・私は書き始めた。
かるく、楽しく、明るく・・・
私は少なくとも『春はあけぼの草子』を書きあげるまでは、
棟世のもとに居たい、と思っていた。
しかし、棟世の娘の安良木は、
宮仕えのことを忘れていないらしく、
「まだお返事は来ない?」と、毎日のように言う。
しかし、ついに赤染衛門からの手紙が来た。
夫が今度尾張の国守になり自分も下ることになった、
ついては、頼まれていた安良木どののこと、
取り計らうことが出来たので、
こちらにおいでを乞うとのことである。
赤染衛門は忘れずに安良木を推してくれたらしかった。
彰子中宮のお側へ上がれるかどうかは、
最終的に大殿の上(道長左大臣の北の方)や、
その女房にお目通りしてから決まるらしいが、
大殿の上は私のことをご存じで、
「ああ、元輔の娘ね。
あの清少納言の夫の娘というのなら・・・」
と、満足されているという。
安良木は有頂天になっていた。
「お前について行ってもらうほかないな」
棟世は娘を手放す淋しさはあったろうが、
淡々として言った。
ともあれ、京へ戻らねばならぬ。
「安良木の身のふり方をつけてしまったらすぐ戻ります」
私は棟世に告げて機嫌よく京へ出発した。
おびただしい財物を持って行くので、
棟世は護衛の侍を多くつけてくれた。
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・京は少しも変っていなかった。
棟世の留守宅へ入り、赤染衛門の君に連絡する。
丁度、彰子中宮がお里下がりしていられ、
そこへ主上も行幸になり、
東三条女院の四十の賀が行われるらしかった。
安良木は宮仕えを許されることになった。
その折、
「清少納言は宮仕えをする意志はないのか?
あればこちらへ来ないか」
というお話があったという。
そのお志は嬉しかったが、
私は多分、もう二度と宮仕えすることはないだろう。
それより、赤染衛門の邸で彼女と和泉式部に会えたのは嬉しかった。
赤染衛門はどっしりと太って五十にはまだ間があるが、
色白の声の若々しい人だった。
名声のたかい女流であるが、
気取らぬ穏健な家庭婦人で何かというと、
「主人が・・・主人が・・・」と、
学者の夫、大江匡衡のことを言った。
和泉式部は三十を出たばかりであろうか、
京の人々の口の端にのぼっている恋愛沙汰にふさわしく、
魅力ある女だった。
言葉数少ないその人がやっとしゃべる言葉は、
こちらの心にいつまでも余韻を残した。
彼女は冷泉院の第三皇子の為尊親王との恋愛のため、
夫の和泉守、橘道貞に離縁されてしまった。
しかし、和泉式部が歌詠みとしての名声も高まっているとして、
赤染衛門は彼女に、
「大殿はぜひあなたにも宮仕えをお望みでいらっしゃいます」
と言った。
和泉式部は、
「自分のようなものは・・・」
と口ごもった、というより私には、
彼女は放心しているように見えた。
恋をしている最中は魂を抜き取られているのかもしれない。
中宮を失った私もまた、あの放心を味わっているのだから。
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・安良木は十一月の終りにはじめて内裏に参上した。
それから間なしに故定子皇后の一周忌の法会があった。
私の上京はこの法会も目的の一つだった。
皇后大夫の公任卿のお姿は見えなかったが、
叔父君の明順の君のお姿を遠くから見ても、
老いられたのに胸をつかれた。
正三位に復された伊周の君はひまなく涙を拭っていらっしゃる。
しかし私はもう伊周の君と会話したり、
悲しみを確かめあったりしようとは思わなかった。
私がこれからつき合うのは、
私の筆によってよみがえる紙の上の伊周の君であり、
故関白であるのだった。
東三条女院がついに崩御された、
という報せと共に私にはもっと大きな衝撃がもたらされた。
棟世が摂津の国庁で急死したのだ。
執務中に突然倒れたという。
その日は京でも寒い日だった。
暖かくしていた私邸から冷え切った政庁へ出て、
間もなく前かがみになり倒れたそうである。
一度意識が戻り、介抱する男たちに、
私と安良木を呼んでくれ、と言ったそうである。
それから二刻ばかりして死んだ、という。
うねうねと長生きしよう、と言ったのは棟世だったのに、
いつだって帰って来られるのだから、と言ったのに。
でももう帰るところなんぞありはしない。
棟世はいないのだ。
棟世に残された時間は少なかった。
もっともっと一緒にいるべきだった。
いや、しかし、あの数ヶ月棟世と暮らせた幸福を、
大事に思おう。
私は安良木と抱き合って泣いた。
(27 了)