護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

戦時体験記(1)

2007年03月06日 14時17分36秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
  このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。

戦時体験記(1)

私は、戦時中は戦地には行ける歳ではなかったが、私より一つ年上では少年兵で戦死している少年がいる。戦った経験はないが戦時中の銃後のことは頭の中から消えることはなく、私がこの世をおさらばするまで忘れることは出来ないだろう。

私は同人誌の世話人をしており、八月十五日には何かを書いてきたが、今年も終戦記念日が近付いたので、ごまめ家の戦時中の話を同人誌に掲載するために書いた。これをご紹介することにする。

私は昭和一桁生まれ。明治生れの大先輩まではいかないがそれでも七十数年の社会の変動は、現代の一年が徳川時代四百年以上で、地球上の人類が尤も科学化け学的に進化したのはこの百年ではないだろうか。

 人類の移動が乗り物に頼るようになり行動範囲が広くなると、種族間のトラブルも増えてきた。また、機械文明の発達と共に、兵器も発達し、経済も近代化するに従い国家、民族間にも富めるもの、そうでない者の差がはっきり現れてきた。

そして、その富める国々が、威力の有る武器をたずさえ外洋に出て行くようになってから、種族間の生死に係わるトラブルが始まり、武器の発達と共に大量殺戮の歴史が刻まれるようになった。

 私は過去の日本の戦争を擁護もしないし正当化もしない。殆どの戦は勝つものと負けるものに別れるのは必然で、力を持って争えば当たり前である。戦争の善し悪しは別として、その原因は必ず存在する。

日本の国土は狭い、その割に人口は多い。今になって当時のことを思い出すと、日本も裕福ではなかった感じだ。現代にもその傾向は有るが、当時も東洋人種の日本に国力が付くのを嫌がるのか、ガソリン等の輸入も侭ならなかった。ABCDラインでかなり追い詰められたことも知っている。

しかし当時の軍隊は政治では押さえ切れない程巨大に成り、軍の意向が国家の意向になり満州に手を出したのだろう。
 朧げながら覚えているのが、一九三二年の上海事変。一九三九年の盧溝橋。当時は連戦戦勝、よく提灯行列に連れて行ってもらった。当時を思い浮かべると、正義のために戦っていると言う教育が徹底していたために、子供心には戦争は当たり前のことにしか写ってなかった。日本は絶対に戦争に勝つとしか頭になく、敗戦などは考えてもみなかったのが本当だ。

 それが、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃から戦さの様相が変わってきた。翌年のミッドウェーの開戦。大本営発表は連戦連勝を発表するが、物資が益々逼迫していった。
 戦後判ったことだが、戦時中、私達国民は、嘘の報道を信じて、国家に奉公していたのだ。

 次回につづく




 今日は追記として先日書いた従軍慰安婦について書きます。

 私は、自分が体験したことだけしか書いていません。この戦時体験記にも書いていますが、我が家では朝鮮人のねえや(女中=お手伝い)さん。来たときは見るも無惨な格好でしたが、我が家に来て、小奇麗になったキチュベ(娘)が高く売れるので、親が引き取りにきて、いやがる娘を連れていきました。(昔は日本人の娘さんでも貧困家庭では人身売買『正確には年季奉公』が認められている時代です)
 これと同じことが二度あり、母は朝鮮人のキチュベでも花嫁修業のつもりで、我が家に居てもらうためには小奇麗にして貰わなくては困るし、身ぎれいになると高額な値段が付く。そのために娘さんを雇っているのではないと、以後、朝鮮人の女中さんは頼まれても頑として断っていました。クリスチャンの母はかなりのショックでキチュベの父親が引き取りにきて、嫌がるキチュベを送り出すときは涙をためていました。

 あとは吉州(キルジュ)と恵山鎮で朝鮮の家庭の娘さんが売られて連れていかれるのを目撃しています。女衒(ゼゲン=女を遊女屋などに売ることを業とする人。)は日本人ではなく朝鮮人でした。
 手に札束を持った母親が、身内一同で泣きながら手を振って送り出していましたから、強制連行とは違うと思います。

 私は強制連行は無いとは言いません。現在でも国家は国民の知らないところでは何をやっているか分からないのですから、当時は尚更だとおもっています。
 慰安所はあったのは確実ですから、悪賢い軍隊は直接手を下していなく、第三者に依存していたのではないかと感じていますが、分かりません。
 
 私は朝鮮時代は今でいう市にあたいする都市に住っていましたから田舎のことは分かりません。太平洋戦争なか程からは強制連行があれば、朝鮮民族の暴動があると当時のことを検証するとそう感じているのです。
 それは、政治犯で逮捕にきた官権に対して、朝鮮民族が大勢もの凄く抵抗していたのを見ているからです。

 戦後、満州や朝鮮で多くの日本女性のレイプがあったのは、私たち年代以上の引揚者は知っています。

 良し悪しは別として、其れが戦争だと云う事で、戦争は勝った国でも負け国家でも一番弱い人々が、犠牲になるのだと思います。

このプログの「日本とアメリカのお母さんの話」の中の硫黄島従軍のアメリカ兵士の
 「本当にほっとしたな。戦争というものは悲惨なものだ、戦う兵隊がどんな目に遭うか、上にいる将軍たちや政治家には分からんのだ。
 彼等が悲惨さを分かったら戦争はなくなるのだろう。
 どの戦争ももうまっぴらだ。
 負傷者や死体がごろごろ転がっていた。もう思い出したくないしはなしたくない。」

は、勝った国の兵士でも第一線で戦った兵士の気持ちがよく現れていると思います。



ブログのご意見の中に

まずは外国の侵略に対抗できるように
自衛隊のさらなる強化を推進しよう!!


と有りましたが、外国の侵略に対抗するにはどれだけの装備がいるのでしようか。侵略された時、食料はどうするのでしょうか。これは戦時中食べ物が少なかった時代の人間は、飢えを経験していますから、自給もままならない日本はどうするかと直ぐそう思うのです。。
 日本が戦場になると多くの命が亡くなります。昔の沖縄、現在のイラクを見ても分かります。

 そして日本の軍隊が外国に行くと、太平洋戦争と同じ過ちを犯すことになります。

 叱られるかも分かりませんが、昔から力の論理でいえば勝てば官軍です。

 この問題は円周率でいつまでも答えは出ないかも分かりません。答えが出た時に世界は平和になると思います。
 しかし人類が戦争や化学で地球を汚し地球の命が持たないかも分かりません。