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堀ちえみさん「舌がん」公表…経験者が語る治療と闘病生活
2/20(水) 15:41配信 FNN PRIME
堀ちえみさん「舌がん」公表…経験者が語る治療と闘病生活
(画像)FNN PRIME
タレントの堀ちえみさんが2月19日、自身のブログでステージ4の舌がんであることを公表した。
50代以降の男性がかかりやすい、年代別舌がん発生数
34歳の時には「特発性重症急性膵炎」で死の淵をさまよったり、48歳の時には、歩行が困難になる難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、大病と戦ってきたが、今度はステージ4の舌がんに。
オフィシャルブログには、「自分でスマホで舌癌を検索してみたところ、私の舌の症状と同じような画像がたくさん出てきました」と綴られている。
去年の夏ごろから口内炎だと思っていた違和感。今年に入って激痛に変わり、自分で調べたという。
口内炎と間違えやすい舌がん
症状の自覚はあっても、口内炎と勘違いしやすいという舌がん。
4年前に舌がんを発症して、腕の皮膚を舌に移植して治療した實原和希さんは、舌がんについて知ってもらいたいという思いから、今回番組の取材を受けてくれた。
まず、實原さんは「症状としては口内炎と一緒ですが痛いです。1~2週間くらいで治るだろうな、とは当時、思っていました。舌の右側に口内炎が当時できているのは鏡を見て気づいて、それが1か月経っても2か月経っても治らなくて、それでネットで検索していくと舌がんという情報も出てきたので。歯医者に行ったときは1センチから1.5センチくらいだったと思います。その後に検査を受けて手術に至るまでに2か月くらい経過していたので、その間にまた少し大きくなって」と話した。
普段から口内炎ができやすかった實原さんも、自分でインターネットを使って調べるまでは口内炎だと思っていたという。
口腔がんの半数以上は「舌がん」
口の中や周囲にできる口腔がん。中でも半数以上を占めるのが舌がん。
発症する性別と年代別のデータでは、50代以降の男性がかかりやすいという。
日本歯科大学付属病院で医師の出雲俊之客員教授は「若い方のがんは、進行が早いと言われています。堀ちえみさんも比較的若い患者さんなので、進行が早かったと考えられます。早期発見が可能な部位であると考えていますが、なかなか現実には難しいところもあります」とした。
進行していくと、どんどん大きくなる腫瘍。今年1月に収録に臨んだ際の堀さんは、いつもと変わらない姿だったが、腫瘍が大きくなった5日前の生放送では、あまり口を開けずに話す様子も見られた。
主な治療法としては切除する手術が多く、堀さんも19日に入院し、22日に手術を予定。12時間以上かけて舌の左半分を切除し、皮膚を移植。同時に、転移した首のリンパの腫瘍も切除するという。
治療は?術後の生活は?
では、術後はどんな生活が待っているのか…。
實原さんは自身の闘病生活を「当初は全然話せないです。だいたい2か月は入院すると言われていて、基準としては起き上がってある程度、運動ができて食事ができるようになったら退院」だと言われ、1年のリハビリで通常の会話が可能になったという。
また、「最初の1週間は水の飲み込みができないので、鼻から食事を流すような形でして、徐々に水が飲めるようになって、味が分かった時にはすごく感動しました。もし、リンパ節に転移があれば、抗がん剤や放射線治療をやっていたのかなと思います」と話した。
實原さんは放射線治療の選択肢もあったが、味覚がなくなってしまう可能性もあったため、移植手術を選んだという。
ステージ2で手術し、がんの転移はなかったというが、ステージ4のケースではどんな治療がされるのか。
出雲客員教授は「皮膚を起こして血管を付けたまま持ってきて、そこを補うという手術をされると思うんですけど、全身のがん転移の検索がなされていると思います」とした。
舌がんに詳しい医師は、ステージ4でも手術後にがんの転移がなければ、日常生活に戻れるという。
出雲客員教授は「ステージ4の患者で舌を同じように半分切除して、リンパ節も取った方ですが、2年ほどの間にきっちり会話のトレーニングを重ねられ、非常にうまくしゃべれるようになった方もいます」と話した。
めざましテレビ
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堀ちえみ、息子の卒業式のため入院遅らせた 過去の多数の病気
2/20(水) 16:00配信 NEWS ポストセブン
堀ちえみ、息子の卒業式のため入院遅らせた 過去の多数の病気
口腔がんが明らかになった堀ちえみ
衝撃の告白前夜。堀ちえみ(52才)は散り散りになっていた7人の子供を東京の自宅に呼び寄せ、手巻き寿司パーティーを楽しんでいた。
【秘蔵写真】デビュー直後の15才の堀ちえみ
「この日は息子さんの高校の卒業式があったんです。2月4日に口腔がんと診断された堀さんは19日にブログで告白し、その日に入院。22日に手術を受けることを明らかにしています。
診断から入院まで時間があいた理由の1つが、息子さんのことです。手術は口や首にメスを入れるため、しばらく外に出られない。堀さんは“絶対に卒業式に出たい”という思いがあり、入院を遅らせたそうです。彼女はどんなことがあろうと“家族が第一”なんです」(堀の知人)
堀を襲った口腔がんとはどういったものか。口腔がん治療の第一人者で、東京歯科大学口腔顎顔面外科学講座の柴原孝彦教授が解説する。
「唇や舌、歯肉、顎など、口のまわりのあらゆる場所にできるがんのことです。堀さんの場合は舌にできた『舌がん』で、口腔がんの中でも最も罹患率の高いものです。この40年で女性の罹患者が2倍以上に増え、死亡率も上がっています。
舌がんの原因はウイルス性か慢性的な刺激によるものかですが、圧倒的に後者が多い。喫煙や飲酒、熱いものをよく食べる、歯で舌を傷つけてしまう、ということも原因となる。厄介なのは一見して口内炎や歯槽膿漏、歯肉炎などと間違われやすいこと。しかも無痛なので、病院の受診が遅れてしまい、気がついた時にはかなり進行している。実際、発見された時点でステージIIIの患者さんが半数以上います」(前出・柴原さん)
堀を診た医師も進行がんを告げた。しかも首のリンパ筋への転移があるステージIV、つまり「末期」状態だった。
振り返れば、堀の人生は病気との闘いの連続だった。1982年、15才で歌手デビューした堀は、翌年、主演ドラマ『スチュワーデス物語』(TBS系)でブレーク。1986年、19才の時、音楽プロデューサーとの不倫が原因で、食べたものをすべて吐き出してしまう拒食症に近い症状に陥り、一時体重が50kgから35kgに激減した。それがきっかけとなり、アイドルとして人気絶頂だった20才で芸能界を電撃引退する。
幸せと平穏な生活を求めた彼女は1989年、医師と結婚し3児に恵まれた。しかし、結婚10年目の1999年に離婚。翌年に雑誌編集者と再婚し、2児をもうけたが、ここでさらなる悲劇が彼女を襲う。
再婚後、1人目の子供が生まれた直後の2001年、彼女は国が指定する難病の1つ「重症急性膵炎」で緊急入院したのだ。
「腹痛の最もひどい病気の1つで、自らの消化酵素で自分の膵臓を溶かしてしまう病気。致死率は20%ですが、早期発見でないと50%ほどになる。堀さんの場合、膵臓だけでなく腸も溶けていて、いわば“内臓が燃えている状態”だったそう。彼女は病院のベッドで35日間も生死をさまようことになりました」(医療ジャーナリスト)
家族の献身的な看護と本人の強い精神力で、病に打ち克つことができた。
◆かわいそうな母親のままでは死ねない
2010年6月に2度目の離婚をし、翌2011年12月に現在の夫である会社員と入籍。共に2度の離婚歴がある再々婚だった。堀には4男1女、男性には1男1女がおり、これで堀は7人の母親となった。
「それまで大阪で暮らしていた堀さんは、夫の住む東京に引っ越し。すでに成人している子供とは離れることになりました。一緒に暮らさず、異父きょうだいや連れ子といった複雑なきょうだい構成になりましたが、子供たちは仲よくしていました。堀さんは“いびつな家族だけど最高の家族”と言っていました」(前出・堀の知人)
そんな中、再び難病が発覚する。特発性大腿骨頭壊死症という大腿骨頭の一部が血流の低下により壊死する病気で、投薬も効果がない。人工関節を余儀なくされた。さらに2017年4月、リウマチと同時に神経障害性疼痛も患った。
「当時、堀さんはよく“体の表面がピリピリチリチリと痛む”と言ったり“骨の中から痛む感じもする”と漏らしていた。天気、気圧、湿気などによって体調が変化するようでした。痛み止めなどの薬は手放せない状態。40代後半ぐらいから堀さんは常に痛みと共に生きていたように思います」(在阪テレビ局関係者)
そして今度は末期の口腔がん──そうした難病スパイラルに陥っていたことが発見の遅れにつながったと話す人もいる。
「昨年の8月頃から、口内炎に悩んでいて“口の中に違和感があって食事が摂りづらい。でもダイエットになるからいいか”って笑っていました。塗り薬やビタミン剤で対処していたけど、11月頃には快方どころか舌の裏側だけでなく側面にもしこりができ始めた。それでもがんを疑うことはなかった。リウマチの薬の副作用として口内炎が出ると医師に伝えられていたから、口内炎と思い込み、受診が遅れてしまった可能性もあるかもしれません。もっと早くがんの治療を始めていたら、転移は防げたのではないか。そう思うと彼女が病気に慣れすぎていたことが悔やまれます」(別の堀の知人)
彼女はがんと告知された時、《このまま治療せずに人生の幕を閉じてもいいのかな》──そんな考えが頭をよぎったとブログで明かしている。しかし、中学3年生の末娘の涙を前に闘病を決意したという。
「“お母さんは病気ばかりの人生でかわいそう”と泣かれたそうです。子供たちに“かわいそうな母親”という思いを残したまま死ねない、そう考えるようになった。家族が彼女の生命力に火を付けたんです」(芸能関係者)
これから彼女が挑む闘いは長くつらいものになる。舌を半分以上切除し、転移先の首にもメスを入れる。口腔外科と形成外科の合同チームの手術で12時間以上を要する。
「舌を切除した後は、他の口腔内の組織を舌の形に形成する再建手術を行います。舌は基本的に筋肉の塊ですが、再建した舌は動きませんし、知覚神経もないので味もわかりません。入院期間は1か月ぐらいでしょうが、舌の残された筋肉を使って言葉を発するリハビリなどはさらに数か月を要します」(前出・柴原さん)
堀は「また歌いたい」と言っているが、簡単なことではない。しかし、決して諦める状態でもないという。
「リハビリにはしっかりとしたガイドラインがあり、それに沿って訓練することが重要です。芸能界に復帰することは充分可能だと思っています」(前出・柴原さん)
幾多の病魔に打ち克った堀は、家族と共に再び闘う。
※女性セブン2019年3月7日号
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病魔に襲われ大変だなあ、、、自分もそうだが、、
離婚2回もしてることから、相当ストレスが有ったことが原因ではないか?
特に痛みが伴うことは、本当に苦しい。
私もリウマチ発作に50代ころから悩まされ死んだほうが良いほどの激痛に何回も襲われた。
原因は、飲酒だ、、、、痛風になったとこに酒をやめないと同じことを繰り返すと医者に言われたが、、飲み続け、、痛風ではなく関節リウマチという病気にシフトした。
関節が腫れ上がり激痛が有る。指の関節が太くなり動かなくなる(現在透析と禁酒で治ってきている)
現在、1年以上前から禁酒だ。
理由は、2017年の12月ころに、、夜中に膝の激痛に襲われ、、緊急入院したが、痛み止めが全然効果なし。そこで、医者に<<強力な痛み止めを頼む!!>>と、医者が、危険なので止めたほうが良いと言われたが、激痛で入院したのに痛みが止まらないからと、強く懇願して、点滴中の管から強力な痛み止めを入れた。
すると即座に痛みから開放されたが<<意識がなくなる、、呼ばれると覚醒するが、すぐに睡眠状態になる>>
こんな状態でも、退院して自宅で寝たきりだが<<意識が混濁して、どこに居るかわからない、、、異常に現実的な夢を見る>>など、食事もあまり取れない。完全寝たきりとなった。
翌年、2018年、1月になると(こんなのでクリスマスもなにもない)呼吸ができなくなり緊急入院。
この頃は、ガリガリに痩せていた。自力で寝返りもできない。
精密検査で、腎臓障害で透析(クレアチニンが12。、8以上が透析)、、それから現在まで死ぬまで透析となった。
現在は、膝以外は問題なく成り、過度の動きはできないが、こうしてブログも書ける。クルマやバイクの運転もできる。
病気当初は、ブログも書けなかった。
今まで、フィリピン移住では、バイク転倒で鎖骨骨折でも激痛だった。肋骨も折れてたが、これは自然に着いた。
庭の苔で滑り転倒、、頭打ち意識がなくなることも有った(きれいな花畑を見た)
その前は、何年も前だが、墓場で写真を取り、、帰宅して翌朝に41度の高熱で緊急入院。後日、写真現像すると何も写ってない霊現象が有った。
◎環境が異なるので事故や病気に襲われた。
透析患者は、透析開始年齢で余命がだいたい決まる<<日本、アメリカ政府がデーターを出してる>>
例えば、15歳で開始は、余命25年、、、60再開始だと4年平均。
この様に医者は患者に言わないが、健常者のような平均余命は無い。余命がだいたい決まるのでプランを立てて過ごすことになる。
故に、子供が医学系の学部卒業したが、臨床医に成りたいというので今年入学を以前は考えてたが、ネット情報で自分の余命が短いことを知り、子供の進路変更した。
臨床医になるには医学部6年、研修医などで一人前になるに合計11年掛かる。私は生きていない。
そこで、大学院へ進み博士号=医学研究ドクターとして取得することにした。既に大学院に入ることになってる。研究室の指導教授とも打ち合わせ完了してる、、ただし<<最低定員が5名、現在、うちの子と、大学病院の幹部の子供の合計2名だが、更に声がけして人数を増やす>>学部は学生が多数いるが大学院へ進むのは極めて少ない。
こうすれば、学術論文を多数書いて頑張れば臨床医より早く医学博士号が取得できる(最短4年)
これで安心だが、本人が希望すれば、改めて臨床医学系に進むようにアドバイスした。何しろ、大学は、我が家からクルマで10分も掛からないところにある=便利。
大病をしてると人生が短いので残された時間のプランが大事になる。反面、大体の死期が分かるので漫然と生きる人生よりある意味で覚悟もできて時間も分かるので良いかもしれない。
◎ちえみさんへの悪口ではないですが、確かに2度も離婚など家庭内で争い事が有ると負のエネルギーで心身に悪い影響が確実に出る。
仕事でも同じで過度なストレスが病気の原因にほとんどがなる。
リンパにしこりが有るという事は、厳しいかもしれない。大病は、自分の体の状況を自分で判断した上で医師と相談することが大事。自分の体のことは医師より自分がわかるからだ。
最悪は、効果が望めないのに過酷な治療投薬して最後まで苦しむことです。こういう患者が非常に日本では多い=医者が問題なんです。
私も余命が短いのでプランニングして時間を過ごしています。何よりも激痛で苦しんで逝くことだけは避けるようにすることです。
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乳がん5度手術の生稲晃子「5歳娘を残して死ねない」の思いで闘病 TVで明かす
2/20(水) 14:48配信 デイリースポーツ
乳がん5度手術の生稲晃子「5歳娘を残して死ねない」の思いで闘病 TVで明かす
生稲晃子
乳がんで右乳房を全摘出した女優・生稲晃子(47)が20日、コメンテーターを務めるフジテレビ「直撃LIVE グッディ!」に出演。舌がんを19日に公表した堀ちえみに対するコメントの中で、「娘(当時5歳)を…この子を残して死ねない」という思いががんとの闘いを支えたと明かした。
【写真】左乳房全摘した元アイドル「再建手術はしない」
生稲は2006年3月に第1子長女を出産。11年4月に「浸潤性乳頭腺管がん」が早期で見つかり、がんのできた部分のみを切除する手術を受けた。その後、12年夏と13年秋にそれぞれ再発。同様の手術で治療したが、2度目の再発が乳房の表面ではなく、中で見つかったこともあり、13年末に右乳房の全摘出手術に踏み切った。
15年10月27日には失った乳房の再建手術を受け、「私が言うことで1人でも2人でも勇気を持っていただく方がいたら…」という思いでがんを公表した。
この日の番組では、目に涙を浮かべていた生稲。7児の母親である堀に向けて、「子供たちもお母さんを支えていたと思う」と話すと涙で声を震わせ、自身の場合は「娘が…当時5歳だったので、この子を残しては死ねない、ってのが頑張る力になった」と話した。
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aja***** | 1時間前
私も今まさにガンセンターに入院中です。ガンの部位は違うけど、私も子供が居て四人で末っ子は4月から1年生。卒園式に卒業式。入学式2ヶ所を上の子供ダブルで控えてます。術後二日目でまだお腹が痛いけど、歩いて腸が癒着しないよう努力してます。でもまだまだ痛くて悲しいです。でも頑張るのみ。ちえみさんも辛いでしょうが、子供さんのためにも頑張って乗り越えてもらいたいです。応援してます
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返信2
njs***** |1時間前
軽々しく頑張ってとは言えませんが、お疲れ様です。
先日会社の同僚がガンと判り休職に入りました。私は4歳の息子、相手は女児がおり子どもの話を昼休みにするのが休憩時間の楽しみでした。怒った話もトイレの話も褒めた話も。
聞いてまだ時間がたっていないせいか未だ考えてしまいます。何か失礼な事を言っていなかったか。これからなんて言ったらいいのか。
初期なのか、戻ってきますと言ってくれたので、頑張っては言えず待ってますと伝え、相手が嬉しいと言ってくれたので何気ないメールをたまーにする状態です。
不謹慎かも知れませんが、身近な病気なのだと考えさせられています。
peg | 2時間前
僕の叔母さんは、6歳と4歳の子供を残し、いってしまいました。いつも、この子らを残して死ねない!って言ってたのに。