楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

科学的ってなんだ!

2007-10-18 15:50:22 | 読書
「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書 66)
松井 孝典,南 伸坊
筑摩書房

このアイテムの詳細を見る


またまた出ました松井本。対談形式での松井節。地球科学や科学の広告塔として松井さんのうまさは絶品だね。少々の毒舌もそれを研ぎすまさせる。私など同業者でもとてもまねが出来ない。最近はハスに凝っているとは知らなかった。そこの背景に潜む仏教から文明からひっくるめて一石を投じようと言う野心とむすんだ知的好奇心のところが面白かった。ドラマ松井模様である。ますますご健闘願いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の法則

2007-10-16 06:37:13 | 読書
米原万里の「愛の法則」 (集英社新書 406F)
米原 万里
集英社

このアイテムの詳細を見る

 久しぶりの読書。ようやく涼しくなり読書の秋だね。
さて、米原万里。彼女が昨年亡くなったとき、大変ショックであった。彼女は私と同じ年、しかもなぜかその妹(井上ひさし夫人)の学生時代を知っている、などということもあった。当時の世の中、学生運動の余波の時代。米原万里氏の親は米原いたるといって当時の共産党の国会議員。彼女らは大学受験の外国語はめずらしくもロシア語で、姉妹の喧嘩はロシア語でする、など学生の中でも有名であったからだ。男社会の学生運動のセクト間の論争でも民青系の目立った存在だったからだ。おまけにその有名さは、後に姉はテレビでずばずばものをいい、妹は井上ひさし夫人(離婚後の再婚した夫人)となったから一層、増幅された。
 米原万里氏の発言は、そんなルーツを反映はしているが、その筋に特有の臭さというか、決して押しつけ的なものではなく自らの信念に基づくものであり、小気味良いものであった。だから私もその密かなファンであったのかもしれない。
 さて、その彼女の亡くなる前の講演録。やはり、実に小気味よい。女性もこのくらい自由でなくちゃ!と思う。男と女、セックスに関心を寄せた青春時代。<な~んだ!男とおんなじじゃないか!>と思いつつ笑ってしまう。その違いもしっかり分析。生物学者、負けてますぞ!そして、真骨頂の国際と通訳業とコミュケーションを巡るメッセージ。明快だ!本質は自分の頭を使え、という一点。それはただただ大量に本を読むことから生まれる、という。死してなお、このように彼女のメッセージを聞きたいと思う人はそういない。
改めて合掌。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

越境の時

2007-09-06 15:45:22 | 読書
越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書 (0387))
鈴木 道彦
集英社

このアイテムの詳細を見る


台風直撃前の札幌への移動の機内で読んだ。

60年代、ベ平連にコミットし、在日朝鮮人の裁判闘争にのめり込んだフランス文学者の思いを綴った一冊。歴史の深い傷を抱えた問題である。
私の周りにも少ないない韓国人研究者がいるし、これから私の関連する学会でも日韓関係をより絆を強くしようとし、私はその責任者でもある。
国際関係を築くにあたり、私にはある思いがある。

今から20年近く前、私はカナダのモントリオールにいた。その午後のコーヒータイム、アメリカンコーヒーの話になった。
私はつたない英語で、「ブランディー、氷で割ればアメリカン」という当時テレビではやっていたCMを冗談まじりで紹介した。
馬鹿受け。
カナダ人は腹を抱えて笑い出した。
ワハハハーー
ところがーー。
私と同室だったアメリカ人がすっくと立ち上がり、
「お前ら日本人は、トヨタがホンダがーー、デトロイトではーー!!!」
聞き取れない早口で何か怒っている。
<そうか、せっかくのうまいブランディーさえ薄めて飲んでしまう、それがアメリカ人だ、のようなとんでもなく馬鹿にしたように、誤解を生んだのか。>
当時、日本経済はバブルの絶頂で傲慢無礼な日本人が世界に溢れていた。
何も考えない発言が、思わぬ波紋を呼んだことに驚いた。

そして、その後日、皆から尊敬されているカナダ人と話す機会があった。
当時、カナダはケベック州(フランス語圏)の独立を巡って国を挙げての大騒動になっていたのである(結局、後に国民投票の結果否決されたが、薄氷の差であった)。話題はその独立騒動についてであった。滞在先でのセミナーはフランス語と英語が入り乱れる。英語はなんとかなるがフランス語はまるで駄目な私。そんな中にあって彼だけはどちらにでも簡単にスイッチする。
私は飲んだ時に彼に聞いた。

「どちらが母語?そうではない時、ストレスかかるでしょう?」
彼は、「いや全くストレスはない。生まれたときからこうだったから」
彼はカナダの首都オタワで生まれ、まさにケベックとオンタリオの境の川縁でどちらの言葉も使いながら育ったのである。

「独立なんて悲しいね。ケベック人だ、フランス人だ、アメリカ人だ、日本人だ、と一人一人皆違うのにくくってしまう。それが世の中の紛争のほとんどの原因だ、と彼は悲しそうにいった。そんな彼は若いのに皆から尊敬されるリーダーとなっていた。」

その後、私は世の中の紛争、騒動などの対立軸を見る時、いつもこのことが多くの人の心に沈殿していることが背景にあることがよく見えるようになった。

○○人はとか、××県人はとか、▲▲大生はとか、A型人間とか、B型人間とか、男は、女はとか皆、発想は同根である。
そのような会話が若者の間でなされているのを聞くとドキッとする。
冗談の内は誰も気がつかないが、エスカレートすると、だいたいが意見の応酬となる。アルコールなど入っていると時に胸ぐらをつかみ出す。

自らのアイデンティティーを、国や民族や団体や組織、集団に求めレッテルを張った時、そこに排除の論理が働き始める。そしてそれと同時的に個人のアイデンティティーが失われていく。その拡大版が紛争であり、国同士が国民をあげてはじめると、戦争が開始されるのである。

アイデンティティーの基本は個人。世界に二人といない個人。そして一度の人生しかない個人。自分だけではなく全ての人間がアイデンティティーを持つ。そこを根拠とすれば国を超えた、民族を超えた友情が生まれるはずだ、という青臭い真理を信じたい。

もちろん、国家や民族のアイデンティティー優先が幾多の悲劇の歴史を繰り返したことを知れば知るほどこの思いは揺るぎないものと思える。

この著者の全力を尽くした「越境の時」とは、上の垣根のことである。
鈴木道彦、78歳。晩節の重いメッセージだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エーゲ永遠回帰の海

2007-07-21 23:19:52 | 読書
エーゲ―永遠回帰の海
立花 隆,須田 慎太郎
書籍情報社

このアイテムの詳細を見る

 写真に引きつけられて手にした。しかし、文とあわせて眺めているといくら時間があってもすすまない。結局2ヶ月、トイレの10分、寝る前の10分を重ね、少しずつ眺めながら読み(見?)おえた。この本、値段の割に大変もうかった気分になった。あとがきを見ると、この本が生まれるまでの経過が記してある。長い間、暖められていたのである。
 私はこのエーゲ海、ギリシャという世界はいったことがない。しかし、人類の歴史を俯瞰しに、是非いって見たいものである。哲学の祖といわれるミトレスのタレスという人物はどんな人間であったのか、前から興味があったが、その背景をやはりはがめて見たいものである。この本で少し、かいま見た気になった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海嶺

2007-07-04 18:24:49 | 読書
海嶺〈上〉

角川書店

このアイテムの詳細を見る

これも、沈黙の1ヶ月の間に読んだ本。
例によって、メトロ文庫で黄ばんでぼろぼろになった1冊。
タイトルが本当の「海嶺」とどう関係するのか?との専門馬鹿的な興味にも引かれた。
三浦綾子で読んでいない1話であったこともあり、なにか宝物を見つけた感覚であった。
ただし、そこには上巻しかなかった。
電車内ですぐに読み終えてしまい(この手の小説はほとんど瞬間斜め読みなので)、
その後の続編を求めてことあるごとに本屋によっていた。そして、早稲田大学へ行ったとき、見つけた!
やった!と思った。
ほぼ150年前、幕末期が場面。
嵐に遭い、14ヶ月漂流したのち、生き残り、波乱の人生を送るはめになってしまう清い心の少年が主人公である。
アメリカインディアンの奴隷、クリスティアン商人に拾われ、その後、イギリスへ。
英語が出来るようになり、生き残った他の2人と共に、一つ一つことばを探りながら、聖書の日本語への翻訳を果たす。
その間、クリスティアンの教えを受ける。動揺する。
いかにも三浦綾子の小説だ。
国へ帰るために必死に、クリスティアンの教えを拒もうとする。
7年をかけて、そしてついに愛する婚約者のまつ日本へ!
あと一歩!目の前に夢にまで見たふるさとがある!そこに愛する人がいる!
しかし、国外へ出た者は一切の帰国の許されない日本。
無慈悲な絶望の結末である。
そして、香港、マカオでのその後の人生の経路を少ない記録からたどる。
その時の救いはなんであったのか?
そこに少々、三浦綾子的くささがあるかもしれない。
私は宗教に飲み込まれることはないが、その人間の魂を救う力はすごいと思う。
三浦綾子自身、難病におかされる肉体とこころの葛藤をキリスト教と出会うことで救われたことを多くの場面で語っていたことを思い出した。今はもういない。亡くなったという悲しいニュースを聞いた時のことを思い出した。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする