本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

対立軸、その他。

2007-07-29 12:17:09 | 社会
「縄文の文化を考える場合、生態学の成果を借りると、地球の表面全部の自然条件から見た場合、日本ほど狩猟採集に向いている場所は少ないんだな。温度も湿度も、海流の関係も。そして日本列島は海岸線がべらぼうに長いーーいまの世界の国々の中で、かなり上位に入ると思う。そのうえ、日本はほとんど山国なんですーーいまでも林野庁の統計では、七割近くが林野になっている。ということは、海の幸、山の幸に依存してくらせるわけで、これは弥生が来ても何が来ても、縄文以来のやり方で食っていけるんです。狩猟採集文化は、農耕文化が来ても大きなウェイトで残存したに違いない。現在でも、サシミだとかスシだとか、マツタケとかタケノコとか、これらは後世の変形をうけて文明化した料理ではあるけれども、狩猟採集的な食物が、われわれの最高のごちそうなんだな。日本は狩猟採集にひじょうな好条件を備えていて、虚の文明、つまりほかの文明をほしがる欲求の蓄積を可能にしたんじゃないかというのが、私の基本的な仮説なんです。」(上山春平談『日本学事始・梅原猛著』の対談から。p44-45)*どの国の人々も、自分たちの国土の持つ個別・具体的な特性と和解し順応して生き延びて来たし、これからもそうするしかないだろうと私は思う。人智によって自然を超克し支配出来ると考えるのは西欧文明の持つ病的なまでの思い上がりである。自国の自然・風土と相反する開発に邁進していれば、やがてその報いは我々の子孫が受けることになるだろう。先の地震による柏崎刈羽原発の火災は、まるでチェルノブイリ並みの事故であったかのように海外で報じられ、結果訪日取り止めが多発した。国内でも新潟方面への旅行・ホテルの予約はキャンセルが相次いだが、これらを東電が保証してくれるわけではない。『恨むなら地震を恨め』ということだろうか。原発推進派は二言目には『原発止めて縄文時代に戻る気か?!』と言って我々を脅迫するのだが、私自身は「それもまた可なり」というスタンスであることは以前述べた。地球と喧嘩しても始まらないと私は思っているのだ。いきなり全部の原発を止めろと言っても誰も賛同しないだろうが、とりあえずは行政の怠慢や瞞着に起因する『人災事故』だけは極力排除して行くべきで、これだったら反対する人はいないと思う。w . . . 本文を読む