ミャンマー・クーデターに思う
ミャンマーでクーデターのニュースが飛び込んできた。悲しい。
「選挙が不正だ」と言って暴力を持って少数意見を通そうとする。一見秩序は回復し安定化するが、矛盾は力で封じ込めてもなくならない。そこで民主主義という知恵が生まれた。しかし、人は目の前の利害に動かされる「性」を持つので、忍耐のない即決民主主義は、逆の悲劇も産む。民主主義は時間がかかる。
スーチー氏が解放され民主化された時、日本で学位をとり勤めてもいるミャンマーの友人が胸を張り、どれほど喜んでいたことか。友人が民主化された政府の科学担当となり日本との交流がよりすすむと。彼も実に経験な仏教徒である。
彼は軍事政権時代に持ち込まれた中国の援助が横暴でひどかったかと囁いていた。今回のクーデター、「一帯一路」と「開かれたインド太平洋ベルト」構想の大きな世界政治に間で起きたと見ると、背景もわかる気がする。
ミャンマーはかつてのビルマ。日本は、第2次大戦の悲劇「インパール作戦」の時、インド・タイの活断層に沿っての国境を北上した。「インパール作戦」はほぼ全滅の史上最悪の作戦と言われる。その悲劇の中で生まれた小説「ビルマの竪琴」と、その映画の中で奏でられた「埴生の宿」が平和を求める人の心を打ったことを思い出す。