第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

死なない病気

2006-11-29 16:24:33 | 職場と正面から向き合って(終)
ここにいるパニック障害と私

新風舎

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                  「「パニック障害と私」は今の自分だ」

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)



私はパニック障害が原因で死んだという話を聞いた事がありません。
ですから、パニック障害を発症してから3年3ヶ月生きているのだと思います。

パニック障害は色々な事を考えさせます。
自分のこと。
家族のこと。
職場のこと。
生き方
生い立ち
人間関係
etc・・・
考えされられた事は苦痛であったし辛かった。
辛くて逃げたかった。
でも、逃げることは出来なかった。
家族や心の友が支えてくれたから。。。
裏切ることは出来ないと。。。
葛藤も繰り返した。。。
自殺未遂も2回した。。。
でも、
死なないで今、ここに居る自分

「死なない病気」じゃなくて「死ねない病気」なんじゃ無いかと思う。
職場で精神疾患で苦しんでいる人や家族がいる。
そのために人生を掛けても、その人達に手を差し伸べたい。

健常者と言われる人が精神に疾患を持っている人を理解しているだろうか。
専門の医師でさえ分からないところが多いと言う。
臨床心理士も同様
筑波大学夜間のカウンセリング(日本で唯一のカウンセリングの公教育機関)を卒業した方も同様
だと思います。
何が苦しいのか。辛いのかを理解しなければ、どんな言葉を掛ければ良いか分からないだろう。
精神疾患は、統合失調症躁鬱病鬱病etc・・・
病態によって掛ける言葉が違うのは当然だと思います。

自分がそれを全て分かっているという事ではありません。
健常者よりは、そういう方に心の部分で近づけるという事だと思います。
今は、まだまだ勉強不足だと自分で感じています。
勉強し体験する事は山ほどあります。
精神疾患の方に手を差し伸べるために。。。

職場にそういう人がいる限り自分の存在意義はあると、この頃思います。
自分の病気
パニック障害は
死なない病気でもあるし
死ねない病気でもある
そして
今は、死ねない自分でもあると感じています。





写し鏡

2006-11-29 08:18:47 | 職場と正面から向き合って(終)
                   「この中に何が見えますか?」


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自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
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今日は、この時期にしては珍しく雨です。

上の何んにも無い画像に何が見えますか。

私は写し鏡だと思っています。
なぜ?
自分自身をどのようにでも写し出せるからです。
自分もそうですが、自分で自分自身を知らないのじゃないでしょうか。

子供らを見ていると写し鏡だと思えることがあります。
言葉、癖、行動など自分が自分を見ているなぁと感じます。
これ程までに自分を模倣しているのは無いと思えます。

他人の中にも自分を見る事が出きると感じる時があります。
妻と自分の関係で、妻の言葉や行動そして考え方など自分だと感じる事があります。
妻との歳月が長くなればそうなるのだろうか。と考えてしまいます。

妻以外の他人との関係でも
他人(相手)の悪いところは良く見えます。
しかし、他人(相手)の良いところは見えずらいと思います。
自分も他人(相手)の良いところは見えず、悪いところが目に付きます。
見つめ直してみると他人(相手)の中に自分も同じ事をやっているよ。とか。
自分と他人はココが違うなと。言うところがあると思います。
他人と自分を写し鏡で見てみると他人(相手)の中に自分が見える時があるかなぁと
思います。
それは共に過ごしてきた歳月が違うだけで妻との関係でも言えますよね。

自分を写し鏡として他人に見せる事は出来るのかなぁと考えます。
他人(相手)と同じ言葉や行動を真似て見たりと言う事なのかとも。考えますが
そんな事を遣れば、他人(相手)は不快になり人間関係が悪くなってしまうと思います。

じゃあ。
他人(相手)を不快にしないで自分を写し鏡として見せるためには、
どうしたら良いんだろう。と

また一つ、自分の課題(修行)が増えた様な感じです。