所得の不平等が日本では拡大している。労働市場が二極化しているというのである。OECDが指摘するのだから間違いない。笑。連合ら労働組合が格差是正を言い始めたのは極々最近のことで、それもどこまで本気かわからない。と言って、『クミアイ』などに今更期待する御時世でもない。産業構造が激変しているからである。農林水産業や工場生産に従事する人々はもはや多数派とは言えない。我々の大多数は今やサービス業や商業で日々糊口を凌いでいるのである。と、与党政治家や霞ヶ関官僚たちも言わば国民全体への公僕であるからには、これも一種サービス業に携わる人種である筈だが、彼らの場合自分たちとそのお仲間たちだけにはしっかりと、お手盛り・サービスを欠かさないが、その本分たる国民全体へのサービスはというと、どこかに吹っ飛んでしまっているのである。それもこれも因果応報、我々自身が極悪非道の自民党をここまでのさばらせて来た当然の報いである。 *何故これ程までに自民党は強力だったのか。事あるごとに『受け皿がない!受け皿がない!』と騒ぎ続けて来たNHKを筆頭とする御用マスコミの責任は無論小さくないが、問題はそこではなく、いよいよ階級分化が進んで一目散に『貧困層』への転落を余儀なくさせられている『車夫・馬丁の子』(←これはかの福翁の言葉で『一般民衆』という程の意味です。w)らが、この期に及んで尚もポチや安部ポンに誑(たぶら)かされることを嬉々として受け入れている点にあるのだ。あのナチスも『一般大衆』の圧倒的支持がなければ、あそこまで猛威を振るうことは適わなかったことを思えば、この呪縛を如何にしたら振り解くことが可能か、皆さんこの梅雨空の下、ちょっとは考えてちょうすか?(←何弁?)w . . . 本文を読む
先日取り上げた奈良本辰也編著の『日本史の参謀たち』だが、後半幕末期から明治開明期にかけての語り口が俄然熱を帯びて来る。明治15年17年のいわゆる『京城事変』で宗主国=清国に遅れをとった日本帝国主義は、対欧米の不平等条約からの脱却を目指して一路朝鮮経営を目指すことになる。彼ら明治元勲たちには、植民地の一つも持たないで欧米列強と比肩し得る近代国家たり得ないとの共通認識(狂信!)があったのである。幕末のいわゆる『尊皇攘夷』思想は紆余曲折の末『尊王(即ち倒幕だ)開国』へと宗旨換えしたかの如くだったが、これが明治20年代のいわゆる『国権主義者』たちによって復活(?)し、条約改正に対する『政府の弱腰』を厳しく追及して広く『国民(←但し納税している富裕層に限る)』の支持を集めていたという事情がこれに絡んでいる。明治27年(1894年)日清戦争は近代国家としての日本が初めて仕掛けた対外戦争である。それもかなり強引に喧嘩を売っているから後に『三国干渉』を招くことになるのであって、ここまで来ると第二次世界大戦までもう一歩だ。で、その流れはこうなる。→宣戦布告の二ヶ月前6/5には大本営設営。7/23京城王宮攻撃~占拠。7/25豊島沖海戦で海軍がまず清国兵と交戦。7/29陸軍大島旅団は清国陸軍の拠点=牙山を京城から出撃して攻撃。8/1宣戦布告。9月には大本営を戦場により近い広島へ移す。・・いや、歴史というものは連綿と繋がっていて、どこでどう切るということはなかなか難しいのだが、これが構造主義とかM・フーコーとかいうことになって来ると、「いわゆる『歴史主義』なんてものは胡散臭いじゃないか」「『歴史』なんてほんとにあるのかよ?!」となって来て、やあ我々はいろいろ大変だね。w
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