「気性の荒い独裁者」を見くびってはならない
東洋経済オンライン 4/25(火) 5:00配信
「気性の荒い独裁者」を見くびってはならない
養豚場を視察する金正恩朝鮮労働党委員長(写真:KCNA提供/ロイター)
「第3次朝鮮戦争核危機」はクライマックスを迎えるのだろうか。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が政権基盤の盤石さを内外に見せつけるのが4月25日の朝鮮人民軍創建85周年イベントだ。
北朝鮮は、その国威発揚の年中行事にあわせて6回目の核実験実施の動きを見せている。そうしたなか、トランプ米政権は米空母を朝鮮半島近海に派遣、さらに日米首脳電話会談と米中首脳電話会談の「政治ショー」をたて続けに開催した。
米国は金正恩氏に軍事的・外交的圧力をかけることで、核実験や弾道ミサイルの発射実験といったさらなる挑発行為を自制するよう、強くけん制している。
■5月9日の韓国大統領選挙までは自制か
北朝鮮は少なくとも5月9日の韓国大統領選挙まで、核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を見送る可能性が高い。さらなる挑発行為に出ると、南北の緊張が高まり、大統領選で韓国の保守層に追い風を吹かせることになるからだ。
北朝鮮としては何とか親北派の文在寅氏に勝たせたい。さらに、核実験やミサイル実験を強行すれば、中道左派の安哲秀氏に加え、文氏も、米軍の高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD〈サード〉)の韓国配備について賛成に回りかねない。
また、現在のように、日米韓中の4カ国が、まるで太陽系の惑星が一列に並ぶ「惑星直列」のように、共同戦線で北朝鮮に強烈に対峙(たいじ)しているのは歴史上、極めて異例だ。
「北は全面戦争を避けようとする」は本当か
北朝鮮はかつて孤立して窮地に陥った際には、日米韓の連携を断つ「分断外交」をしばしば展開した。今回は、内政が不安定の韓国をターゲットに4カ国の連携を分断させるようとする動きのほか、ロシアへの接近を誇示して、中国の圧力に屈しない「振り子外交」を展開するとみている。
北朝鮮をめぐる緊張が高まる中、日本の論壇では、米国が北朝鮮の核施設を対象にサージカルアタック(局部攻撃)といった限定的な先制攻撃をしても、北朝鮮が報復攻撃をしなかったり、できる限り全面戦争を避けたりするとの見方がある。
■子供の頃から負けん気が人一倍強い
筆者はこの見方は極めて楽観的で、危険だとみている。核ミサイル開発は北の独裁体制維持に不可欠であることに加え、米国に対する最大の抑止力になっている。それが破壊されれば北の金王朝体制の崩壊を意味する。そのような状況で、金正恩氏はやすやすと尻込みをするだろうか。
また、金正恩氏は子供の頃から、負けん気が人一倍強く、気性が激しいことがわかっている。米国が脅せば脅すほど、挑発をエスカレートさせるタイプだ。一筋縄ではなかなかいかない人物だ。金正恩という人間が理解されていないがために、「米国が先に手を出しても、北朝鮮は必要最低限の反撃にとどめようとするだろう」といった甘い見方が根強いとみている。
故金正日総書記の専属料理人を計13年務めた藤本健二氏は、これまでに金正恩という人間を理解できるエピソードをいくつも、書籍や筆者との取材の中で述べている。
藤本氏は、金正恩氏が7歳から18歳になるまで遊び相手として一緒に長い時間を過ごしてきた。金正恩氏に実際に会った唯一の日本人だ。ここで改めて34歳になる北の独裁者、金正恩氏が何者かを理解してもらうために、藤本氏が挙げたエピソードのいくつかを紹介したい。
1990年1月、藤本氏は北朝鮮南西部の信川招待所で、当時7歳の金正恩氏と初めて会った。藤本氏は当時40歳を超えている。初対面の挨拶のときに、金正恩氏は藤本氏をにらみつけ、握手をしばらく拒否。「こいつが憎き日本帝国の輩か」といったような鋭い視線で四十男の藤本氏を睨んでいたという。
オセロゲームをしていた際に起きたこと
また、金正恩氏が8歳か9歳のとき、オセロゲームをしていた際に、そばに立っていた3歳年上の兄の金正哲(キム・ジョンチョル)氏がオセロゲームの玉を落としたところ、頭に来た正恩氏は兄の顔をめがけて、その玉を投げつけた。藤本氏は著書『北の後継者 キム・ジョンウン』で「大事にはいたらなかったが、ジョンウン大将の気の強さに私は驚いたものだ」と述べている。
さらに、 金正恩氏が10代半ばのとき、大好きなバスケットボールを一緒にプレーした選手たちに、試合後、「さっきのパス、とても良かった」と手を叩いて褒めた。その一方、ミスを犯した選手には、厳しく叱っていた。そして、その後、「彼のことをあんなに怒ったけれど、大丈夫かな、立ち直れるかな?」とフフフフと笑みを浮かべながら藤本氏に話したという。つまり、金正恩氏は10代半ばにして、計算尽くで選手を怒っていた。
また、2000年8月、2人は元山招待所から平壌に向かう列車の中で酒を飲みながら夜明けまで5時間にわたり、いろいろと話し合ったという。その中で、17歳だった金正恩氏は「わが国は、アジア(のほかの国)を見ても、工業技術がずっと遅れている」「わが国の人口は2300万人だが、中国は13億人もの人口なのに、統制ができているのはすごいよね」などと話し、北朝鮮の現状や将来を案じていたという。
金正恩氏は、大阪市生野区鶴橋生まれの帰国在日朝鮮人、高英姫氏(2004年没)を母に持つ。藤本氏によると、小さい頃にはその母に連れられて日本にもお忍びでしばしば来ていたという。また、少年時代にはスイス・ベルンのインターナショナルスクールに留学。インターネットにも詳しく、国際事情にも精通しているとされる。
■「うかうかすると金正恩とは本当に戦争になる」
金正恩氏の気性の激しさや冷徹さの部分は今も変わらない。2013年12月には叔父の張成沢氏を処刑、今年2月には異母兄弟の金正男(キム・ジョンナム)氏毒殺を命じた疑いが持たれている。処刑した人物はこれまでに300人を超える。
元公安調査庁調査第二部部長の菅沼光弘氏は筆者の取材に対し、「なぜ金正日が、金正男でも金正哲でもなく、金正恩を後継者に選んだのか。北朝鮮の最高指導者になる者は、胆力がなければならない。胆力とは何か。後顧の憂いなく戦争ができることだ。だから、『危ないよ』と私は警告している。金正日は戦争をできなかったが、うかうかすると金正恩とは本当に戦争になる。それくらいのことはやる」と話している。
危機や有事の際には、次の一手を読む上でも、指導者のプロファイル分析が必要不可欠だ。しかし、隣国の独裁者、金正恩氏とは何者か、との議論や分析が日本国内で十分に尽くされていると言えるだろうか。