護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

日本とアメリカのお母さんの話

2007年03月01日 11時17分14秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
  昨日は、以前書いた硫黄島戦没者追悼式について書きましたので、一週間ほど前の丑三つ時に放送していた30年ほど前の硫黄島の再放送をDVDにダビングしたのを再生しました。
 その中の日本とアメリカのお母さんの話が胸をうったので書きたくなりました。新聞の切り抜きは編纂に時間がかかりますが文章は時間を要しませんので書き込みます。
      
 硫黄島で息子を亡くした日本とアメリカのお母さんの言葉が対象てきでしたのでご紹介します。

【日本のお母さん】
 《息子さんどんな人でした。》
 優しいいい子でございました。こんなこと申したらおかしいんだけど親孝行でございました
 
 《戦争が終わって30年たちましたがどんなこと思われますか》

 お国のためにあの果てたんだで満足だと思っています。日本の国がこのように栄えてきたのも子供たちがの行ってくれたお陰だとおもっています。ああ言う事がなかつたら今のようなことには行かなかったかもしれない。



 【一方アメリカのお母さんは】

 《息子さんどんな人でした。》

 息子は不思議な考えを持っていました。
 母さん子の戦いは戦争をなくすための戦争なんですよ、彼はそう言って征きました。不幸にも彼の夢は実現しませんでした。
 最後の戦争ではなかったのです。


 《ご子息の戦士の公報はさぞかし大きなショックでしたでしょう》

 人の一生でこれほどのショックはありません。帰ってくると信じておりました。私の一人息子ですもの、けれども結局は人生の出来事を受け入れないわけにはゆきません。
 
 《しかし、はじめからそのお気持ちでは》

 いえ、日本や日本人を憎いと思ったことは一度もありませんよ、お互いに、不幸にも命令に従っただけですもの。日本の父や母も息子たちを亡くなされたことでしょう。同じ立場の人にどうして敵意を持てましょうか。ただそれだけです。


 【また、硫黄島戦で負傷した海兵隊の兵士に】

 《負傷されたときの心境は》

 本当にほっとしたな。戦争というものは悲惨なものだ、戦う兵隊がどんな目に遭うか、上にいる将軍たちや政治家には分からんのだ。
 彼等が悲惨さを分かったら戦争はなくなるのだろう。
 どの戦争ももうまっぴらだ。

 負傷者や死体がごろごろ転がっていた。もう思い出したくないしはなしたくない。



 戦後30年ほど前に放映された硫黄島の戦争を検証する番組だが、これを見ていると時代の流れを感じる。

 もう、この映像に移ったお母さんは、30年経った今では亡くなっておられないと思う。今の時代だったら、イラクで息子を亡くしたお母さんはどの様な答えが返ってくるのだろうか。