楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

「知りたい」ということ

2006-03-20 21:55:52 | 科学
前に、理学の目的は「知ること」と書いた。「役にたつこと」は二の次なのだと。しかし、このことへの風当たりは強い。

「そそ、そんな?だって国立大学の先生って国民の税金で給料をもらい、生きているのでしょう?国民の税金で研究しているのでしょう?それなのに役に立つ事は目的ではないなんて、許せない!」って声が聞こえてきそうだ。

誤解しないで欲しい。「役に立たない」研究をやっているのではなく、役に立つまで時間がかかることが多い、のである。役に立つまで、100年やそこらは軽くかかるかもしれない。

 ではどうして、そんなに「知りたい」と思うの?すぐには役に立たないのに?

 答えは「それは生命の本能です」というしかない。「知る」と、心が落ち着くのである。なぜ?生きていく上で、何が起こるかを予想でき、安全・安心が広がるからである。安全・安心が広がると役に立つでしょう?だから人は、「知りたい」と思うのですよ。子どものとき、「これは何?」「どうして?」と5W1H (What, Where, When, Who, Why, How)を繰り返して、大きくなったよね。理学の人たちは大人になっても、それをやり続けている子どもなのです。そして、研究者というのは、そのことを職業としてしまったのです。
 地震がいつ、どこで起こるか?いまだにわかりませんね。怖くて、怖くて不安ですね。だから地震学者は一生懸命その謎を解き、なんとか予想できるようにしたいと頑張っているのです。宇宙の始まりと終わりを知れば、自分たちってなんてちっぽけな存在か分かりますね。 宇宙140億年。地球の歴史は46億年。生命が殻や骨を持つようになって6億年。人類が誕生して数百万年。人間らしく文明を持って、ざっと1万年。人生頑張って100年(しかし半分は寝ている)。すると、細かい事でくよくよすることがばかばかしくなってきませんか? そんな心の落ち着きも与えてくれるのですね。知ることによって。

 何か、文学部や芸術学部みたいですね。
そうなのです。 人々の心の落ち着きどころ、夢を与える、という点では同じですね。
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研究の目的と目標

2006-03-20 02:18:52 | 科学
 目的と目標。卒業論文、修士論文、博士論文へ向かって研究を始める前に、私は学生に「目的と目標」すなわちテーマを決めなさい、という。当たり前のことではあるが。そして、目的と目標の違いは?どちらが上?と問う。この問いに答えられない学生が意外に多い。的は「まと」、標は「しるべ」と読むだろう。道しるべとは、目的地にたどり着くためのもの、だから目的が一番上であり、目標とはそのためのステップ、と説明する。
 ところで理系の大学において、「知ること」を目的としているのが理学部。「役にたつこと」を目的としているのが工学部、農学部、医学部、薬学部など応用系学部。「知った結果、役に立つ」ことと「役に立つ事をめざした結果、知る」こととは違う。
 「知ること」を目的とする理学部では何を知りたいのか?そこにいる人たちは、広大な宇宙の中で「私たちは何もの?私たちはどこから来て、どこへ行くの?そして今、どこにいるの?」ということを知りたいのである。いわば自分探しの旅をしているのである。しかし、このような「知ること」の究極の目的は神の目を持つことと同じで、当面できそうもない。そこでとりあえず、目標として、生命や宇宙、地球、もの、ものの理(ことわり)などに分ける。それも一気には行かないので、さらに目標を低いレベルに分けて、まだ分かっていないが、なんとか分かりそうな課題を選んで、研究のテーマとしているのである。従って、テーマを選ぶ時にはどのような分野であろうと、どれくらい早く、究極の目的「私たちは何もの?私たちはどこから来て、どこへ行くの?そして今、どこにいるの?」へ近づけるかが勝負である。一挙に近づけるテーマほど重要であり、それを研究の当面の目的(目標)とするのである。
 学生諸君、自分は何を知りたいのか?それは、究極の目的とどのようにつながっているのか?本当に重要な意味のある課題なのであるか?を自問自答すると良い。目的と目標、という系列の中に並べると、きっと見えてくる。
 
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