四足歩行と二足歩行との間のエネルギー消費に個体差が激しいことが改めて発見されたというニュースである。体力の消耗に個体差があるとどうなるか。ある個体は索敵とその捕獲を、他に対してより早く効率的に行うことが可能となるわけである。そして結果その個体の子孫の隆盛が用意される。適者生存、弱者必衰の原則である。進化論については、ラマルクの要不要説が見直されたり、両極端を排したどっちつかずの中間型こそ環境の変化に最も良く順応し得たのではないかという説が有力視されたりと、現況傍目には若干混乱気味のようにも思えるのだが、さて進化論とキリスト教的歴史観とは元々相容れないもので妥協の余地のないものであるから、どちらかが正しければどちらかは虚妄である。人が創造主=神を創出した際その場にあった全ての種は逆に創造主が並列的に一度に作り上げたものであると聖書は主張したが、出て来る化石も生物学の深化もおよそ『科学』と名の付くもの全てはその主張の誤謬性を指摘するものばかりだった。ローマ法王がついに進化論に屈したのは20世紀末のことであるが、その際にもスピリット(精霊・精神)は進化論の範疇には属さないと付言するのを忘れなかった。となれば、今や人間の精神のみがかろうじて『科学』なるものに対抗・屹立し得ていると言えるのかも知れない。 . . . 本文を読む