関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

被災地を思い起こす

2011年12月06日 | 日記
今日も、長い会議だった。
この秋は、近年にない組織的運動の前進を果たしたのだが、
その間に情勢はますますおかしな方向に進んでいた。
税制をめぐって、納税者の権利を抑圧する法改悪が、タンタンと実行された。
政治家を標榜する者が、なぜ主権者(納税者)の権利問題に無関心でいるのか、
誰がそんなヤツを選んだのか。
大阪のあの「恫喝駆け引き専門偽政治家」の当選のことなど考え併せ、
政治家の劣化とその責任を考えざるを得ない。
大阪では教育の理想は語れなくなるだろう。

いよいよ、日本社会は「構造改革」の仕上げとしての
「大増税時代」に入るところまで来ている。
大衆は一部の支配層と資本のために、
せっせと身を削ることを義務として受け入れるのだろうか?

あとわずかで大震災から9か月になる。
思えば、一週間後に被災地に入ったが、
あの絶望的だった女川町はどうなっているだろう?
その現場から思い起こせば、政治の役割は誰にでもわかるはずだった。

3月20日の女川町の写真を掲載し、その時の感想めいた文章を再掲する。











▼女川の街に入る峠から見渡すと、津波は港から町を呑み込み、谷沿いにさかのぼるほどに水位を上げ、向かいの山の中腹まで家や車を押し上げていた。峠を越えて、隣の浦宿浜まで下ったようだ。どこまでも追いかける津波、その先端に生死の境があったのだ▼避難所の隣に設置された安置所には、多くの遺体が収容されているが、名前が判明したのは10分の1にも満たず、遺族による引き取りも進んでいない。被災地には、こうした悲しみがいっぱいだ。その上、元の暮らしに戻れるめども付かない毎日・・・