スタローン製作・監督・脚本映画「エクスペンダブルズ」を見てきました。まさに超爽快アクション映画、想像以上によくできていました。次回作も決まっているという話ですが、うなずけます。
スタローン映画には「ロッキー」シリーズと「ランボー」シリーズの2作品がありますが、同じ主演で、2本の大ヒットシリーズを持った俳優は他に存在しますか?日本の映画では勝新太郎の「座頭市」シリーズ、「悪名」シリーズ、「兵隊ヤクザ」シリーズ、「御用牙」シリーズ、「駿河遊侠伝」シリーズと5作品も持っていた強者がいますが、ハリウッドでは聞いたことがありません。私はいつもスタローンを見ると、映画が好きで好きでたまらなかった勝新を思い出してしまいます。二人とも製作・監督・脚本を手がけています。二人が共通している点は配役がいつも見事に填っており、しかも泣ける脚本作りができる点です。観客の心を掴む難しい技を二人は会得しているような気がします。
「エクスペンダブルズ」の配役もとても見事に決まっています。ジェット・リーのセリフやミッキー・ロークの使い方もグッドです。今や大人気となったジェイソン・ステイサムの持ち上げ方、二人の会話もまったく違和感がありません。ブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツネッガーはほんのワンシーンですが、ノーギャラでの出演だそうです。かつてプラネット・ハリウッドのレストランチェーンを発足した仲間でもありますが、スタローンの映画作りへの真摯な気持ちに動かされたのでしょう。彼らのセリフも笑わせます。
ニューヨーク生まれイタリア系アメリカ人のスタローンは、学校に入っても成績が悪かったこともあり、ケンカっ早いトラブルメーカーとして、退学になったこともありました。両親が離婚してからの彼の素行は悪化の一途をたどり、寂しさや悲しさをケンカで紛らわす孤独な少年だったようです。しかし、やがて演技に興味を持ち始め、俳優になりたいと思うようになります。高校を卒業した後は生まれ育ったニューヨークから遠く離れたフロリダへ渡り、マイアミ大学で演技を専攻。映画の脚本を書くようにもなりました。卒業寸前で大学を中退すると、当たって砕けろ精神で映画業界へ飛び込みます。エキストラやチョイ役などをやるようにはなりますが、タレ目でしゃべり方もモソモソとしているスタローンにはかなり厳しい状況でした。生活に困り果てたスタローンはポルノにも出演し、しばらくの間食いつないだといいます。
スタローンの好きな言葉に、「キレイな虹が見たければ、たくさんの雨に耐えなければならない」というのがあります。彼の人生はまさにこの言葉を体現しているように感じます。貧乏のあまりホームレスまで経験した彼は、1974年に出演した作品がきっかけでプロデューサーの目に留まり、『ロッキー』の製作へと導かれていきます。『ロッキー』はスタローン自身が主演するということを絶対条件で話を進めていたにもかかわらず、興味を示していたスタジオから「無名の俳優を主役にはできない。スタローンが出演しないのなら製作する」と申し渡されてしまいます。当時、ほぼ無一文状態だったスタローンはスタジオ側から、「『ロッキー』の権利を完全譲渡すれば25万ドル(約2,250万円・1ドル90円計算)支払う」とまで持ちかけられたのですが、断固として譲歩しませんでした。この不屈のド根性がやがて実を結び、条件付きではあるもののスタジオ側が根負けし、『ロッキー』の製作が始まりました。
1976年に公開された『ロッキー』は、その年のアカデミー賞作品賞を受賞し、スタローンは一躍世界中の人気者となります。その後『ロッキー』は続編が5本も製作され 大ヒットシリーズとなります。これと同時に、彼が脚本を手掛けた『ランボー』も大ヒットを記録し、シリーズとして大成功を収めます。このシリーズはベトナム戦争帰還兵の苦しみを描いた貴重な作品でした。
しかし、俳優業がノリにのっていた1985年、実生活では結婚11年目にして最初の奥方だったサーシャと離婚してしまいます。二人の間に生まれた次男セルジオ君が自閉症にかかっていることで世話にかかりきりになってしまった彼女と、仕事で不在がちのスタローンとの間に溝ができてしまったのが原因のようでした。
問題は次の結婚でした。お相手は、女優ブリジット・ニールセン。「お会いしたいわ!」というメッセージと電話番号を裏に書いた自分のセクシー写真をスタローンが泊まっているホテルの部屋に届けたことがきっかけだったそうです。結局、ブリジットとの結婚は1年8か月しか続かず、ブリジットと共演した駄作の余波で少しずつハリウッドからフェードアウトしていく羽目になったのです。
1993年の『クリフハンガー』やサンドラ・ブロックと共演した『デモリションマン』、そして1997年にロバート・デ・ニーロと共演した本格的ドラマ『コップランド』、そして2006年には『ロッキー』シリーズ6作目にあたる『ロッキー・ザ・ファイナル』、2008年には『ランボー』シリーズ4作目にあたる『ランボー 最後の戦場』が公開されヒットしますが、全盛期の勢いとは程遠いものでした。
「このままスタローンは終わってしまうのか?」と思われていた矢先、『ランボー 最後の戦場』を共に製作し良きビジネスパートナーとなったニューイメージという製作会社に、「新旧のアクション・スターを主役にした大アクション映画を撮りたい!」という新作の話をスタローンが持ちかけます。
彼の俳優としての才能はもちろん、監督・製作・脚本の才能も熟知しているニューイメージ社は、出演者の中にブルース・ウィリスやシュワルツェネッガー現カリフォルニア州知事をはじめ、近年を代表する人気アクション俳優のジェイソン・ステイサムやジェット・リーも出演候補に挙がっていると聞いて、このアイデアに早速OKを出します。
しかし、ニューイメージはインディーズ系の製作会社です。メジャー製作会社のようながんじ絡めの規制がない分、予算の面ではない袖は振れない厳しい制約があります。随分苦労し紆余(うよ)曲折を経て、この夏アメリカで封切られた『エクスペンダブルズ』は公開されるやいなや、大ヒットを記録。2週連続全米ナンバー1に輝き、スタローン主演の歴代映画の中で一番の興行収入となりました。(参考文献:アケミ・トスト/Akemi Tosto)
私には彼の生き様に、「面白い映画を撮りたい」と常に思っていた勝新が被さって見えてきます。彼らが作った面白い肩の凝らない映画が好きです。特にセリフがいい。黒澤作品(「用心棒」「椿三十郎」)と同様にとても考えられており、こなれいるのです。二人とも普通の社会人としては生活破綻者かもしれません。父親として失格の烙印を押されたかもしれませんが、彼らの映画には観客を魅了する熱いものがあります。そして彼ら歩んできた人生観がストーリーやセリフに息づいています。
以前も紹介しましたが、勝新が撮った座頭市シリーズ最後の作品「座頭市」も素晴らしいセリフの連続でした。共演の三木のり平との絶妙の会話、用心棒役の緒形拳とのやり取り、やくざの女親分を演じる樋口可南子との風呂場のシーンの美しいこと、丁半博打のシーンも座頭市映画の真骨頂とも云える名シーンです。どの役者にも「エクスペンダブルズ」同様に見事に演じさせています。こちらも必見です!
スタローン映画には「ロッキー」シリーズと「ランボー」シリーズの2作品がありますが、同じ主演で、2本の大ヒットシリーズを持った俳優は他に存在しますか?日本の映画では勝新太郎の「座頭市」シリーズ、「悪名」シリーズ、「兵隊ヤクザ」シリーズ、「御用牙」シリーズ、「駿河遊侠伝」シリーズと5作品も持っていた強者がいますが、ハリウッドでは聞いたことがありません。私はいつもスタローンを見ると、映画が好きで好きでたまらなかった勝新を思い出してしまいます。二人とも製作・監督・脚本を手がけています。二人が共通している点は配役がいつも見事に填っており、しかも泣ける脚本作りができる点です。観客の心を掴む難しい技を二人は会得しているような気がします。
「エクスペンダブルズ」の配役もとても見事に決まっています。ジェット・リーのセリフやミッキー・ロークの使い方もグッドです。今や大人気となったジェイソン・ステイサムの持ち上げ方、二人の会話もまったく違和感がありません。ブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツネッガーはほんのワンシーンですが、ノーギャラでの出演だそうです。かつてプラネット・ハリウッドのレストランチェーンを発足した仲間でもありますが、スタローンの映画作りへの真摯な気持ちに動かされたのでしょう。彼らのセリフも笑わせます。
ニューヨーク生まれイタリア系アメリカ人のスタローンは、学校に入っても成績が悪かったこともあり、ケンカっ早いトラブルメーカーとして、退学になったこともありました。両親が離婚してからの彼の素行は悪化の一途をたどり、寂しさや悲しさをケンカで紛らわす孤独な少年だったようです。しかし、やがて演技に興味を持ち始め、俳優になりたいと思うようになります。高校を卒業した後は生まれ育ったニューヨークから遠く離れたフロリダへ渡り、マイアミ大学で演技を専攻。映画の脚本を書くようにもなりました。卒業寸前で大学を中退すると、当たって砕けろ精神で映画業界へ飛び込みます。エキストラやチョイ役などをやるようにはなりますが、タレ目でしゃべり方もモソモソとしているスタローンにはかなり厳しい状況でした。生活に困り果てたスタローンはポルノにも出演し、しばらくの間食いつないだといいます。
スタローンの好きな言葉に、「キレイな虹が見たければ、たくさんの雨に耐えなければならない」というのがあります。彼の人生はまさにこの言葉を体現しているように感じます。貧乏のあまりホームレスまで経験した彼は、1974年に出演した作品がきっかけでプロデューサーの目に留まり、『ロッキー』の製作へと導かれていきます。『ロッキー』はスタローン自身が主演するということを絶対条件で話を進めていたにもかかわらず、興味を示していたスタジオから「無名の俳優を主役にはできない。スタローンが出演しないのなら製作する」と申し渡されてしまいます。当時、ほぼ無一文状態だったスタローンはスタジオ側から、「『ロッキー』の権利を完全譲渡すれば25万ドル(約2,250万円・1ドル90円計算)支払う」とまで持ちかけられたのですが、断固として譲歩しませんでした。この不屈のド根性がやがて実を結び、条件付きではあるもののスタジオ側が根負けし、『ロッキー』の製作が始まりました。
1976年に公開された『ロッキー』は、その年のアカデミー賞作品賞を受賞し、スタローンは一躍世界中の人気者となります。その後『ロッキー』は続編が5本も製作され 大ヒットシリーズとなります。これと同時に、彼が脚本を手掛けた『ランボー』も大ヒットを記録し、シリーズとして大成功を収めます。このシリーズはベトナム戦争帰還兵の苦しみを描いた貴重な作品でした。
しかし、俳優業がノリにのっていた1985年、実生活では結婚11年目にして最初の奥方だったサーシャと離婚してしまいます。二人の間に生まれた次男セルジオ君が自閉症にかかっていることで世話にかかりきりになってしまった彼女と、仕事で不在がちのスタローンとの間に溝ができてしまったのが原因のようでした。
問題は次の結婚でした。お相手は、女優ブリジット・ニールセン。「お会いしたいわ!」というメッセージと電話番号を裏に書いた自分のセクシー写真をスタローンが泊まっているホテルの部屋に届けたことがきっかけだったそうです。結局、ブリジットとの結婚は1年8か月しか続かず、ブリジットと共演した駄作の余波で少しずつハリウッドからフェードアウトしていく羽目になったのです。
1993年の『クリフハンガー』やサンドラ・ブロックと共演した『デモリションマン』、そして1997年にロバート・デ・ニーロと共演した本格的ドラマ『コップランド』、そして2006年には『ロッキー』シリーズ6作目にあたる『ロッキー・ザ・ファイナル』、2008年には『ランボー』シリーズ4作目にあたる『ランボー 最後の戦場』が公開されヒットしますが、全盛期の勢いとは程遠いものでした。
「このままスタローンは終わってしまうのか?」と思われていた矢先、『ランボー 最後の戦場』を共に製作し良きビジネスパートナーとなったニューイメージという製作会社に、「新旧のアクション・スターを主役にした大アクション映画を撮りたい!」という新作の話をスタローンが持ちかけます。
彼の俳優としての才能はもちろん、監督・製作・脚本の才能も熟知しているニューイメージ社は、出演者の中にブルース・ウィリスやシュワルツェネッガー現カリフォルニア州知事をはじめ、近年を代表する人気アクション俳優のジェイソン・ステイサムやジェット・リーも出演候補に挙がっていると聞いて、このアイデアに早速OKを出します。
しかし、ニューイメージはインディーズ系の製作会社です。メジャー製作会社のようながんじ絡めの規制がない分、予算の面ではない袖は振れない厳しい制約があります。随分苦労し紆余(うよ)曲折を経て、この夏アメリカで封切られた『エクスペンダブルズ』は公開されるやいなや、大ヒットを記録。2週連続全米ナンバー1に輝き、スタローン主演の歴代映画の中で一番の興行収入となりました。(参考文献:アケミ・トスト/Akemi Tosto)
私には彼の生き様に、「面白い映画を撮りたい」と常に思っていた勝新が被さって見えてきます。彼らが作った面白い肩の凝らない映画が好きです。特にセリフがいい。黒澤作品(「用心棒」「椿三十郎」)と同様にとても考えられており、こなれいるのです。二人とも普通の社会人としては生活破綻者かもしれません。父親として失格の烙印を押されたかもしれませんが、彼らの映画には観客を魅了する熱いものがあります。そして彼ら歩んできた人生観がストーリーやセリフに息づいています。
以前も紹介しましたが、勝新が撮った座頭市シリーズ最後の作品「座頭市」も素晴らしいセリフの連続でした。共演の三木のり平との絶妙の会話、用心棒役の緒形拳とのやり取り、やくざの女親分を演じる樋口可南子との風呂場のシーンの美しいこと、丁半博打のシーンも座頭市映画の真骨頂とも云える名シーンです。どの役者にも「エクスペンダブルズ」同様に見事に演じさせています。こちらも必見です!