2010年06月19日 23時10分41秒 | 第16話/天才少年と手紙

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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 モーツァルトさん、渡英時に、
当時英国で、公開演奏会などを開いて活躍していた、
クリスティアン・バークさん ( 1735-82 ) に可愛がられ、
大きな影響を受け、終生尊敬していました。

 クリスティアン・バークさんも、
ハンデルさんのように、
ドイツ語圏からイタリアへと向かって武者修行した後、
英国へとやって来て、
シャーロット・ソファイア妃の音楽教師として、
王室にも仕えていました。

 クリスティアン・バークさん、
現代では大バッハと呼ばれている、
ヨハン・セバスティアンさん ( 1685-1750 ) が、
再婚した相手との間にもうけた末っ子なのでした。

 大人になったモーツァルトさんは、
後援者、ヴァン・スヴィーテン男爵から、
大バッハさんの楽譜を見せてもらいました。
そして、バッハ家親子二代から影響を受ける事となります。

 モーツァルトさん、
他にも当時の大勢の作曲家さん達から影響を受けているので、
前古典派&古典派の作曲家さん達のCDを聴いていると、
特に、カール・シュターミッツさん ( 1745-1801 ) の
「 クラリネット協奏曲集 」 とか、
本当は影響を与えた方なんだろうに、
なぜか、

「 モーツァルトに似ている。 」

― と、逆方向に思ってしまうのでした。

「 モーツァルトが似ている。 」

― ってのが正しいのですが。

 …現代では、当時とは知名度や評価が、
大逆転しているからなんでしょうけどね。


 ところで、実は作者、
この話を描いて行く上で当然有り得る事で、
覚悟もしていましたけど、
それでもやっぱり、
トリストラム・シャンディさんの性格の影響を受けてしまって、
日常生活に支障をきたすくらいの事が何度かありましたね。

 でも、それらは、ハリソンさんの今後の運命や、
心の動きにも反映されて行くんでしょうから、
この物語の完成度を上げるとか、
説得力やリアル感を出すためには、
決して無駄な事ではないんでしょうけどね。

 しかしながら、スターン聖下崇拝者の方々が、
彼を大好きで、似ていたらいーなーなんて願ったあまりに、
世間から迫害を受けるような言動を、
ほとんどオートマチックにしてしまったり、
ボーっとして、トンデモない大失敗を、
やらかした事はないんだろうかと― 。

 それほどでは無い作者ですらこうなんですから、
崇拝者の方々には…大きなお世話ながらも、
心配になる事があるんですけどね。
どぅおーですか!?

 …第15話に出て来た、フレディ君の将来も心配だな~。


 今日の続きは明日。






 


意味が分かって作曲してるのだろうか?

2010年06月16日 21時51分45秒 | 第16話/天才少年と手紙
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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 ハンデルさんは、第4話でも書きましたが、
元はドイツのハレ出身である、
ヘンデルさんの英国での帰化名です。
「 エアと変奏 」 は、現在では 「 調子の良い鍛冶屋 」
と呼ばれています。

 トーマス・オ―ガスティン・アーンさん ( 1710-78 ) の
「 ブリタニアよ統治せよ 」 は、
現代でも英国で愛唱されているらしいのですが、
歌詞がとってもとっても勇まし過ぎて、
もし、日本人が同じ趣向の曲を、
公の場でみんなで歌ったのなら、
近隣諸国からブッ飛ばされそう
です。

 この漫画では、譜面台で隠れていますが、
大人になったモーツァルト姉弟が、
内側の手を交差させて、
ピアノの連弾をしている絵が実在していますので、
もしよろしかったら、
そちらを参考にして下さい。

 現代では、 「 ピアノソナタハ長調 K19d 」
のタイトルで呼ばれていて、
楽譜と収録CDもありました。
ハリソンさんの言っている個所は、
第3楽章ロンドーの中間部のようです。

 「 さあ怒りにまかせて 」 は、
訳詞から想像するに、
娘がこれからしようとしている事を、
父親が咎める歌らしいのです。

 当時のロンドンの法律学者ディンズ・バリトンさんという人は、
モーたん作品の感情表現が素晴らしいと言っていたそうですが
…よく現代の評価家さん達から言われる褒め言葉、
「 純化された感情表現が巧みだ。 」
― と同じ意味なんでしょうか?

 当時、音楽では多感様式とか、
また、文学と両方でシュトゥルム・ウント・ドラング運動とか、
絵画では新古典主義とかいう
新しい表現方法が現れていたようですが、
まだあまり複雑な感情が、
連続表現できる段階では無かったようです。

 そんな時代の中で、
「 トリストラム・シャンディ 」 の感情表現方法は、
時代の先を行き過ぎてて、
異様だったんでしょうな。

 つーか、読む人の性格によっては、
21世紀現在でさえも、
時代の先を行き過ぎているって感じの異様さで、
付いて行きたくないと思うんじゃない?


〈 次回の更新は、6月19 ( 土 ) ・ 20 ( 日 ) 日の予定 〉

ハリソンさんの不幸な運命を変える、少女との再会が ――。


 



 

何ゆえ、この曲を選んだ?!

2010年06月13日 12時53分18秒 | 第16話/天才少年と手紙

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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 少年モーツァルトさんのコンサート演奏曲目が変更になり、
3コマ目4コマ目の描き変えが必要になったため、
土曜日更新が予定通りにはできませんでした。

 最初、演奏する第1曲目は、
現在、 「 ピアノ協奏曲第3番ニ長調 」 と呼ばれている曲になっていて、
3コマ目がその曲の構成についての説明に当てられていました。

 ところが、その曲は、モーたんが1767年の11歳の時に書いたのだという事が、
分かりました。
1765年までに楽譜出版されていた、
ドイツ語圏の作曲家の作品を編曲した曲だったのを、
モーたんの作曲年と勘違いしていました。


 それで、3コマ目をこのように修正しようとしましたが ―― 。

              ▼




 …何か、凄くぎうぎう感がするし、
4コマ目もそのまま使用しようとしたけど、
モーたんが何の楽器を弾いているのかが分かりにくいので、
上の2コマ目までを切り取って、新しい原稿用紙に貼り付け、
3・4コマ目を全く新たに描き直ししました。

 当時、ピアノはすでに発明されていて、
家庭用楽器として富裕層で普及していたようで、
英国は製造の先進国だったとの事だそうです。

 …ただ、モーツァルト家のメンバーが、
渡英中にピアノを弾いたという記録がないのだそうです。
そして、ピアノが公開コンサートに登場するのも、
クリスティアン・バーク ( 1735-1782 ) さんが、
1768年に使用したのが最初だったとの事でした。

 という訳で、モーたんは、ヴァージナル型スピネットという、
鍵盤楽器を弾いているらしいのですが、
ハリソンさんが着席している側からの見え方に
近い姿で描き直しました。

 「 リラブレロ 」 は、 「 トリストラム・シャンディ 」 の
トゥビー叔父さんが、何か釈然としない事があった時に、
よく口笛で吹いている曲なんですが、
世間の流行り物を気にする、モーパパのレオポルドさんが、
ロンドンの聴衆に対して、
ヘンに気を使って選んだんでしょうかね?

 …まぁ、この曲に関しては、また今話の終了後、
「 トリシャン・カノ紳Version.3 」 で特集しようと企画していますが ― 。


 続きは、明日か明後日か明々後日までにはできたら…いいなぁ…。



紳士淑女の皆様どうかご着席を!

2010年06月06日 17時12分22秒 | 第16話/天才少年と手紙
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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 え~、ハリソンさん、髪型がしょっ中変わっていて、
かつタイミングが不自然だとお思いの方は、理由をこちらでお調べ下さい。
何か今話では、前髪の長いポール・ベタニーさん系から福山雅治さん系の
髪型に突然変わっているような印象を与えそうなので ― 。

 べックフォード家は、砂糖で巨万の富を得ていて、
まいけるっちの奥さんであるべリンダさんの実家は、
お茶っ葉の販売&喫茶店経営をしているので、
その繋がりでの知り合い同士なのかもしれません。

 ガキンチョ・モーツァルトさん、
ロンドンでは前市長さんの跡取り息子で、
後にBL事件を起こして社交界から追放されたり、
ウォルポールさんの苺ヶ丘城を、
「 あんなのゴス城じゃないね! 」
と嘲笑して、フォントヒル・アベイの城を建てたり、
「 ヴァセック 」 というゴシック小説を書いたりした、
ウィリアム・べックフォード ( 1760-1844 ) さんに、
クラヴィア ( 鍵盤楽器 ) を教えていたのだそうです。

 立派なオジさんの書いた修養の書を読んでいて、
( たいてい歴史上の偉人さん達のエピが満載だったりする。 )
時々ガッカリする事があるのですが、
そんな時、書いてあるのは大抵ハイドンさんにまつわる誤解なのでした。

 交響曲はハイドンの発明である。

― って、書いてあったりするんです。
「 交響曲の父 」 と呼ばれているせいなのでしょうか?

 実際は、17世紀にオペラが成立し、
冒頭に演奏される序曲 ( シンフォニア ) が段々に進化して来て、
そのうちオペラやお芝居だけでなく、
演奏会の始まりにも使用されるようになり、
最後には独立して鑑賞される1ジャンル ( シンフォニー ) になったらしいのでした。

 で、本ページでは、 「 交響曲第4番ニ長調、ケッヘル19 」
と現在呼ばれている曲が、
演奏会のオープニングに流れて、
聴衆に着席を促すというようになっています。

 ついでながら、現在では、
モーツァルトさんのパパりんであるレオポルドさんの作曲という事になっている、
「 おもちゃの交響曲 」 は、
作者の子供の頃、学校の音楽室にあった年表では、
ハイドンさんの作曲と書かれていました。


次回の更新は、6月12 ( 土 ) ・ 13 ( 日 ) 日の予定。

    ハリソンさん、モーたんが初っ端に弾くクラヴィア曲に困惑。


 

 


天才モーツァルト少年を見に行こう!

2010年06月05日 19時23分08秒 | 第16話/天才少年と手紙
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* * * この物語は、基本的にはフィクションです。 * * *



 ハリソンさん、アラベラさんにハート・ブレイクしちゃた後でもあって、
第14話のお終いの方で本屋さんにも言ってあったように、
フランスで ♪ センチメンタル・ジャーニー ♪
しちまいましたとさ ―― 。

それで、

 1763年4月から7月の間各地を放浪。
プロヴァンス地方の、ある村に11月初旬まで滞在。

 11月末にパリに戻る。

 12月から64年の5月まで、
カフェ・ブルトンに下宿しながら、
家賃代わりに店の跡取り娘マリアンヌさん&
店の客相手に英語を教える。

 その後、ロンドンへと戻って来て、
一旦ヨーク州にある、クラングベルフィールド村の自宅にも帰る。

 12月にまいけるっち一家と一緒にまたロンドンへと来て、
トリストラム・シャンディ氏がらみの用事を済ませた後も、
7月末まで滞在していた。

―― という所から、
第16話が始まります。

 ハリソンさん、 「 いっそ死んでしまいたい。 」
― とまで思い詰めながら、
〈 ふらんすひとり旅 〉 していたのに、
ジェヴォーダンの獣さん出没とは、ちょっと時期がずれて、
遭って食われずに済んでしまいましたね!


 一方、ヨアネス・クリュソストムス・ウォルフガング・テオフィール・モーツァルト ( 長っ! ) さんは、

 1763年1月18日にパリ着。

 64年4月23日にロンドン着。

 65年7月24日、
フランスのカレーへと向かうためにロンドンを立つ。

 8月1日、カレーで英国館泊。

―― らしいですな。

 …ちなみに、英国館というのは、当時のカレー市にあった、
有名ホテルで、本物語の第1~3話でハリソンさんが泊っていた、
英国ホテルのモデルになった場所です。

 その時にも書きましたが、ここの主人のデサン氏は、
ヨアネス・クリュソストムス・ウォルフガング・テオフィール・モーツァルトさんが、
未来には、ローレンス・スターン聖下をはるかに凌ぐつーか、
比べようもないくらいの18世紀の超有名人、
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトさんになるというのには、
気付けなかったようです…。

 
 * * * ついでに本ページのネーム * * *




 ハリソンさん、自分で 「 天才少年だった。 」 ― なんて言ってますが…。


 今日の続きは明日。