<明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな>
(夜が明ければ やがてまた暮れる
暮れれば また 君に会えるんだ
それはわかっているのだが
やっぱり
明ければ帰らねばならぬ
その恨めしさよ
恨めしい夜明けよ)
・やさしい後朝(きぬぎぬ)の歌である。
『後拾遺集』恋の部に、
「女のもとより雪降り侍りける日、
かへりてつかはしける」として見える。
道信は一夜を過ごした女の家を出、
雪を踏みつつ自宅へ帰り、
女のもとへ歌をやった。
後朝の歌は、
できるだけ早くやるのが、
情のあるあかし、とされている。
この歌は王朝の人々に愛されたが、
道信その人も愛される人柄であった。
薄命の青年詩人であった。
二十三歳という若さで正暦五年(994)に死んでいる。
この正暦五年は九州から流行してきた、
疱瘡(天然痘)が流行った年なので、
道信もそれに罹病した。
上流階級の人々さえバタバタと死んだのであるから、
一般大衆の死者は数えきれない。
道信は太政大臣までのぼった為光の三男で、
彼の次兄が藤原斉信(ただのぶ)。
斉信は、一条天皇時代の才人で能吏。
斉信は『枕草子』にも登場する。
風采が堂々として、
男に点のからい清少納言でさえ、
「すてき!」と思わせたような男である。
その弟の道信も、美しい貴公子であった。
しかし、社会人となってこれからという時に、
父を亡くした。
権門の子弟も、年若くして父の庇護を失うと、
なかなか立身はむつかしい。
しかし優秀な人材を見込まれたのか、
内大臣・道兼の養子となった。
そうして道兼夫人の妹姫と結婚した。
この当時の結婚は、
花々しく結婚式をあげて、
世間に公示するというようなことはせず、
いつとはなく関係がはじまるという、
見方によれば大人っぽい社会慣習。
家と家との政略結婚のときは、
大きな儀式となるが。
王朝の結婚生活は、
男が女の家へ通うのが普通。
結婚生活がかなり長くならないと同居はしない。
だから、正式の夫婦でも昼間は別にいる。
(次回へ)