異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説 『呆け茄子の花 その五十』

2021年04月10日 17時51分15秒 | 小説『呆け茄子の花』
尚樹の仕事場が荷物を抱えて退勤する前に、課長の部屋に赴いた。課長は丁度在室していた。課長には前もってメールを送っていた。「退勤時にお話しがあるのでお部屋へ伺います。」と。部屋へいくと両手に荷物をいっぱい抱えた尚樹を見て半笑いしながら「尚樹さんどうしたんですか?」と白々しく言った。課長はそう言いながら隣部屋へ導いた。尚樹は課長の前で過剰に深刻な顔を作って「今日のことどう思われました?」と朝に話しはしたのだが改めて聞いた。「えっ?どうって・・・。」言葉に詰まった様子だった。尚樹は率直に「辞めようと思うんです。」というと課長は慌てて「えっ!?ちょっと急すぎませんか!?」。課長も尚樹からメールが来た時点で想定の中に入っていたはずだが、現に言われてしまうと今後のことが頭の中を走馬燈のように巡って行った。「(・・・部長にどう言おう。まずはこの男を翻意させることだ。)」と思い「考え直しませんか?朝もいいましたが僕もよく怒られるし、そういった意味じゃ仲間じゃないですか。」この後、十分を超える課長の説得があったが、頑ななところがある尚樹は動じなかった。尚樹は今まで何も聞いていなかったかのように「明日で荷物を全部出し終えるので、退職の手続きを完了出来るようにお願いします。」と吐き捨てるように言いながら一応、一礼し退室した。課長は座っていた椅子から落ちそうになった。「(・・・これは部長にどう言えばいいのか?とりあえず尚樹には頭を冷やすように時間を掛けよう。)」と。尚樹は帰路辞めると決めたことは、これ以上考えること無く、なにかすっきりした表情で両手に抱えた重い荷物を持って帰った。寝る際も逡巡することなくそのまま朝を迎えた。尚樹は「今日で意地でもすべて持って帰る。否、そうしなければ部長の介入してくる。」と思い頑丈な袋をバックに詰めて出勤した。出勤すると尚樹のデスクの上に一枚のメモ書きがあった。そのメモには「仕事のこと心配しています。」と。部長のサインがあった。尚樹はスッカリ白けていて、以前部長に言った言葉を思い出して欲しいと思った。それは時期を違えて二つの言葉であった。一つは「言葉の矢は放つと戻らない」、「叩いた手は痛くない」というもの。これはどこの格言でもなく、尚樹自身が思ったことを端的にしたものだった。言葉を発してしまうと、その言葉は「無かったこと」にできないので発言は慎重でありたい。また暴力や言葉の暴力は加害者は一切痛むことがない。親が子どもを叱る時はあるだろうが、その言葉は『コントロール下』にあって計画的である。部長が言い放った言葉は、その言葉に無責任で一時の感情のまま表したもの。そして相手がどんなに傷ついても一向に顧みることはない。そんな部長が自身の『悪癖』とも言うべきことに気づいて欲しかったが、尚樹は今まで今回尚樹が体験したことその影響で退職した人を数例知っていたので尚樹自身の退職も部長の心の奥深いところにはなんの影響も無いまま終わるだろうと思っていただけにメモ書きを見て白々しさを感じたのだった。「このメモは所詮『付け焼き刃』」と。




その五十一につづく






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