ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

ボード貸し出し返却

2011年05月16日 16時03分22秒 | ペタンク爺さんの一日
2009の四月に、青森県の㈱ブルーモーリスさんから橇に使用出来そうなボード2本を貸し出ししてもらっていた、橇を始めたのもその年で最初は長いスノーボードを半分に切って、お尻を乗せる台を付けて滑っていた。
そんな関係で、ボードメーカーの新企画開発の一環として応援していてくれたと思っている、しかし発展し新しいスポーツとしての用具販売までは、そう簡単に手の出せるものではない。
私も、途中から個人でも簡単に手作りできる発砲スチロール、ビニール、プラスチック、ベニア、木片等を材料とした橇に変更してしまっていた。
スノーボードを橇の本体に使うのは初年度で終っていた、借りていたボードを直ぐ返すべきがづるづると二年も経ってしまっていた、今日くろねこヤマト便で返送し一区切りつけた。

明日から、午前中だけ山に入る事にしていた、気がついたら車のタイヤがスノーだった事に気がつき、自分でタイヤ交換をやっていたが一箇所だけナットが動かないので、近くの行きつけのスタンドで残りの1本を交換してもらう。
明日から、三日ほどお天気が続くが、まだライラックの花は咲かない。
6月5日は、当自治会の春のリクレーションなのだが、藤棚の花が咲くのを心待ちにしている。

自治会でも自転車小屋整理整頓などで、自転車登録証を発行することにし、製作依頼が総務の私の所に廻って来た、まず、耐水ホワイトフイルムラベルでパソコンを利用し、それらしいものを作る。
これで、放置自転車が減ってくれればと思っている、結果はどうなるか。?

近くのスタンド
自作の自転車登録証

久しぶりの板前さん

2011年05月15日 16時16分27秒 | ペタンク爺さんの一日
妹が急遽国際森林年記念「サミット記念の森」の植樹祭に欠席者の穴埋めと、朝6時過ぎた辺りに慌しく出かけていった、軽い気持で夕食はお願いねと言い残して行った。
それではと、お釜にセットしスイッチを入れるだけでご飯が炊けるようにしてもらっていた。・・・・・久しぶりに板前の腕を振らなければと、得意の寿司飯を作り、今日は春の山菜が中心の五目飯を作る事にしていた。
昨日、八紘学園から菜花を少し採取していた、11日に竹の子の様子を見に行ったときは全く見つけられないで帰ってきていたが、もういい加減に顔を出している奴も居ると滝野公園裏山に出向く、日曜日なので何組か同じ趣味の人たちが入っていた。
竹薮の中でも時々広場があり、そのひだまりの暖かい所だけ、それこそ早生竹の子が顔を出していた、大した量でなかったが寿司の材料として充分だった、たらの芽もやっと葉を開いた奴を見つける。

帰りしな、寿司の足りない材料を数種類買い込む、自宅では竹の子の皮むきから始まる五目寿司にはほんの少しだけ、残りはフキの煮付けにあぶらげを足して一緒する、これで一品出来上がる。
寿司の材料は、竹の子、タラノ芽、菜花、かにかまぼこ、しらす干し、錦糸玉子、でんぶ、紅しょうが、の8種類になった。・・・・吸い物はがめめ昆布ので作ります。
・・・・見た目も豪華なり・・自己満足。

今朝は、当自治会の春の大掃除実施だった、早いうちは小雨が降っていたようだったが作業開始時間の9時には、まずまずの天気だった、春と秋の2回の大掃除は会員の方が全員では無いが大方の人たちが参加し、コミニュケーションの場ともなっている。

今年も6月5は、この団地裏公園でリクレーションを開催する、藤棚の藤の花が咲き遅れているのが少し気になる所だ。

竹の子はしりとたらの芽

大掃除は先頭に立って・

三十数年振りのお里帰り

2011年05月14日 14時54分46秒 | ペタンク爺さんの一日
我が愛車、と言っても息子が投げてような自転車(MTB)で、当時円山地区に住んでいたのでその頃から、時代の先端を走っているような自転車屋の小野自転車で買ったもので、この頃でも数少ない歯車比率1対1の自転車で、普段道路で爽快に走る車ではなかった、この自転車がきっかけになったのか、トライアルのオートバイに発展して行くことになるのだが、自転車だけは手放さずづう~と置いていた。
もっぱら、近くの山を走り抜けるために、車に乗せて車の入れないその先に入るため持ち歩いて利用していた。
昨年の春、前輪のタイヤが劣化し近くの知人の自転車で取り替えていた、今年もシーズンを前に整備していると後輪が殆どバス状態だったので、何時もの近くの自転車に行く、ところが間が悪く2.3度顔を出したが店は休業状態だった。
やむを得ず、この自転車を買った円山の小野自転車に行くことになる。

其の昔は、北1条通りの西24丁目が店舗だったが、今は半町北側に店を構えている、元の店舗の跡は東急(東光)になっていて、その直ぐ裏でかえって立地条件は良くなっていると思った。
今は、「サイクル小野サッポロ」と店舗名はハイカラになっている、店内も相変わらずお客さんの購買力をそそる様な商品陳列で、目を引いていた。
今日は、土曜日のせいかお客さんで賑わっていた。
三十数年振りの里帰りに、若い店員さんも驚きを隠さなかった。
タイヤとチューブ交換で工賃込み4,385円だった、出来上がってからサードルの破損も酷かったので、こちらも序でに交換1,785円と工賃600円で2,385円で自転車の整備が完了した。
昼食は、近くのそばの東家寿楽のかしわさばで、途中の菓匠米屋の利休万十を買って帰る、サードルもソフトで新しくなったので、試運転に八紘学園の校内をひと回りして帰ってくる。
週明けの火曜日の17日辺りから、お天気が安定し気温も少し高くなるらしい。
この辺りから、山菜取りも本格的になってくると思っている。

お昼は、東家寿楽でかしわそば

米屋の利休・・八紘学園校内で

20年振りの畳表替え

2011年05月13日 14時50分30秒 | ペタンク爺さんの一日
現在の月寒市営団地に移り住んでから、20年も過ぎていることに時には吃驚している、同じ頃息子二人がそれぞれ所帯を持ったのも同時代で、歳月が経過している事も改めて認識させられている、昨日札幌市から畳の表替えの通知が入ってきた、入居してから20年を過ぎているので、畳の傷みは相当進んでいた、そろそろ何とかして欲しいと思ってはいたが、差し迫って困るわけでなかったので、忘れている事が多かった。
市では、9月.10月あたりに始めます、希望者は申し込んでくださいとの連絡、無論やってもらわない訳も無く近く申し込む事にしている。
団地なので、自治会仲間や近所となりの交流は他の町内会以上に親密な所もあると思っている、入居以来隣に若い家族が住んでいた、二人の女の子もいて下の子は小学生時代、夫婦共稼ぎらしく良くお母さんが帰ってくるまで、家に上げて面倒見ていた。
その子が、中学生時代不登校になり家に引きこもってしまっていた、そんな時その子の家にベランダから野良猫が入り込むようになり、この子はとうとう自宅でそのね猫を飼うようになってしまっていた。
動物を飼うことは、人間らしさを取り戻すきっかけになる事を実証し、今は高校生になっていると思う女の子も、皆に挨拶するようになっていった。
それはそれで、良かったとつくづく思いましたが。

猫被害で、苦痛を味わされているこの頃です、加害者宅に直接申し入れる事も出来ず、我が家で出来る防御体制をするだけにとどめています。

猫が何処でも、オシッコをするため匂いが酷く、薬局からピューラックスを買ってきて、そこらじゅうに撒いています、ベランダ伝いに中に入り込み他人ベランダの中でオシッコをするため、いろいろ防御対策しましたが、今日は暴風ネットをベランダの手すりに張りつめました。
高さ1Mもあるので、これで大丈夫かと思っているが、・・・・それこそ想定外が発生しない事を願っている。
花畑に来てのオシッコは、もう防ぎようも無いかと諦め半分です。

横殴りのふ風雨の中、有明名水汲みに行って来る、ひっそりしていた。
南からの強風、ベランダ側の花壇は風の被害が出ていないか心配だ。

有明名水

もんしろ蝶を見た

2011年05月12日 15時36分31秒 | ペタンク爺さんの一日
5月の12日、何時もの年なら山菜の竹の子採りで近くの山に通いつめる時期なのだが、一向に地温が上がらないのか根曲がり竹(竹の子)が顔を出せないでいる、一週間から10日は遅れていると思う、昨日何時も早めに出てくる竹の子山に下見に行ったが一本も採れないで帰ってきている、今日も朝から今年一番と思われる暖かい気温で太陽が朝から顔を出していた、山行きは来週にして、今日はカーデニング作業を始めていた、種まきはほぼ終了しているので、花壇の床作りをやっていた、昨秋からコンポストで落ち葉で腐葉土を作っていた、まだ完全に出来ていなかったがそれでも、それを利用し天地換えした花壇に轢きつめ肥料を少々いれ土を被せ、花植えの床を完成させた。

狭い花壇が散らばっていて、時々宿根などの移動が行われている、一年草だけは毎年繰り返し植えなおすので至って簡単だが、秋に球根を取り上げ越冬作業をして、また春になったら植える花は非常に難しい、冬の間に死なしてしまう方が多い為で。

球根類は、秋に直ぐ植えて置かれる花が多くなるのも仕方が無いことと思っている。
種植えハウスの中は、早いものはかなり丈夫そうに生長しいるのが判る。
苗ポットが全部丈夫に育ったら、我が家の花壇では植えるところが無くなっていると思う、そうしたら他家へお嫁さんに出さなければと今から要らぬ心配をしている。

今日も、学園ペタンクのポスターを見て来てくれた人(野蔵さん)がやって来た、今日は少しポールの持ち方や投げ方の基本動作を伝授する。
今日の、練習試合は新しい事を習ったばかりで、考えと行動が伴わずバラバラだった、来週火曜水曜木曜と三日も通ってくるうちにペタンカーらしくなって来ると思っている。

今日今年初めてもんしろ蝶を見た、我が家の花壇の回りは今頃タンポポの花盛りです。

タンポポともんしろ蝶、チューリップ

マウンテンバイクで山菜下見

2011年05月11日 16時07分10秒 | ペタンク爺さんの一日
今日明日と二日間は、太陽が顔を出す温かい日との予報に、先週からもうそろそろ山菜シーズンインかと下見を兼ねて、支笏湖線のラルマナイ林道ゲートに向かっていた。
ゲート入り口に車を止め、MTBのマウンテンバイクを持ち込んでゲートから、滝野ゴルフ場上辺りの何時もの私の行き着け場所に向かった、5月も11日になっているので去年までは竹の子採りの車が頻繁に出入りしていた、しかし、今年は止め番という南京錠に付け替えてしまったので、北海道森林管理局の関係者しか車での出入りが出来なくなってしまっていた。
入った時間には、他の車の気配は全く無かった、お蔭でマイ自転車での走行はのんびりと始まった、入り口から僅かに登り坂で降りて歩く所もあったが、大した坂道が無いので体力の消耗は防げる。
今年に入り、先週は6日に来ているので5日間ほど経っているので、多分タラノ芽も膨らんでいて少しは採れると思っていたが、まだ早いのが判った、それゆえウドや竹の子もとうとう見つけられずに終った。
普通は、連休中に全部採取できていた、それが何時もより10日以上山菜の生長が遅れているのがハッキリしてきた。

この分なら、竹の子の最盛期は20日過ぎくらいになるのではないかと想像している。
兎に角、山は寒い、日陰に雪が残っている所もある。
今日も、下見だけで終る、まだ硬いたらの芽数個とアズキナ、それにまだ大きくなっていない山ふきをお土産に帰路に着く、帰りはペタルをこがなくても自転車は独りで走ってくれた。

昼からのペタンク練習会に、公民館のペタンクのポスターを見た人が五区公園に顔を出してくれた、こちらから声をかけ直ぐ練習会に入ってもらい、始めていた。
ねんりんピックの、普及会で初めてペタンクを知ったと云っていた、今年も仲間が増えることを大いに期待している。

ルートAとマイバイク





連休明けの花冷え

2011年05月10日 15時16分46秒 | ペタンク爺さんの一日
昨年、非常に栽培が難しいと言われているトルコ桔梗の苗を八紘学園で、結構安価な金額で売っていたので試しにと何本か買ってきて植えていた、道産子に育ち変えられているのか、美しい花をつけた、それに晩秋の雪が降る頃まで楽しませてくれていた。
八紘学園の学生さんも、そのままで2年目も新しい芽を出しますよと言っていた。
そんなに簡単に栽培できるとは、思いもしていなかった、それでももしやと昨年植えた跡を注意して観察していた、・・・・今日、芽を出したのを確認できたのです。

春早く、サカの種屋さんに頼んでいた、トルコ桔梗の種が昨日届いていた、今日はトルコ桔梗デーになる、今年は長野辺りで育てられた花の種だと思うが、用意してあった種床に種まきをした、ひと月くらいは室内やらハウス内で育てなければと思っている。
種床50個に、一粒一粒慎重に蒔き終えた。
種蒔き専用ハウスの中は、早々と芽を出したものや、これから芽を出す苗床で満員に近づいてきた。
団地内の桜の花は、ようやく満開になっているように見えた、暖かければ桜の木下で談笑も様になるのだが、寒さのため裏庭には人影もなし。
リラ(ライラック)の花は咲き出さないので、リラ冷えとは云えず、今日の寒さは「花(桜)冷え」と言う事になる。

昨日も、札幌はハッキリしない天気だったらしい、それにひきかえ、ニセコひらふスキー場からのアンヌプリ山頂登攀は、素晴らしいお天気に恵まれた、山頂まであと1時間くらいのところで廻りの様子を動画に収める、今日はそれをアップした。

トルコ桔梗の先輩と後輩


アンヌプリ山頂に限りなく近づく。




アンヌプリ初登攀(ビニプラ橇で大滑走)

2011年05月09日 17時27分25秒 | ペタンク爺さんの一日



2011ビニプラ橇の最後を締めくくる意味においてもと、シーズン当初からニセコアンヌプリ山頂登攀は予定の行動に入れていた。
子供達が高校時代までは、ひらふスキー場にも良く来ていた、ぱったり行かなくなってから30年以上は過ぎていると思う、久しぶりに来て見て大きく変わった感じはあまり無い、基本的な町の形態は変らないと思う。
懐かしい山田温泉はとおに無くなっているが、そのあとらしいところに出来ていたホテル兼日帰り温泉も、経営(外国資本)が変り今日から取り壊しと言っていた。

町の様子は変らなくても、それぞれのオーナーが外国人に変っているらしい、時代の流れを感じる。
ひらふは、久しぶりだったが、アルペンリフト側で8日の最後の滑走動画を流しておいてくれたお蔭で、概略は想像出来た。

今日からスキー場がクローズする、札幌は5時過ぎに出ていた、早朝なので8時前には到着していた、朝飯も食べずに来たので車の中で済ませる、朝の山は霧がかかり見えていなかった、ゆっくり準備を済ませアルペンリフト側のコースを登って行く、その頃は霧も晴れ山頂まですっきり見えていた。
途中まで上がって行くと、花園側の山頂リフトが動き出し跡片付けの従業員が登って行くのが遠くから見えた、ピステも何台も動いていた。クローズ後の片付けらしい。

そんな、様子を横目に蟻が這うようなスピートと思われる速度で山頂を目指した、途中すり鉢沢に入り風も無くシャッ1枚で登って行く。
兎に角、時間はかかった4時間は過ぎていると思う、山頂で持っていったおにぎりをほうばる、・・・・・その後のコーヒーは兎に角美味かった。

大滑走動画は、スノボー橇を考える会にアップします、時間がかかるので日付が替ると思います。・・・素晴らしい動画も撮れました。

スタート地点のアルペンリフト側、羊蹄山をバックに

山頂がはるか遠くに、山頂でお昼



チューリップ間もなく開花

2011年05月08日 14時47分01秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日札幌円山公園の桜の開花宣言が出された、二三日遅れた桜前線も寒い日が続いているが、お待ちどうさまと到着した。
我が家のガーデニング作業は、かなり早い段階で始まっていた、最初は花壇の上からビニールハウスを被せ、花たちの発芽を無理やり早めていた、自然発芽より1週間は先行していると思う、このままなら育ちすぎるとビニールを剥がし、芝生の上に今までの半分ほどのハウスを作り、ポット植えした花の種だけを入れて花の苗作りをやっている、花も様々植えた日もまちまちなので、育てる過程が判って楽しい。
直植えしたチューリップが数日前から、花芽を膨らましていた切って花瓶に挿したらと、今日とうとう切花にした、我が家の仏壇の花としてはヒヤシンス、水仙に続いて三番手になった、もうこれからは切花には事欠かないと思っている。
昨年種まきしていた、なでしこが今年は沢山の花をつけようと、早い段階で生長している。チューリップの後は、直ぐ都忘れが小さな花芽をつけだした、同じ頃だと思うがライラックの花芽が膨らんでいるのが見える。
あやめ系では、杜若が一番先に楽しませてくれる花で、春の花の競覧もこの頃と思う。
我が家の花壇も、次々と出番を伺うように待っているように見えてくる。

5月8日、桜花杯ペタンク大会が西区農試公園で行われた、昨年の大会印象が良かったので期待していた、学園同期の本間、坂口さんを誘っていた、所が数日前から天候が思わしくなく気温も低いことが予想されていた。
結果は、今回もどちらも予選落ちで終る、まだまだ実践を積まなければと思った。
予選3チームリーグで、1回戦は休み、その1回戦が時間がかかり1時間30分ほどかかっていた、今日の寒さの中で待ち続け、コンデーションの持って行き方が難しい、試合だった相棒の経験不足が勝敗にも繫がっていったなと思っている。

なでしこ・都忘れ・杜若

種まきハウス・ライラック・木いちご

2011桜花杯・桜はちらほら



山菜日誌

2011年05月07日 14時50分43秒 | ペタンク爺さんの一日
初めて山菜日誌をつけたのは、30年も前に遡るまだ40歳半ば頃で、その頃は円山地域に住んでいたので、ばんけい方面の山には歩いても行けるくらいだった。
日誌を見ると、円山八十八箇所の登山ルートから外れたところでもアイヌネギは採れていた、少し足を延ばしばんけい峠辺りは、コゴメ、ササの子、たらの芽、フキ、ゼンマイ等を採っていた、収穫時の楽しみとフキなどは越冬食料として、食生活を豊にしていたと思う。
日誌も、1979年から1982年迄で春だけで終っている。
無論簡単な文章でつづられているが、正確では無いが参考にはなる、少し間が空いて、その後1997年から2年ほどつづられているが、内容はかなり正確に書かれている、良く見ると今でも参考になる記録と思っている。
その後、日誌は書いていないが、その年の収穫量だけ記録されている。
後半から始まった日誌には、キノコ日誌も記録されている、この頃はアルバイト程度の副収入として、ペタンク関係の支出を支えてきた。

今は、体力の衰えと共に楽しみだけの山菜採り(山遊び)に替わり、人生後半の目的のひとつにもなっている。
今年ほど、季節が遅れている年も滅多に無い、近頃は里山では滅多に見られなくなったカタクリの花を写真に収めようと豊平公園に出向く、街の中の小さなオハシスに早くも常連のお客さん(鴨)が訪れていた、つがいなので間もなく子鴨も生まれ、小さな池も賑やかになる。

街に出たついでにと、さっぽろ駅まで行き初めて地下道を歩く、明日は母の日三越で白いカーネションと丸井で母の好きだったおはぎを買って帰り仏壇にあげる。

豊平公園で

地下歩道にて 公園の花






春きのこ続き

2011年05月06日 15時19分15秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日に続き暖かい連休後半の5月6日、昨日山で偶然に遭遇した天然エノキ、晩御飯の味噌汁の具になった、養殖で作られているえのきは白く細いキノコなので、山で自然に出てくるエノキとは同じキノコとは、判別できないのが普通だ。
このキノコ歯ざわりが良い、天然エノキはその上に、ナメコ並みのとろっとした食感がある、私はナメコより美味しいと思っている。
昨日収穫した時は、普通に横たわる木に並ぶように数日前からようやく出てきたように、輝いて見えていた、その時は春に出てきたものと解釈していたが、帰ってからよく考えると数日前まで雪ノ下になっていたはず、春にでて来たとは考えにくい、しかも五月になったばかり、今までの経験では、しいたけ、ナラタケは6月に入ってから採っていたことを思い出す。
結論として、エノキの別名雪ノ下と名前からして、これは昨年の秋遅くで出来たものでその後雪が降り出しそのまま春まで冬眠した状態であったと推理した。

数年前から、人目につかない団地庭の片隅に天然エノキが出ていて、ひっそり収穫し馳走になっていた、昨春に雪ノ下から出てきた天然エノキも、美味しく食べていたのだ。
その、天然エノキは今春も出ていたのだ、今年はそっとそのままにしてあった、春の天然エノキ収穫の推理として、今日証拠写真を撮る。

2011手稲山ラストランと思い、数日前から計画していた通りハイランドに向かった、久しぶりのお天気に駐車場にはバックカントリーと思われる車が2.30台並んでいた、後で判ったが、どうやらツアーで来ていたグループもあったようだ。
ハイランドも明日明後日の土曜日曜が最終営業にと、1本のルートだけはピステで整備してあった。
最初は、リフト下の北林間コースを降りるつもりで、スタート地点まで行ったがモーグルのコース並みのこぶだらけを見て中止する。

今日は大回転急斜面を降りたが此処もモーグルコースだった、スタートから動画をセットしていたがどう間違えたか滑り降りて見てみると、スイッチが入っていなかった。
ラストランで失敗、手稲は来シーズンまでお預けとなる。

今日の手稲山は、リフトは動いていなかったが結構賑わっていた。

団地の桜とつくし誰の子スギナの子




春の天然えのき

2011年05月05日 15時59分19秒 | ペタンク爺さんの一日
5日のこどもの日で、ようやく晴れ間が戻ってきた、それにしても昨日は記録的な5月の降雪となってしまった、札幌の今日の最高気温は11度まで上がると気象庁の発表がなされていた、山菜採りの日程がこの度ほど予報が変更とともに二転三転してしまった。
まだ、本格的には山菜採りには早いのと、この季節は太陽が出ない日は体感気温が低く感じられたり、実際に温度が10度にも満たないと寒いのである。
そんな、寒いなか山に遊びが目的で行く場合は、太陽が出ている日で気温10度以上に達していなれければ回避するしかない、天気を見極めて今日になった山菜採り(山遊び)は、条件がようやく整ったこどもの日になっていた。

女友達の二人を9時に迎えに行く、どちらも美園に住んでいて今日の山菜取りは楽しみに待っていた、期待が大きいことが自然に伝わって来ていた、案内する場所を何回か練り直し、林道滝野ゲートから入り、滝野ゴルフコースのすぐ上あたりに見当をつけていた。
昨年までなら、すぐ側まで車で入れるのだが、ゲートのガードが完璧になり、徒歩で案内する事になった、2キロくらいなので約1時間のハイキングコースと踏んでいた。
林道入った途端、沢の中の風倒木にキノコらしいものを発見し、接近し確認すると、本当に珍しく秋に出る天然えのきだった。・・・・少々びっくり、春キノコはナラタケは採取した事があるが、エノキは初めてだった、何にして食べるか楽しみ。

林道の側溝には、残雪がまだあった、どう見ても季節は4.5日遅れていると思った、自然の条件に従えば、山にも山桜が咲き始めていなければ、季節到来とは云えないとつくづく思った。
歩き始めて、1時間少々、目的地に到着は11時30分くらいだった、林道を歩きながら山菜の育ち具合を見ていたがたらの芽は蕾が固く収穫できるような状態でなかった、ウドもとうとう見つけられずに終る、結局お土産に持ち帰った山菜は、コゴメとアズキナの2種だった、内緒で天ぷらを揚げる用意をして行った、材料は無論山菜で、コゴメ、アズキナ、ササの子、ニワトコ、イラクサ、よもぎ、ふきのとう、あざみ、ふよう、9種の食材になった、ご馳走は舞台装置が整うと美味しさも倍増される。
兎に角、美味しかった。に尽きる・・・・

楽しい山遊びの一日だった。

春のハイキングと山菜採り、お昼は山菜天ぷら



雨上がりの練習会

2011年05月04日 15時54分28秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から雨が降り続いていた、今週末にペタンク大会があり、シーズンに入ってから屋外で一度も練習していない友達を、一緒にエントリーしてあったので、大会前に一度くらいは練習をして参加しようと今日午後から練習会を組み込んでいた。

しかし、今日の雨は寒気団が舞い戻り峠は積雪情報も流されていた、そのみぞれ交じりの雨の中、隣町のJAのガーデニング会場へ覗きに行く、此処は近郊の小農家を顧客にしているので街場のスパートは違う商品があり、野菜や魚屋さんも少し仕入れが違っていると思う。
トマトの苗を買いに行ったはずだが、食品を買い込み、苗はお天気の良い日にと、其処を後にした、そのまま帰るには早すぎると、少し足を延ばし雪印種苗園芸センターに、お天気さえ良ければ大変な賑わいと思うが、表に出している苗ものはみぞれが当たったのか、それは今にも泣き出しそうに見えていた。
店内に入ると、一転春の花の満開で出迎えてくれた、買物と云えば百日草とマイクロアスターの種、そりにミニダリアポットを買っただけだった。
帰り道、何時も通り過ぎている「すき家」に入り280円の牛丼を食べてみる、吉野家には一度入った事はあるが、二度と行く店にはと思っていた、同業者の同じものを食べて比較するには、食べて見なければと思っていたので、今日は迷わず入ってみる。

結果、たいして代わり映えしないが少しランクが上かなと思うくらいだ。
ほかほか弁当の、のり弁、吉野家、まつ屋の牛丼は同じくらいの値段だが、暖かいだけがご馳走と思うことにしている。
どちらの牛丼も、お米がまずい、たれが薄く甘みが足りない、私の好みに合っていないと言うところでした。

今日のペタンク練習会はお休みと思っていたら、午後1時近くになり、雨が上がったので練習始めませんかとの電話が入った、慌てて相棒にも連絡し、まだグランドの土の上に水溜りが残る所で練習会が始まった、終ってみると午後3時は過ぎていた。

まず、これだけ投げれれば大会に参加しても大恥じはかかないで済むかと思っている。
今日参加の皆さんも、同様な思いでないかと、勝手に想像する。

JAと牛丼


雪印種苗、花01、花02、

2011山菜下見

2011年05月03日 15時40分14秒 | ペタンク爺さんの一日
豊平区の水源地通りを通り抜け滝野公園までは、ほぼ直線で山菜山に入れる最短ルートと思う、どちらかと言うと支笏湖線ルート沿いが私の山菜採りの守備範囲で、ふき採りだけは豊羽鉱山や中山峠などまで出かけている。
シーズン初めは、ほんの里山らしき所から始まっているが、滝野公園の裏門近くから入る林道ゲートは、兎に角一番街から近い国有林と思っている。
滝野公園の裏側から、恵庭自衛隊の演習地とも背中合わせに広大な森林になっている、自然林もあるが特別年輪の経った大木も見当たらない、その中に根曲がり竹が自生していてその竹の子が山菜取りのターゲットとなっている。
ゲートがあり、鍵がかかっていたが、水戸黄門の印籠が沢山出回っていて簡単にゲートをクリアしていた、しかし今シーズンは市販しない特別な鍵と交換してしまった。
間もなくシーズンに入るが、入れる人は限られてくる、お蔭であまり奥まで行かなくても採れると思っている、私の千石場所も入り口から2キロくらい、これくらいなら自転車入り込めるので、むしろのんびりと収穫出来るのではないかと、別な意味で期待している。
荷台をつけた自転車の試運転を兼ねた山菜下見だった。
滝野ゲートは、矢張り新しい鍵に変えられていたが、ケートサイドには、無理やり走り抜けた車のタイヤの後が最早付いていた。
多分、ジープ以上の車でないと走破は出来ない、守る方も大変であることが判る。
時には、ゲートの鍵を切ってしまう人もいる、規制するとそれを破る人もいる。
徒歩では、規制は出来ない、それに自転車くらいも規制できない、その上のオートバイでも規制は難しいと思う。

明後日の、5日のこどもの日に友達を連れ山遊びを予定している、山菜はタラノ芽だけはまだ少し早すぎた、夕食にはコゴメの胡麻和え、あずきなのお浸し、初物は格別と思う。

ゲートサイド道

アズキなのお浸しとコゴメの胡麻和え

雨の日は俄か自転車さん

2011年05月02日 15時15分35秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から雨が降り続く2011年5月の連休真っ只中、こんなに雨模様のゴールデンウィークも滅多に無いと思う、東北大災害の涙雨か、いつまで泣いていてもと思うが政治のリーダーシップが全くなされていない、何年か後に評価されるがよりによって民主党の片肺の管内閣でウチゲバ最中に、この度の災害、これが管内閣にしては事実上延命される結果になっている、それにしても、もう国民の我慢も限界に来ていると思う。
非常事態には、サラリーマン、学連、総理などは出ている幕ではない、本当にいい加減にしてもらいたいものだ。
党派を超えて、救国内閣が必要で、もう少し若ければ東京都の石原知事などが適任と思う、民主党では小沢さんも最後のひと働きして欲しいと思っている。
自民党も、大物がいない時代だ、でも十年後にはこの時代の人物評かもなされていると思う、だれがこの時代に救国者として名前を残すか、それが判るまで私は生きていないと思う。
日本を動かしている人たち、兎に角、歴史に残る悪名だけ残さぬようにと願っている。

自転車(MTB)に、荷台作りを朝からやっていた、考えていた事を型紙から起こす。
出来ればスチールかステンレスで作りたいところだが、工具が木工用しかなくベニアと木製で作る事にした、考えた末にハンドルに工夫し作り終えた、最後はペンキの黒色を塗って完成する、自宅にある材料だけで出来上がり、仕上げのペンキも黒しかなく、其れを使った。
出来上がり、まずまずで20キロくらいの荷物でも壊れる事は無いと思う。
山菜で一番重いものは、竹の子で採れるときは20キロくらいは、然程苦労もなく採れてしまう。・・・・・これで準備は完了する。

木製荷台完成する。