このブログに乗せる写真を大きくしたいのでgoo blogアドバンスにしたが、そのアクセス解析によってどのような検索ワードで私のところに訪れてもらっているかが分かる。コメントやトラックバックがなくてもそのことが励みとなって書き続けている。今朝起きて、気になる検索キーワードがあった。「もういやだ 大学院」である。とても悲しい気分になった。ひょっとすると私のところの学生ではないか?とさえ思えてくる。
ちょっと前までの若い私ならば、研究こそ人生の全てと思っていたので、アジって、アジって(アジる、とはアジテーションをする、すなわち熱い演説調の話し方をすること)「ほらほら研究ってこんなに面白いだろ!」というに違いない。でも今はちょっと違う。
人生には実にいろいろあると思うし、「もう一度人生をやるとしたら何をやりたい?」ってマジに聞かれたら本当に迷ってしまう。
<研究を1からやり直してみたい>っていうのが一番熱いかも、やはり。これが安全パイであり、やってみたいこと、知りたいことが山のようにある。年を重ねるごとに大きくなる。そしてそのための時間も足りない。もう一度、人生があればそれだ!
でも他に
<子供の頃、なりたいなと思って、そんなもんじゃ飯は食えない!と親に一括された「絵描き」もいいな~>
小学校低学年の頃、本当に好きで好きで図画工作の時間が待ち遠しかった。でも、高学年になるとたまにしかうまく描くなくなって、でもそのたまにうまく描けたときのうれしさがたまらなくて親に言ったら一括されてしまったんだった。大学生になってフラット旅をして、列車のデッキから流れる風景をデッサンで切り取った時はいいぞと思った。ロシアでの長い長い待ち時間、絵を描いているとそんな時間気にもならず、<ん!うまく描けたロシアの車>なんてね。いい世界だよな「絵を描くって」と思う。
<今度こそ、運動でいつも一番前を走り、オリンピックにでも出たい>
私は子供の頃、病気をしたので運動会はいつも苦痛。でも一度だけ、障害物競走で一番になったことがある。網をくぐる時に前を走ったものたちが絡まって大慌て脱出不能の大パニック!一番後ろからのろのろいっていた私は、<お!あそこが通れるではないか>とするする抜け、誰もいないうちにゴールイン!ウサギに勝つ亀の話は大好きだった。<一番て気分がいいね>とそれから何度も夢に見たな。今度の人生はこれもいいな!
<子供の頃、いくら練習してもうまくならなかったピアノ、今度の人生では3歳くらいからはじめて作曲家!学生の頃、勝手に曲を作って一人酔っていたあの世界もいいな>
恋をしている時など、ピアノを引いていると、楽譜なんかいらない。自分の好きな勝手なメロディーとリズムで、強く叩いたり弱く弾いたり。実らない恋が音楽の中で成就していく、なんて最高だよね。やっぱり作曲家!いまはただのカラオケおやじだがね。
<田舎で広大な土地を買って、そこを花で埋め尽くす!花園農園の経営>
花って、本当にいいね。水をやりすぎても枯れる。やらなくとも枯れる。肥料をやりすぎても枯れる。やらないと、か細くなる、でもそれはそれで盆栽という世界もある。人間の勝手な思いだけでは、いとも簡単に死んでしまう。でも人の思いやりが通じた時、一面満開の花になる。これって絶対に止められなくなるに違いないと思う。
<本を読みあさり、考え続ける哲学者あるいは読書評論家>
本屋へ行くと山のように溢れる本。古本屋へ行くと絶望的に多い、本の数。絶対に人生全てを費やしても読み切れない。でも全部読みたい!そして偉大な哲学者たちのように、自然とは世界とは歴史とは人間とは政治とは経済とは言語とは全てを知り尽くしたい。悩んで悩んで、<お!そうか!>と気がつく喜び、それを味わってみたい。
なんてね。私はやりたいことがありすぎて、次の?人生まで夢見てる。
そのやりたい夢と今の自分のいる場所の関係を見つけられると、いいのだけれどね。「もういやだ!今のいるところ」と逃げるのも手ではあるが、一歩引いて今の自分の居所を見つめてみて「今、いるところも精一杯生きてみる」とすると無駄にならないね。そしてもっと夢に向かって歩む力にもなるね。逃げてみるのもありだと思うけれど、人生逃げ癖がつくとまずいしね。逃げるのではなく夢に向かって「今って、ここってなに?」がいいのかもね。人生死ぬ時の瞬間まで夢を見ることができる、と思ってる楽学天真です。
次回は私の大学院時代の苦しみ、楽しみを記そうかな、と思う。
ちょっと前までの若い私ならば、研究こそ人生の全てと思っていたので、アジって、アジって(アジる、とはアジテーションをする、すなわち熱い演説調の話し方をすること)「ほらほら研究ってこんなに面白いだろ!」というに違いない。でも今はちょっと違う。
人生には実にいろいろあると思うし、「もう一度人生をやるとしたら何をやりたい?」ってマジに聞かれたら本当に迷ってしまう。
<研究を1からやり直してみたい>っていうのが一番熱いかも、やはり。これが安全パイであり、やってみたいこと、知りたいことが山のようにある。年を重ねるごとに大きくなる。そしてそのための時間も足りない。もう一度、人生があればそれだ!
でも他に
<子供の頃、なりたいなと思って、そんなもんじゃ飯は食えない!と親に一括された「絵描き」もいいな~>
小学校低学年の頃、本当に好きで好きで図画工作の時間が待ち遠しかった。でも、高学年になるとたまにしかうまく描くなくなって、でもそのたまにうまく描けたときのうれしさがたまらなくて親に言ったら一括されてしまったんだった。大学生になってフラット旅をして、列車のデッキから流れる風景をデッサンで切り取った時はいいぞと思った。ロシアでの長い長い待ち時間、絵を描いているとそんな時間気にもならず、<ん!うまく描けたロシアの車>なんてね。いい世界だよな「絵を描くって」と思う。
<今度こそ、運動でいつも一番前を走り、オリンピックにでも出たい>
私は子供の頃、病気をしたので運動会はいつも苦痛。でも一度だけ、障害物競走で一番になったことがある。網をくぐる時に前を走ったものたちが絡まって大慌て脱出不能の大パニック!一番後ろからのろのろいっていた私は、<お!あそこが通れるではないか>とするする抜け、誰もいないうちにゴールイン!ウサギに勝つ亀の話は大好きだった。<一番て気分がいいね>とそれから何度も夢に見たな。今度の人生はこれもいいな!
<子供の頃、いくら練習してもうまくならなかったピアノ、今度の人生では3歳くらいからはじめて作曲家!学生の頃、勝手に曲を作って一人酔っていたあの世界もいいな>
恋をしている時など、ピアノを引いていると、楽譜なんかいらない。自分の好きな勝手なメロディーとリズムで、強く叩いたり弱く弾いたり。実らない恋が音楽の中で成就していく、なんて最高だよね。やっぱり作曲家!いまはただのカラオケおやじだがね。
<田舎で広大な土地を買って、そこを花で埋め尽くす!花園農園の経営>
花って、本当にいいね。水をやりすぎても枯れる。やらなくとも枯れる。肥料をやりすぎても枯れる。やらないと、か細くなる、でもそれはそれで盆栽という世界もある。人間の勝手な思いだけでは、いとも簡単に死んでしまう。でも人の思いやりが通じた時、一面満開の花になる。これって絶対に止められなくなるに違いないと思う。
<本を読みあさり、考え続ける哲学者あるいは読書評論家>
本屋へ行くと山のように溢れる本。古本屋へ行くと絶望的に多い、本の数。絶対に人生全てを費やしても読み切れない。でも全部読みたい!そして偉大な哲学者たちのように、自然とは世界とは歴史とは人間とは政治とは経済とは言語とは全てを知り尽くしたい。悩んで悩んで、<お!そうか!>と気がつく喜び、それを味わってみたい。
なんてね。私はやりたいことがありすぎて、次の?人生まで夢見てる。
そのやりたい夢と今の自分のいる場所の関係を見つけられると、いいのだけれどね。「もういやだ!今のいるところ」と逃げるのも手ではあるが、一歩引いて今の自分の居所を見つめてみて「今、いるところも精一杯生きてみる」とすると無駄にならないね。そしてもっと夢に向かって歩む力にもなるね。逃げてみるのもありだと思うけれど、人生逃げ癖がつくとまずいしね。逃げるのではなく夢に向かって「今って、ここってなに?」がいいのかもね。人生死ぬ時の瞬間まで夢を見ることができる、と思ってる楽学天真です。
次回は私の大学院時代の苦しみ、楽しみを記そうかな、と思う。