関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

一葉記念館 8月も西へ東へ、

2013年08月15日 | 日記
7月29日
一か月ほど前に行った時、休館日で見れなかった
「樋口一葉記念館」へいってみた。

今回は、たっぷり時間をかけて見ることができた。
幕末の混乱の中なかでの親の移住と手掛けた商売のとん挫。
その親の影響下での和歌の修学と才能の開花。
生きるための商売(雑貨・駄菓子)を通じた下町と市井の子どもたちへの観察。
同じく生きるための執筆・まったくオリジナルで新しい描写・・そして病気
などといった概括が一挙に頭に入った。
記念館の案内の方々の熱心な解説に感嘆した。

(以下、前回見損ねた時のメモ)
6月のある日所用で休暇をとり西日暮里へ行ったついでに、
東京の下町を歩いてみることにした。
まずは、樋口一葉の記念館をめざした。
都電荒川線の終点、三ノ輪橋から南西へ歩いて竜泉町方面へ。
大きな通りに「一葉記念館」の案内看板があり、
その奥の路地の一角だった。
すぐ手前には、お風呂屋さんがあり
「一葉泉」と書かれた大きな煙突が、
古風な屋根の上に目立っていた。
(写真:竜泉町の街並み)


記念館の前は公園になっており、
近所の人だろう3~4人が涼んでいた。
ところが残念、その日は休館日(毎週月曜日)。
仕方がないので、公園にあった碑文を写真に撮ってみた(写真↓)


そこから南方へ歩くと、
通りの向こうに何やらケバケバした建物が並んでいる通りが何本もあった。
知らぬ顔で歩いたが
途中に「吉原会館」と看板がある
公民館風のしもた屋に出くわせ、
やっと気がついた。ここが「吉原跡」だったのか。
(写真:吉原大門跡の交差点)


ということで、そそくさと通り過ぎ、
東の方へ歩いていくと、
商店街の入口に「あしたのジョー」の等身大人形があり、
「あしたのジョーの商店街」と街おこしをしているようだった。
そうか、ここが労働者の町・山谷なのだ、などと思い至った。
しかし、その日歩いたところは、
昔歌った岡林信康の「山谷ブルース」の印象とはまったく違い、
明るくきれいな街角ばかりだったのだが。
あとで地図を見てみたら「泪橋」という地名(交差点名?)もあった。
矢吹ジョーのボクシングジムはその橋の下にあったのだ。

しばらくブラブラして三ノ輪橋から都電に乗って鬼子母神前まで帰った。
(写真:都電荒川線)



(写真:都電・三の輪駅ホームにあった、懐かしい看板)



8月に入ってからは、秋の取り組みの準備で会議や打ち合わせが続いた。
9月27日(金)に日比谷野外音楽堂で集会を開くことが決まり、
8月7日に記者会見を行った。
今回もIWJ(インターネット配信のTV)が同時中継してくれた。

8月3・4日は、メガネ修理のため、西宮へ帰宅。
8月10・11日は、相方さまの実家(高崎市)へ行って、墓参り。
義父が丹精込めた畑に茄子と胡瓜を収穫に行った。
雨蛙が、跳ねまわっていた(写真)


実家の甥が、インターハイ(円盤投げ)で入賞したとのこと。すごいことだ。

思えば、私も40年ほどまえ、県大会で敗退した柔道まみれの青春の日々もあったのだ。
8月14日から盆休。
今日は、相方さま、N哉君、S穂嬢の3人は、東京に近い千葉の巨大遊戯施設で命の洗濯をしているらしい。
明日は、車で出雲方面まで大移動の予定・・・。


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