☆オヤジの晩ごはん ☆オヤジの館

昭和をこよなく愛する団塊オヤジです。
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柏鵬時代

2015年10月17日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 栃錦―若乃花の「栃若時代」が終わり、柏戸―大鵬の「柏鵬時代」の幕開けとなったのは1960年(昭和35年)初場所でした。12日目、新入幕で11連勝の大鵬は、小結2場所目の柏戸と初対戦しました。結果は、力でねじ伏せるような下手出し投げで柏戸に屈しています。

  柏戸は、1955年(昭和30年)の初場所に「富樫」で初土俵を踏みました。若い頃から大いに期待され1957年(昭和32年)九州月場所で新十両昇進、1958年(昭和33年)秋場所で新入幕を果たし、若秩父高明・豊ノ海義美と「ハイティーン・トリオ」と呼ばれました。1959年(昭和34年)秋場所、前頭3枚目で12勝3敗好成績を残し、2度目の敢闘賞を受賞し、翌九州場所で新小結に昇進しました。そして、1960年(昭和35年)初場所12日目に新入幕の大鵬と対戦することになりました。

 大鵬は、1957年(昭和32年)初場所に「納谷」で初土俵を踏みました。同期には後の大関・清國がいました。
 序ノ口時代がら順調に番付を上げていき、1958年(昭和33年)春場所では三段目で優勝、東幕下筆頭となった1959年(昭和34年)春場所で6勝2敗と勝ち越して十両昇進を決めました。1960年(昭和35年)1月場所で新入幕を果たすと、初日から11連勝して12日目に小結柏戸と対戦することになりました。 

 大鵬は翌場所7勝8敗と負け越しましたが、その後は大横綱と呼ばれるまでに出世しました。柏戸も実績では大鵬に大きく後れをとりましたが、当時は部屋別総当たり制ではなく、横綱以下の力士全員と戦わなければならないというハンデがありました。
 また、直接対決でも、1967年(昭和42年)夏場所時点までは16勝16敗と五分の成績を残しています。

 柏戸の前みつを取って一気に前へ出る相撲に対して、大鵬は懐が深く相手の圧力を吸収して、自分の得意な組み手に持ち込んで寄り切るという相撲でした。「剛」の柏戸、「柔」の大鵬と呼ばれました。

 当時私は小学校6年生でしたが、休み時間は必ず相撲を取っていました。クラスでは男子の間で柏戸派・大鵬派に分かれていたのを思い出します。(ちなみに私は、大鵬が強すぎると言う理由だけで柏戸派でした)

 尚、大鵬は2013年1月19日に亡くなりましたが、2月25日に国民栄誉賞を受賞しています。



柏戸・大鵬の生涯成績

【柏戸 剛】                    【大鵬 幸喜】
序ノ口(1場所)   6勝 2敗          序ノ口(1場所)   7勝1敗
序二段(1場所)   6勝 2敗          序二段(2場所)  13勝3敗
三段目(4場所)  21勝11敗          三段目(4場所)  27勝5敗   優勝1
幕下 (6場所)  33勝15敗  優勝1     幕下 (6場所)  35勝13敗
十両 (5場所)  50勝25敗          十両 (4場所)  44勝16敗  優勝1
前頭 (7場所)  64勝41敗  技2、敢1   前頭 (3場所)  30勝15敗  敢2  
小結 (2場所)  17勝13敗  技1      小結 (1場所)  11勝4敗   
関脇 (3場所)  30勝15敗  技2、敢2   関脇 (2場所)  25勝5敗   優勝1、技1
大関 (7場所)  81勝24敗  優勝1     大関 (5場所)  58勝17敗  優勝2
横綱 (47場所)407勝147敗 優勝4     横綱 (58場所)622勝103敗 優勝29

★ 通算成績
      柏戸 715勝295敗140休   大鵬  872勝182敗136休
★ 直接対決
      大鵬 21勝  柏戸 16勝
      (横綱昇進前  柏戸 7勝  大鵬 3勝)
      (横綱昇進後  柏戸 9勝  大鵬18勝)

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長嶋茂雄の生涯成績

2015年10月17日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 東京六大学で当時新記録の8本塁打を打った長嶋さんが巨人に入団したのは、昭和33年で、私が10歳の時でした。

 巨人に入団した年の西鉄ライオンズとのオープン戦では、4万3千人の大観衆が詰め掛けたそうです。

 開幕戦の国鉄スワローズ・金田の快速球に4打席4三振のデビュー、そして本塁打を打ってベースを踏み忘れたこともありました。子供(一茂)をおいて帰宅してしまったこ事もありました。とにかくやることなすことすべてがハデでした。

 私が特に記憶に残っている試合は、昭和34年6月25日の天覧試合です。阪神タイガースとの試合でしたが、5回に小山から同点本塁打を放ち、おまけに9回村山からサヨナラ本塁打までかっ飛ばしてしまいました。

 当時我が家は白黒テレビでしたが、打った瞬間本塁打とわかる打球に大いに感激したのを覚えています。

 ★長嶋さんの生涯成績について調べてみました。 

 公式戦・オールスター戦・日本シリーズにおいて、すべて3割以上の成績を残しているのは長嶋さんだけだそうです。やはり「記憶に残る名選手」ですね。

【公式戦通算】 試合数 2,186 打数 8,094、 安打 2,471、 2塁打 418、 3塁打 74、 本塁打 444、 打点 1,522、 打率 305 

【オールスター通算】試合数 43、 打数 150、 安打 47、 2塁打 10、 3塁打 0、 本塁打  7、  打点 21、  打率 313 

【日本シリーズ通算】試合数 68、 打数 265、 安打 91、 2塁打 14、 3塁打 2、 本塁打  25、 打点 66、  打率 343 

★タイトル
 ・新人王(1958年)
 ・MVP:5回(1961年、1963年、1966年、1968年、1971年)
 ・首位打者:6回(1959年 - 1961年、1963年、1966年、1971年)※6回はセ・リーグ記録、3年連続はセ・リーグタイ記録。
 ・本塁打王:2回(1958年、1961年)
 ・打点王:5回(1958年、1963年、1968年 - 1970年)
 ・ベストナイン:17回(1958年 - 1974年)※入団年から引退年まで現役全シーズンのベストナイン受賞は史上唯一。
 ・ゴールデングラブ賞:2回(1972年、1973年)

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ゴジラ

2014年05月29日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 アメリカ版『ゴジラ』(原題:GODZILLA)の2作目が、2014年5月16日に全米公開され、初日興行収入が3,850万ドル(約39億円)に達しました。日本では7月25日に公開予定です。

 東宝株式会社では、今年で生誕60周年を迎える『ゴジラ』を記念して、「『ゴジラ』東宝公式サイト~GODZILLA 1954-2014 60th~」をリニューアルオープンしています。『ゴジラ』に関する「ニュース」・「作品紹介」「俺とゴジラ」・「商品紹介」といったコンテンツが用意されています。また、TwitterやFacebookページも開設されています。『ゴジラ』ファンには見逃せないサイトですね!

 日本版『ゴジラ』は、1954年に第1作『ゴジラ』が公開され、最終作である『ゴジラ FINAL WARS』が公開された2004年までの50年間で28作公開されました。1954年当時6歳だった私は、『ゴジラ』の映画をタダで見ようと言う友達2人に誘われ映画館へ向かいました。映画館に着くと、友達が非常扉の下の隙間から中を覗き始めたので、私も隙間から中を覗きました。画面は1/3程ですが、『ゴジラ』を見ることが出来ました。しかし、喜びすぎて3人で大きな声を出してしまった為、映画館の従業員に見つかり、非常扉の隙間からバケツで水をかけられてしまった思い出があります。


 日本版   公開日    タイトル
第1作    1954.11.03  ゴジラ
第2作    1955.04.24  ゴジラの逆襲
第3作    1962.08.11  キングコング対ゴジラ
第4作    1964.04.29  モスラ対ゴジラ
第5作    1964.12.20  三大怪獣 地球最大の決戦
第6作    1965.12.19  怪獣大戦争
第7作    1966.12.17  ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
第8作    1967.12.16  怪獣島の決闘 ゴジラの息子
第9作    1968.08.01  怪獣総進撃
第10作  1969.12.20  ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
第11作  1971.07.24  ゴジラ対へドラ
第12作  1972.03.12  地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
第13作  1973.03.17  ゴジラ対メガロ
第14作  1974.03.21  ゴジラ対メカゴジラ
第15作  1975.03.15  メカゴジラの逆襲
第16作  1984.12.15  ゴジラ
第17作  1989.12.16  ゴジラVSビオランテ
第18作  1991.12.14  ゴジラVSキングギドラ
第19作  1992.12.12  ゴジラVSモスラ
第20作  1993.12.11  ゴジラVSメカゴジラ
第21作  1994.12.10  ゴジラVSスペースゴジラ
第22作  1995.12.09  ゴジラVSデストロイア
第23作  1999.12.11  ゴジラ2000 ミレニアム
第24作  2000.12.16  ゴジラ×メガギラス G消滅作戦
第25作  2001.12.15  ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃
第26作  2002.12.14  ゴジラ×メカゴジラ
第27作  2003.12.13  ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
第28作  2004.12.04  ゴジラ FINAL WARS

アメリカ版  公開日    タイトル
第1作   1998.05.19  GODZILLA
第2作   2014.05.16  GODZILLA
(日本公開) 2014.07.25

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ザ・ビートルズ

2014年05月19日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 半年ぶりの日本ツアーのため、ロボットの「ニューマン」と共に来日した元『ビートルズ』のポール・マッカートニー(71)ですが、体調不良のため18日の公演と19日に延期されていた17日分の振替公演が中止になりました。早く体調を整えて元気な姿を見せて欲しいと思っています。  ★21日、24日の公演も中止となり、結局日本での全公演中止が決定しました。  『ビートルズ』は、昭和37年(1962年)10月に「ラヴ・ミー・ドゥ」でシングルデビューし、翌年4月のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」発売と同時に英国全土で熱狂的ブームを呼びました。日本には、昭和41年(1966年)6月に初来日して、日本武道館でコンサートを行いました。司会を務めたのはE・H・エリック、前座として尾藤イサオ、内田裕也、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・ドリフターズ等が出演しています。  『ビートルズ』が日本で熱狂的ブームとなったのは、昭和39年(1964年・東京オリンピックの年)に発売されたアルバム「Meet The Beatles」がきっかけとなりました。当時高校1年生だった私は、医者の息子だった同級生の家で、初めてリバプールサウンドを聴き、鳥肌が立つほど感激したことを覚えています。  『ビートルズ』のメンバーで生存しているのは、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターだけになってしまいました。今年1月に行われたグラミー賞授賞式のパフォーマンスで共演を果たして大きな話題を呼び、翌日にもイベント「The Night That Changed America: A Grammy Salute to the Beatles」で再びステージを共にしています。これはグラミー賞が特別にビートルズに捧げたライヴ・イヴェントで、テレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に初出演してから50周年となるのを記念してのものだったそうです。今後も共演して欲しいと切に願っております。

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打撃の神様

2013年11月03日 | 昭和30年代の出来事&思い出
 現役時代「打撃の神様」と呼ばれた元巨人軍監督の川上哲治さんが、10月28日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。

 私が川上さんを知ったのは、長嶋が巨人軍に入団した1958年でした。当時私は小学校3年生でしたが、野球が好きだった父から、川上さんのことをいろいろと聞かされました。戦前19歳で首位打者を獲得したこと。戦後巨人軍に復帰してから、天才打者と言われた大下弘の青バットに対抗して赤バットを使用したこと。打席でボールが止まって見えたといい、「打撃の神様」と呼ばれたことなど。

 1920年3月23日、熊本県生まれ。熊本工時代に投手として1934年、37年と全国中等学校野球選手権に出場しいずれも準優勝しています。

 1938年、熊本工時代バッテリーを組んでいた吉原とともに巨人軍へ入団。同期には千葉茂がいました。プロでは打者として活躍し、MVP3回、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回のタイトルを獲得し、プロ野球史上初の2000本安打も達成しています。現役通算18年で2351安打を放ち、生涯打率は3割1分3厘を記録しています。

 1961年に水原茂監督に代わり巨人軍監督に就任し、14年間で優勝11回、2位1回、3位1回、4位1回。1066勝739敗、勝率・591の成績を残しました。また、1965年から9連覇を達成し、巨人軍第3期黄金時代を築きました。

 1974年に監督を退任した後は野球評論家として活躍。球界への強い影響力を持ち、元南海ホークス監督の鶴岡一人と共に「球界のドン」と呼ばれました。

 ご冥福をお祈り致します。

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