異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説 『呆け茄子の花 その五十三』

2021年05月30日 05時08分15秒 | 小説『呆け茄子の花』
尚樹はその月で一年近く経つ週就職活動の中で感じる閉塞感と、前職の病院を「夜逃げ同然」で辞めた後ろめたさを常に感じていた。毎月第4木曜に行く職業安定所の障がい者相談室。ほとんどまともな話しをすることもなく、ただ毎回の常套句「尚樹さんなら大丈夫ですよ」の言葉。しかし、現実的に一年近く職が見つからないこととの矛盾を感じていた。数日後、面接の予定があったがすっかりと「厭戦ムード」たっぷりで面接を受けたが、そんな様子だから採用になるはずもなく、また数日後「不採用通知」が案の定来た・・・。それから尚樹は民間の就職斡旋会社も職安のサイトも見なくなり、自宅に引き籠もるようになり、その内に中古で買ったTVが音声しか出なくなり、外界とのつながりはPCのインターネットのみになってしまった。しかし、インターネットから得られる情報は偏りが多かったり、デマも多かった。尚樹はさらに閉塞感、孤独感を感じ食料品を買い出しに外に出る程度になり、カーテンは閉め切り、孤独に孤独を重ねることになった。「いっそ、路上生活をしよか・・・」とまで精神的に追い詰められた。「追い詰められた」というよりは「みずから追い詰めた」と言った方が正確かも知れない。以前の様に「自死」の感情は湧いてこなかったこのことは心理師による治療が効果があったのだろう。ある日、精神科へ定期の診察があったので赴いた。その際に医師から衝撃的な言葉を聞いた。「尚樹さん、足もおぼつきながら歩けるようになったし、精神的にもずいぶん落ち着かれた。次回の精神の障がい年金の更新は辞めましょう。」とのことだった。今、尚樹の収入減と言えば、障害年金と失業手当の合計16万程度であった。生活保護が14万ちょっとであったから、生活保護よりはマシであったが世間から見れば、尚樹の年齢からすれば、世間の付き合いは出来ず「最低限の生活」で世間の底辺を右往左往する様な気持ちであった。それから一月あたり約10万円の障害年金が切られると・・・。そのことを考えると「この世に神も仏もない」と思うのも致し方ない心情になるのも仕方ない。そのような気持ちにの中で、尚樹にとって「鬼門」である事故の日が迫ってきた事故の日を挟んで三ヶ月は精神状態が落ち着かず、涙ぐんだり時には嗚咽を漏らし、時には怒りを抑えきれずに部屋の物に当たり散らすという、武道で養った「平常心」もこの時期は尚樹にしては「狂乱気味」になる時期でもあった。この「障がい年金打ち切り」、「事故の日の接近」この追い詰められる尚樹の思考は複雑な展開を呈していく・・・。


その五十四につづく