☆オヤジの晩ごはん ☆オヤジの館

昭和をこよなく愛する団塊オヤジです。
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東京オリンピック

2013年09月25日 | 昭和30年代の出来事&思い出

  2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会ブエノスアイレスで行われ、開催都市に東京が選ばれました。日本でのオリンピックは1964年東京夏季五輪、1972年札幌、1998年長野の冬季五輪と合わせ4度目の開催となります日程2020年7月24日~8月9日まで、パラリンピックは8月25日~9月6日。出来れば10月に行うのが理想だと思いますが、日程を変更するのは難しいようです。


 1964年の東京夏季五輪は、1010日から1024日まで開催獲得したメダルは29個、うち金メダルは16個でした。


 (体操・団体総合) 小野喬 ・遠藤 幸雄・鶴見 修治・山下治広・早田卓次・三栗崇 (体操・個人総合) 遠藤幸雄 (体操・つり輪) 早田卓次 (体操・跳馬)  山下治広 (体操・平行棒) 遠藤幸雄 (レスリング・フリー・フライ級) 吉田義勝 (レスリング・フリー・バンタム級) 上武洋次郎 (レスリング・フリー・フェザー級) 渡邊長武 (レスリング・グレコ・フライ級) 花原勉 (レスリング・グレコ・バンタム級) 市口政光 (柔道・軽量級) 中谷雄英 (柔道・中量級) 岡野功 (柔道・重量級) 猪熊功 (ボクシング・バンタム級) 桜井孝雄 (ウエイトリフティング・フェザー級) 三宅義信 (バレーボール・女子) 河西昌枝・宮本恵美子・谷田絹子・半田百合子・松村好子・磯部サダ・松村勝美・篠崎洋子・佐々木節子・藤本佑子・近藤雅子・渋木綾乃


 私は高校1年生で、クラスで2名オリンピック観戦ができる抽選に当たり、当日友人と総武線に乗り、会場である渋谷公会堂へ向かいました。観戦できる競技はウエイトリフティングでしたが、金メダル候補の三宅義信・ソ連のジャボチンスキーがいて、当時はなかなか人気のある競技でした。 会場では席が最上であった為、肉眼では選手の顔がはっきり見えませんでしたが、双眼鏡を持ってきていたので助かりました。 各国の選手が登場し試技を行いましたが、なかなか三宅義信が登場しません。ジャボチンスキーもしかりです。 結局、その日の予選には二人とも出場の予定がなく、私も友人もオリンピックを観戦できたうれしさが半減した思い出があります。 しかし、オリンピック自体は記憶に残るとてもすばらしいものだったと思います。聖火最終ランナーである坂井義則さんの聖火の点火式、マラソンでヒートリーと最後まで接戦を演じた円谷幸吉、ウエイトリフティングの三宅義信、男女の体操、バレーボールの「東洋の魔女」、ボクシングの桜井孝雄、柔道の猪熊功・神永昭夫などがすばらしい成績を残すとともに、国民にも大きな感動を与えてくれましたと思います。2020年のオリンピックもすばらしい感動を与えてくれることと思います。 2020年オリンピック東京開催が決まり、私にとっては人生2度目のオリンピックを経験することになります。7年後は72歳になりますが、健康に留意し元気でオリンピックを迎えたいと思っています。

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ザ・ベンチャーズ 2

2013年07月15日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 ザ・ベンチャーズは、1959年に米国でボブ・ボーグルとドン・ウィルソンの2人により結成れ、当初はエレキ・ギターのデュオとしてスタート。1960年に発売した「Walk, Don't Run(ウォーク・ドント・ラン)」が全米で大ヒット、日本でも東芝音工から同年11月にシングル盤が発売され大ヒットとなりました。(邦題は「急がば廻れ」)


 初来日は1962年、1965年の2度目の来日により、日本でエレキ・ブームが起こりました。また、これにより、日本の多くのアーティストが影響を受けています。


 黄金期のメンバーはボブ・ボーグル・ドン・ウィルソン・ノーキー・エドワーズ・メル・テイラー。


 渚ゆう子の「京都の恋」、和泉雅子&山内賢の「二人の銀座」、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」などはベンチャーズが作曲した曲であり、日本のポップス界にも大きな影を与えています。


 2009年に結成50周年を迎え、現在でも日本に於いて定期的にコンサートツアーを行っています。今年も、7月20日から9月16日まで「THE VENTURES Japan Tour 2013」と題して、日本全国でツアーが行われます。


 メンバーは変わってしまいましたが、相変わらずベンチャーズサウンドは健在のようですね。

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エレキの若大将

2013年07月08日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 昨日(7月7日)は、東京の最高気温は35.4度でした。今日と明日の予想最高気温は35度で真夏の天候です。熱中症には十分注意しようと思っています。

 夏と言えば「加山雄三」、「ベンチャーズ」!ですよね

 今日は、加山雄三主演の東宝映画「エレキの若大将」の思い出について書きます。

 若大将シリーズは、1961年から1981年まで、17作品が上映されましたが、「エレキの若大将」は1965年(私が17歳の時)に上映されました。私は、高校の友人と京成立石の映画館で映画を観た後、友人の自宅(歯科医でした)で、加山雄三のLPレコードを高級ステレオで聞き(気持ちは若大将でした)、自分もステレオを買おうと思いましたが、結局スピーカーの付いたレコードプレイヤーで終わってしまいました。

 友人宅で聞いた曲は、『君といつまでも』作詞:岩谷時子/作曲:弾厚、『夜空の星』作詞:岩谷時子/作曲:弾厚作、 『ブラック・サンド・ビーチ』(インストルメンタル版)作曲:弾厚作、『ランニング・ドンキー』(インストルメンタル版)作曲:弾厚作など映画で使用された曲で、大変感動したことを記憶しています。

 さて、若大将シリーズと言えば、「マドンナ」ですね。

澄子(星由里子)

 澄子はスーパーマーケットや宝飾店、化粧品店の店員、スチュワーデスなど作品ごとに職業は異なるが社会人である。シリーズ前半の学生篇でのマドンナ。

節子(酒井和歌子)

 シリーズ後半の社会人篇でのマドンナ。若大将の勤務する企業の取引先や同僚、利害関係者となることが多い。澄子とは違ってあっさりとした性格。

皆川純子(坂口良子)

 最終作『帰ってきた若大将』のマドンナ。

 次回は、「ベンチャーズ」についての思い出を書きたいと思います。

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武智文雄

2013年07月07日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 7月1日に元プロ野球近鉄投手武智文雄さんが亡くなりました。

 市立岐阜商業学校(現県岐阜商高)から社会人の大日本土木を経て1950年、新設の近鉄パールスに入団し、5年目の1954は26勝で最多勝を獲得しています

 そして特筆すべきは、195519日の大映戦で、藤本英雄(巨人)に次ぐ史上2人目、パ・リーグでは初めてとなる完全試合を達成しました

 実働13年で通算401試合に登板して100勝137敗、防御率2.97。引退後は近鉄のコーチを務めています

 武智投手が現役であった13年間のチーム成績は、1950年から1953年まで7球団中最下位、1954年は8球団中4位、1955年から1956年は8球団中5位、1957年は7球団中6位、1958年から1962年は6球団中最下位と散々な成績でした。この13年間での試合数は1679、チームの勝利数は609勝でした。弱小球団での100勝は立派な成績といえると思います。

 尚、参考までに近鉄パールスは、新設後に球団名を3回変えています。1950年から1958年まで「近鉄パールス」、1959年から1961年まで「近鉄バファロー」、1962年から1998年まで「近鉄バファローズ」、1999から2004年まで「大阪近鉄バファローズ」、そして2004年を最後に消滅しました。

 武智文雄さんのご冥福をお祈りいたします。

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エルトン・ジョン

2013年07月06日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 エルトン・ジョンは、1947年生まれのイギリスを代表するミュージシャン、シンガー・ソングライターです。  代表曲に、「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」「ダニエル」などがあります。シングルとアルバムの総売り上げは、ザ・ビージーズやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイドを上回る約3億枚と言われています。  彼の曲は、ある時ふっと口ずさみたくなる記憶に残るメロディーばかりです。私は、「クロコダイルロック」と「ダニエル」が大好きでした。曲調は違いますが、彼は見事に歌いこなしています。  今日(7月6日)、日本テレビで放送の「THE MUSIC DAY 音楽のちから」に彼が出演するので、今から楽しみにしています。

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