◇ パリ
昨年の今日、そして時差が有るので今頃、
娘はパリに行っておりました。
上の写真はその時のもの。
エッフェル塔が見えます。
現地時間で2005年8月13日15時20分になっております。
その時、あなたは何を思い、喜び、何に戸惑って
いたのでしょうか?
大体は聞いているけど、もっと話して欲しかった。
何時でも話せると思っていたのがいけなかったのですね。
今日はお盆だからでしょうか?
やたらとあなたを思い出します。
その日あなたの見ていた風景
いいえ、わざわざ思い出さなくても
いつもいつも胸の中にいます。
あなたのいない人生なんてもう嫌だ!と思う日も、
会いたくて会いたくて、胸を焦がす日も・・・
あなたは家族にたくさんのことをしてくれました。
それを忘れません。
◇ 新宿の祖父の入院
私にとっては父、あなたの祖父が脳梗塞で90歳で倒れて
新宿のS中央病院に入院しました。
平成2年の一月頃のことでした。
最初は状態が良くなって退院出来ても、又直ぐ梗塞をおこして再入院。
一寸回復すると、見舞いに来た孫娘を病院で知り合った仲間に
自慢げに披露していたようです。
「おじいちゃんたらね、リンゲルを引き摺りながら病院中を回って
私を紹介するのよ。」
その後父は何回目かの脳梗塞を起こし、もう意識を無くして
ただ眠っているだけのように見えましたが、意識の無い筈の手を
握ると、ゆっくりと握り返してくれていました。
医者は「反射作用で意識はない。」と言いましたが。
そうなってから、母や私、弟2人が順番に泊まり込みました。
途中で昼間は、いつも付いている母が泊まり込みから外れました。
二ヶ月近く経ち、仕事を抱えながらなので、みんな疲れ始めていました。
すると会社勤めをしていたあなたが、
「4月30日なら私がおじいちゃんに付き添えるから。」
と言って私達の代わりに病院に泊り込んでくれました。
まだ世間慣れしていないあなたに、可哀相な事をしました。
その日の夜中、父の呼吸が止まり、ナースセンターに飛び込んでも
誰も居ず、上の階や下の階を走り回り、やっと見つけた看護婦を
連れて来た時は、もう臨終になっていたそうです。
まるで自分の過失のように、自分を責めて泣くあなた。
本当は父は機器を着けていたのだから、ナースを呼ばなくても
モニターに写っていた筈なのに!
病院中を走り回ってもその階には誰も居なかったって?
娘よ、ごめんなさい。
感じやすいあなたをそんなめに遇わせるつもりは無かったのに。
運の悪い事に担当の医師は本人の結婚式で休みでした。
「僕が居なくても、その代わりにちゃんと別の医者に
頼んで置きましたからね。」
私は父の臨終に間に合いませんでした。
しばらくしてから、私と弟2人が医者に呼ばれました。
「死因を調べたいので、解剖させて下さい。」
すると普段はおとなしい上の弟が断固とした調子で
「お断りします。」
後で聞くと
「あの医者、アルコールの匂いをプンプンさせやがって!
ふざけるなって!!」
私は何となく態度が変だな、呼吸が荒いなとは思いましたが
部屋が暗いのと、少し離れていたので気が付きませんでした。
◇ 父親の手術
5年ほど前、同じ病院で胆嚢の摘出手術をしたツレアイは
腹腔鏡を使っての手術でした。
その時あなたは、会社帰りに何度も父親の見舞いに訪れていましたね。
胆嚢を取り去った後は、殆んどの人が「術後1~2年は
便意を催すと、待った無しになり、近くにトイレがないと
悲惨な状態になる」と多数の友人から、本人がアドバイスを
貰っていました。
それでウチも「大人用のオムツ」を買い置きしました。
「パパがオムツだって~?」と苦笑しながら気の毒がって
いましたよね。
ところが退院後、用心の為に一度使っただけで、その後は
着用しなくなりました。
「催しても、全く以前と変わらなかった。」
本人に言わせると「完璧な手術をして貰ったんだ。
素晴らしい医者に巡り合った!」と
まるで神様にでも会ったように感謝しています。
私もあの近くで、噴水の飛沫を一緒に浴びれば
良かったのに、などと考えてしまいます。
でも なんだか この写真は 動き出しそう・・・
噴水が 今にも 風でゆれそうで・・・