楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

終活(15)迫り来る年度末-鈍る断捨離

2021-03-17 01:50:36 | 生活

終活(15) 迫り来る年度末-鈍る断捨離

今のところを去る日まで、あと14日。断捨離を進めなければならないのだが鈍る。

古びた黄ばんだ書類はスキャンしてpdf化、icloudの電子棚にしまう方針で進めているのだが〜。

書類を見ると手が止まる。見てしまう。

人生の残り時間で、もはや見ることはない!と感ずると思いが駆け巡る。

整理とは、情報の入・留・出において、入と留を減らさねば進まないことは明らかなのに。

結局、先送りとなり、自宅の部屋が「留」で満杯へ。そして人生時間切れ。

嫌だな〜。綺麗な終いにしたいぞ〜。

と思いながら葛藤が続く。生の証。

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東京大相原博昭教授定年記念講演

2021-03-11 01:05:11 | 歴史

東京大理学部相原教授最終講義

 東京大学は数年前からの定年教授の最終講義をYoutubeで公開している。この形式は、コロナ禍で急速に全国へ普及している。ちょっと前の私たちの時代にはなかった急展開。興味深すぎて、かじりついてしまう。昨日は東大相原教授の1時間40分を聞いた。

https://www.youtube.com/watch?v=mlsAfnGnFDQ

 すでに隠居の身でありながら気になるのが昨今の科学動向と科学政治動向。過ごしてきた地球科学動向はさておき、今日は科学政治動向について記そう。明治以来の歴史を反映して科学政治動向には圧倒的に東大の影響が強い。まずは背景解説。

 中でも文系の文学部、理系の理学部は、世の動向に揺り動かされることなく我が道をゆく原理・理念主義。民主党政権の時、事業仕分けによって真っ先に潰されるかに見えたこの二つ。しかし、日本のノーベル文学賞の全ては東大文学部。素粒子物理の最近のノーベル賞(南部、小柴、梶田)は理学部。

 この理学部の中枢、素粒子物理の2本柱の1本が先日逝去されたカミオカンデの小柴先生から梶田先生へ、そしてもう1本の柱が加速器を使ったチーム。そこに相原先生がいる。

 最終講義とは、自分の研究を振り返ると共に、その人の繋がりの蓄積もよく見える。東大理学部素粒子チームは、科学政治もリードし続けてきた。今後も続けるだろう。今の東大総長の五神先生もそうだ。

 相原先生は、これまで理学部長(研究科長)、学術会議第三部長(理工系)、東大副学長、理事、と理工系政治の中枢で指導されてきた。定年後のこの四月からも東大新体制で理事として残られる。産学協同担当をされるという。東大はGoogleと結び、それを中軸として産学協同を進める。満面の笑顔で鋭くリードされることを期待したい。

 内閣府によってぶち上げられた学術会議潰しに対し、この東大中心のアカデミーの真っ向勝負が静かに続いている。間もなくその勝負の山(学術会議総会)が新年度冒頭に訪れる。

 

 

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東北地震10周年の日に思う

2021-03-10 10:24:46 | まじめ

東北地震10周年の日に思う

 

 今日、東北地方太平洋沖地震、東日本大震災10周年。犠牲になられた多くの方々に心より哀悼の意を表します。また未だ、復興の中で苦しんでおられる方々にエールを送ります。

 

 地球科学の研究を生業としてきたものとして、この科学の非力さ、限界を改めて心に刻みます。残された人生の時間、考え続け、思いを発信し続けます。

 

 今、世界と日本はコロナ禍という未曾有の歴史的転換点にあります。大規模感染症、大規模災害、地球環境劣化に国際社会から地域社会、そして家族・家庭という身の回りまで時代の流れが押し寄せてきています。

 

 このような時こそ、人の繋がり、心の繋がりが鍵と信じます。皆さんめげずに頑張りましょう。

 

 震災の日の朝に。

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罪の余白 

2021-03-07 06:39:39 | 人間

罪の余白 

週末、映画を見た。大学で心理学を教える教授の娘が、飛び降り死んだ。

その真相に迫り、陰湿ないじめを知る。

そして復讐へ。

現代の高校生、女子。男から見ると純粋な天使の集まりのような人間集団が、実は魔女の集団に見えてくる。

そんなショッキングな映画であった。

命をかけた復讐の成功。

でも、残された命の長さを考えると、新たな報復での勝者の未来が見えて、そこへの復讐の連鎖を予兆させるエンディング。

命をかけた復讐という罪の成功は一瞬の清涼。

しかし、その「余り」がやがて成長し「報復の連鎖に終わりはない」と。

このエンディングの重苦しさが、評価星数の少なさなのだろうか。

人は救いを求めているのだから。

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研究のレビュー不足

2021-03-05 04:21:36 | 科学

研究のレビュー不足

 今日の記事は珍しく少々の不満を述べる。若者の研究発表を見るとprevious studies のレビュー不足が目に余る。既に発見されている現象が引用、レビューもなく自分の発見の様に報告する。何度も議論され、決着済みの問題を蒸し返し、自分が初めて決着したかのように報告する。地球科学は一般論に加え「地域」と言う問題を伴うが、地域が異なれば他地域での同じ現象の研究を無視していいというわけにはいかない。

 ツッコミどころが満載で質問する気にもならない。卒業論文ならまだしも、修士論文や博士論文ではディフェンスに通らないだろう。大昔でさえ、卒業論文では関連論文20編は読め、修士論文では100編は読め, 博士論文では関連全ての読むのが理想だと言われていた。もちろん容易ではない。が、肝は発見・発明とは何かを知れという意味だ。

 発見・発明は主観ではなく客観的でなければならないと言うことである。目の前の専門家聴衆や専門家読者に「聞いたことがある」とか「読んだことがある」とか判定されてはいけないのである。SNSやウケ狙いマス・ミニコミだけで発表しても駄目なのである。それを判定するために研究は最終的には査読制度を持つ科学雑誌に発表されなければ発見も発明も客観化されないと言うルールが出来上がっているのである。ルネサンス以来の知的先取権をめぐる繰り返されたバトルの結果の人類の知恵である。

 学生がそのような発表ができないのは一言で言って指導者の責任。なぜ指導者ができないのか、そこには本人にだけには押し付けられないかと根深い問題がある。免罪論にならないように機会を見て論じよう。

 

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