不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

現実からの逃避-大海原(Gooお題)

2006-08-20 02:13:49 | 自然
 長い旅が終わった。北海道の樹海から、一飛びヘリコプターで大海原へ。船の中で1週間過ごし、現実の世界へ帰ってきた。全て研究に関係することではあるが、その中に没入することが大学というストレス社会の現実から最も離れた至福の時である。とくに船はいつもながらいい。陸との通信も限られ、このようなブログなどを見たり書いたりすることもできない。それは一瞬パニックではあるが、ゆったりとした時間を与えてくれる。昨今のようにどこでも無線LANがあり、飛行機の中でさえインターネットがつながる社会はある意味、逃避する場所も時間も奪っていく。そういえば昔、「蒸発」なんてことばのはやったことがあったな、高度成長の時代。またそんな時代の到来を予感させる、いやもう来ている。交通事故は7千人、一方自殺者3万人だからね、この社会は。
 全ての情報から自分を遮断し、自然の懐の中へ。そうすると余裕を持って考える時間ができる。自然の香りもたっぷりすえる。花や木は人間のように忙しく生きてはいない。読書もたっぷりできる。そして、また生きていく力が湧いてくる。

陸からの逃避:360度水平線の大海原

読書感想
美しい国へ:安倍晋三/文芸春秋新書
政治家とはなんと単純であることか。日々めまぐるしく、マイクロ事件が頻発する政治の世界の大局とはこんなもんかね。文字などいらない。漫画にすればよい。

企画書は一行:野地秋嘉/光文社新書
これも単純な本。最近は皆、キャッチーに流れる。情報氾濫社会の生き残り術。研究申請発表、論文タイトル設定などに少し役に立つかな?人間そんなに多くのことは分からない。

潜行・米ソ情報戦と道産子農学者/小坂洋佑/道新選書
北海道の本屋には北海道コーナーというのがある。東京ではなかなか手に入らない。時に流されつつ、精一杯生きた無名の博士。しかし、取材テーマが最後に失速した感がある。後半の旧社会主義国取材苦労記がそれを増幅させる。一冊にするにはネタ不足であったか?

破戒:島崎藤村/岩波文庫
夏休みのための読書コーナーで思わず買う。ちょうど100年前、藤村34歳の時、どの出版社も渋ったためか?自費出版。
テーマは出身の教師がその出自で思い悩みつつ、最後にはそれを宣言することによりその呪縛から解放される道を予感させる。そしてアメリカという自由の天地をかいま見せる。現代へつながる重いテーマである。100年前には恐らく完全にタブー化されていたテーマであろう。
明治維新後と北海道のフロンティアとを重ねてしまう。封建江戸時代の差別呪縛からの解放、貧しさからの脱却などを求めて本当に多くの人が北海道へ渡った。そこでは誰も出自などを深く問わない。そこで如何に精一杯生きている人間であるのかだけが問題であった。当時のアメリカのように。



ゴシック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北極圏の汗臭い生活ーシロクマだけじゃないよ(お題)

2006-08-09 09:11:51 | 自然
20年以上前、私は北緯70度の北極圏の島スピッツベルゲンで45日ほどキャンプをしたことがある。私の専門に関係する調査のお手伝いであった。氷河を溶かして料理をし、燃料が貴重なので氷河の水で頭を洗う。
「ひゃー!ひゃっこい!」
針で刺すように頭の芯までしびれ上がる!
でも、そのあとにほっかほかとなり、なんとも気持ちがいい!
そんな、キャンプへひょっこり、かわいいお客さん。
北極きつね。夏であったので毛は銀色。テントの周りをくんくんとかぎ回る。
それから毎日、くるようになった。
「おーい!シロクマに気をつけろよ、それからフェンスに」
キャンプのテントはシロクマから守るために、爆竹しかけのフェンスでかこってある。
それに触ると爆竹が破裂、シロクマが驚いて逃げる、あるいはそれに気がつく我々が銃を取り出して対応できる準備の時間をかせぐためである。
それを使うことなど一度もなかった。
しかしである。
調査の地を変えるために、ベースキャンプを数キロ移した。
そこは、さまざまな目的で集まる世界からの調査隊が集うキャンプ村。
数日が過ぎて、ノルウエーの研究者が
「おーい!シロクマがいるぞ!」と双眼鏡を覗いている。
「あすこってお前らがキャンプしていた所じゃないか?」
双眼鏡で覗くとまさにそこ!
この地は木など1本も生えてはいない。そして見渡す限りの眺望。
そのようなところでは大きさの基準となるものがないので、近く見える。
大きさが正確にわからない。
でも、私たちはそこで2週間以上滞在したので、近くの石で大きさが分かる。
「でかい!有に2メートルは軽く超える!しかも2頭!」
その大きさに身震いした。
「なぜ?そこをうろうろするんだ?何も残していないはずなのに?」
その地のキャンプはゴミの1つに至まで完全に撤収したはずである。それが調査の厳格なルールである。
が、残してきたものがあった!
キャンプにはトイレがない。そこで地面に長い溝を作り、用を足した後に順番に埋めていく。あるいは石をかぶせていく。使ったティッシュも見えないように。
さもなければ大変である。ランダムにしてしまうと、「いいところはないかな?」と探しまわり「あった!」と思うと他人のものや自分が以前使った場所になってしまう。覆う適当な石などそうあるものではないからである。
2週間分、3人の置き土産。それがシロクマを引きつけたのであろうか?
「いやはや、居る時ではなくて良かった!」

さて、北極にはその他にいろいろいる。なんと言っても楽しいのはトナカイ。
「おー!サンタクロースのそりを引いている奴だ!」
キャンプの近くまで来て、遠巻きにこけをはむ。
歩いているとそのトナカイの角がいくらでも落ちている。
毎日キャンプへの帰り道、集めた。20本以上になった。
日本へ持ち帰りたかった。
でも、そのためには動物検疫を通過しなければ駄目だという。
そこで子供トナカイの小さくてかわいい角を、こっそりと荷物の中に隠してもって帰った。
(もう時効だね)
いまでも大事な思い出の品である。

トナカイも食べた、アザラシも食べた。
トナカイはおいしい。アザラシはクジラの肉のよう。
夏は夜がない。真夜中の太陽はちょっと傾くだけ。
夜がないって、いいね。日没が近いと焦る必要がない。時の流れが緩やかなのである。
からだは少々疲れるが。

この自然にあらがわず、その流れのままに生きる。自然の恵みって最高だね。
シロクマって、対策さえとれば、怖いもではないんだがね。
今、北海道にいて、ここにもヒグマがいて、みんな怖がっているが。
むこうはもっと怖がっているんだよ。
リラックス、リラックス。そうすると、どこでもみんな楽しいよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北夏の野花

2006-08-07 22:00:08 | 自然
今、真夏の北の樹海の中
人は暑いと汗をぬぐう
しかし、さわやか木陰は別世界
これが北国の穏やかな夏


道ばたの可憐な野花は今が盛り
碧は妖しげ


はじける花火のごとく


白無垢可憐


ウエディングドレスのごとく


そして、樹海の町に穏やかな、目の覚めるようなシルエットを残して日が沈んでいく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるがままに生きる「一茶」

2006-08-01 06:51:24 | 人間
 シアトル往復の隙間時間に藤沢周平「一茶」を読んだ。私は藤沢周平の時代小説が好きだ。スリルがありつつ人を描く「人肌の暖かさ」と「頑固さ」があることは「蝉しぐれ」でつとに有名である。この1作もそのことに貫かれている。対象はあの有名な小林一茶。私は理系人間なので、名を知っている程度であった。
 前半はだらだらと読んだ。しかし、遺産相続争いあたりから引き込まれ一気読み。この頑固俳人の偏屈さはある種の研究者に似ている。しかも、エリート研究者のそれではなく、攻撃的にしかし、自然体で科学にのめり込む人に。型などというものに関係ない、人に批判されようがどうということない。描きたいように情景を切り取り、言葉に写す。こころを切り取り、言葉に写す。科学も同じ。自然の一部を切り取り論文に写す。その面白さにのめり込んだら止められなくなる。だから貧乏なんか関係ない。わがまま人生そのもの。50を超えて人生の終わりが見えてきてからの一茶の生き様が思うがままでいい。その分、家族を失う悲劇も負うが。私はこの「一茶」までにはなれない。しかし、限りなくシナパシーを感ずる。余韻が残り、さ!今日も仕事だ、という気にさせてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする