☆オヤジの晩ごはん ☆オヤジの館

昭和をこよなく愛する団塊オヤジです。
料理レシピ&趣味娯楽&日々のつぶやきetc!

『卒業』(The Graduate)

2010年11月21日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 私がこの映画を観たのは20歳の頃でした。

 ダスティン・ホフマン(ベンジャミン役)とキャサリン・ロス(エレーン役)が共演し、1969年には優秀監督賞を獲得しました。
また、サイモン&ガーファンクルが初めて映画音楽を担当し、サントラ盤「卒業」と「ミセス・ロビンソン」は、1969年のグラミー賞を受賞しています。

 私には、アン・バンクロフト演じるミセス・ロビンソンの存在感が印象的でした。
40代後半、まさに成熟した大人のロビンソン夫人から誘惑され、あっさり陥落してしまうベンジャミンでしたが、娘のエレーンの出現により、ロビンソン夫人と決別することになります。

 『サウンドオブサイレンス』、『ミセス・ロビンソン』、『スカボローフェア』などサイモン&ガーファンクルの唄うメロディも最高で、60年代後半に青春を過ごした私には忘れられない作品です。

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ソフィア・ローレン

2010年10月26日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 ソフィア・ローレンは、私が10代の頃好きだった外国人女優の一人です。 1970年公開された、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン主演の『ひまわり』が特に印象に残っています。(ひまわり畑の美しさが印象的でした)  ソフィア・ローレン(1934年9月20日 生れ )はイタリアを代表する女優です。  彼女は1951年にハリウッドの超大作『クオ・ヴァディス』に端役で出演しました。  その後、カルロ・ポンティに見いだされ、彼の制作する多くの映画に出演しています。  1956年には、彼女が主演した「河の女」の主題歌マンボ・バカンがヒットし、歌える女優としてスターの仲間入りを果たしました。(映画の中で踊りも披露しています)  1957年の『島の女』で彼女は国際的スターとなりました。  1958年から1959年にかけては、ハリウッド作品『楡の木蔭の欲望』、『月夜の出来事、『黒い蘭』などに出演して肉体派女優としてだけではなく、その演技力も高く評価されました。その後も実力派女優として、数多くの作品に出演しています。    今年10月には「第22回世界文化賞 演劇・映像部門」の受賞式に出席のため、3度目の来日をしています。  10月13日に明治記念館で授賞式典が行われ、常陸宮殿下から顕彰メダルの授与、日本美術協会の日枝久会長から感謝状と賞金(1,500万円)が贈呈されました。  また、10月14日には九段南のイタリア文化会館で受賞記念映画上映会で舞台挨拶を行い、ポスターや写真なども展示されました。

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大沢親分

2010年10月07日 | 昭和30年代の出来事&思い出

「大沢親分」こと、大沢啓二さんが2010年10月7日、胆嚢癌のため亡くなりました。 1932年3月14日生まれ。神奈川県出身。 神奈川商工高校から立教大学に入学し、3年生の時に、後に「立教三羽烏」と呼ばれる長嶋茂雄・杉浦忠・本屋敷錦吾が入学しています。 大学卒業後の1956年、南海ホークスに入団。守備の名手として活躍しました。 1965年、東京オリオンズに移籍し、現役引退の翌1966年より、オリオンズのコーチ・二軍監督を歴任し、1971年、濃人渉監督の解任に伴い、シーズン途中からロッテオリオンズ2代目監督に就任しましたが翌年退団しています。 退団後、RFラジオ日本の野球解説者を経て、1976年から日本ハム・ファイターズの3代目監督に就任し、1981年にはチームを初のパ・リーグ優勝に導いています。 1984年に監督を辞任後、球団常務とな、1993年に再びファイターズの監督を務めました。 監督通算725勝は歴代17位。監督時の背番号86番は、準永久欠番となっています。 その後は野球解説者として活躍しました。 また、社団法人全国野球振興会理事長を務め、OBを中心とした活動に積極的で、マスターズリーグを発案するなど野球の普及にも尽力をつくし、モルツ球団の監督を務めるかたわら、TBSサンデーモーニング内の「週刊御意見番」のコーナーで、御意見番として張本勲氏と共に人気を博しました。 なお、タレントの大沢あかねさんは、大沢親分のお孫さんです。 謹んでご冥福をお祈りいたします。

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「うーん マンダム」 チャールズ・ブロンソン

2010年10月01日 | 昭和30年代の出来事&思い出

   1970年に大林宣彦演出の化粧品マンダムのテレビCMに出演し、男性向け化粧品にふさわしい男臭いムードで一世を風靡しました  モニュメント・バレー周辺の荒野を馬に騎乗して駆け、カウボーイハットで河川の水を汲み頭から浴びた後の「う~ん、マンダム」。このセリフは日本中で大流行しました。  このCMで使われた曲は、ジェリー・ウォレスが歌う「男の世界」でした。 ★ジェリー・ウォレス(Jerry Wallace、1928年12月15日 - 2008年5月5日)は、アメリカのカントリー歌手、ポピュラー歌手。 ミズーリ州ギルフォード出身。1960年から1980年にかけてカントリーミュージックのチャートで35曲をランクインさせています。  日本では、1970年に放送されたチャールズ・ブロンソンをフィーチャーした男性化粧品マンダムのCMソング「男の世界」(原題は”LOVERS OF THE WORLD”)がヒットしました。この曲は、オリコンの年間TOP50で最高20位(1970年)を獲得。  2008年5月、心不全によりカリフォルニア州コロナの自宅で死去しました。  商品とCMの大ヒットから、メーカーの丹頂が社名をマンダムに変えています。  海外映画スターのCM起用の先駆けとなり、また商品の爆発的ヒットにより、当時の丹頂が業績を急回復させました。  また、このCMの爆発的な大ヒットにより、ブロンソンは、1980年まで「マンダム」シリーズのCMに出演しています。

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おとなの漫画

2010年09月27日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 フジテレビ開局翌日の1959年3月2日から1964年12月31日まで、約5年間1,835回にわたって放送された時事風刺のバラエティ番組で、月曜日~土曜日の帯番組で、昼12時50分から10分間の生放送で行われました。出演者は「ハナ肇とクレージーキャッツ」で、新聞記事をネタにした時事風刺のコントを演じました。  番組開始当初は、当時多くのテレビバラエティーで構成を担当していたキノトール・三木鮎郎・永六輔がメインの構成作家でしたが、彼らが多忙を極めていたことから、実質は代理要員であった青島幸男が脚本・構成を担当しました。  その後、青島幸男がメインとして構成を担当し、この番組での様々な試みが注目され人気構成作家として台頭することになりました。彼は、後に東京都知事になっています。  クレージーキャッツのメンバー紹介  ハナ肇 (1930年-1993年)  ドラム ・ギャグ  「アッと驚くタメゴロー」、「なぬ?」  植木等 (1927年-2007年)  ギター・ボーカル  ・ギャグ  「お呼びでない、こりゃまた失礼しました」  谷啓   (1932年-2010年)  トロンボーン   ・ギャグ 「ガチョーン」、「谷だー」  犬塚弘  (1929年- )   ベース  桜井センリ (1924年- )   ピアノ   ・ギャグ 「ルーチョンキ」(CM)  安田伸 (1932年-1996年)  テナーサックス  石橋エータロー (1927年-1994年) ピアノ

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