関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

鞍馬口へ、そして筑豊へ

2011年10月23日 | 日記
秋の雰囲気にうかれていたのか、
この2週間あまりは備えのない仕事や、
突発事態への対応で、右往左往だったようだ。
紙面企画の切り替えや3000号企画、新年号構想などなど
いくら考えても、抽象的方向性しか出てこない。
切り替えのできない日常生活からは創造性は生まれない。

そうこうしている内に、
長女が風邪をこじらせたようで
熱が下がらない事態が発生し、入院してしまった。
病院では肺炎と診断されたようだ。
帰宅のついでに京都・鞍馬口の病院に顔をだす。
日曜日なのでひっそりしていたが立派な病院だった。(写真)


病室がある7階から見た風景はなるほど京都だった。
街並みを北の高い方角から眺めたことがなかったので、
かなり新鮮だった。(写真は、北山方面)


19日からは、福岡へ出張。
その晩は直方市のビジネスホテルに宿泊した。
いわゆる筑豊地域である。
筑豊については、写真家土門拳の写真集
「筑豊のこどもたち」とか五木寛之の「青春の門」
の舞台といった程度の認識だ。
かつては、日本の石炭の最大産地であり、
あの麻生元総理の実家が地元財閥で石炭産業で大儲けし、
その後セメント産業に転身してさらに
儲けたという土地柄のようだが、
場所もはっきりとは知らなかった。
ところが、昭和のはじめまで石炭を積んで下る、
若松港までの搬路の主役であった
「遠賀川(写真)」
ぞいの道を直方まで移動しながら、
地元の役員の話を聞いたりする中で、
この筑豊には何かあるという気になった。


明治の富国強兵・殖産興業策、八幡製鉄、日本資本主義の確立、
朝鮮併合、二つの世界大戦、戦後復興、
そして石油へのエネルギー転換、高度成長と没落、
輸出製造大企業の誘致、そして産業空洞化。
この100年余りの日本歴史の最先端で、
人々が生活してきたところのようだ。

直鞍、田川、飯塚の3地域の皆さんと交流したが、
みなさん気風の良い人ばかりだった。

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